第26話 消えない思い

「うんうん」


 愛結は私の話に、時折頷いて、あとはずっと聞いていてくれた。悩みを打ち明けるのは勇気が必要だったけど、一度話してしまえば、どうってことない。


「要するに!亜希ちゃんは胡春ちゃんのことが好きってことだね!」

「うん…」


 そうやって改まって聞かれると恥ずかしくなる。


「大体分かってたけどね…」

「そんなにわかりやすかったかな、私」


 そこまで胡春に好きだとアピールしたことがあっただろうか。思い当たる節はいくつかあるけど、どれも愛結が一緒にいなかったときだ。


「よく見てたからね。ずっと」


 愛結はそう呟いた。友達だから、なのだろうか。


「亜希ちゃんは告白とかしないの?」

「うーん。そもそも胡春が私のことを好きじゃないかもしれないし…」


 私と胡春にはまず幼馴染という関係があって成り立っている。

 それは私の恋心に関わるものではない。

 幼馴染としての関係を保つか、それとも思いを伝えるか、ただの二択のようで実際はそうではない。


「そんなことないよ!私だって亜希ちゃんのこと好きだし」

「いまはそういうのの話じゃないでしょ…」


 愛結は励ましてくれるけど、どうにも卑屈になってしまう。そもそも自分に自信なんてないのだ。


「でも、好きな人に好きだって直接言って貰えたら何よりも嬉しいことだと思わない?」


 愛結の金色のロングヘアが揺れた、気がした。街灯の光を反射して月のように輝く。

 艶やかな頬は少しだけ赤くなって、落ち着かない様子だ。好きな人のことでも考えているのだろうか。


「まぁ、それはそうだけど…」


 好きな人に「好き」だって言ってもらいたい。そんなことは当たり前だ。

 そう伝えるのは勇気がいることだし、だからこそ嬉しいのだ。


 そんなことは分かっている。


「亜希ちゃんって胡春ちゃんのことどれくらい好き?」

「なっ、そんなの分かるわけないじゃん!」


 愛結はそう言ってからかってくる。

 好きの尺度なんて人それぞれだし、そんなものでは表せないほど胡春が好きだ。


 恋愛感情は初めてだ。


 今まで誰のことも恋愛的に好きになったことはない。

 つい最近まで胡春だって大切な幼馴染の一人だったし、ただ長い時間をともにしてきたという関係が心地よかった。


 でも、あの日のキスから何かが変わってしまった。


 ゆっくりと動いていた歯車が、ガタンと急に誤作動を起こしたかのような感覚だった。


 幼馴染だったものが、それとは別の何かに変わって沼にハマったように抜け出せなくなった。


 でも、胡春が嫌じゃないならなんとなく大丈夫だと思った。

 2人一緒なら安心できるし、不安だって吹き飛ぶ。


「でもさ、可能性があるなら積極的に行こうぜ!」


 愛結はグッと親指を立ててそう言った。

 隠れた感情を押し殺しているような、寂しそうな笑みを浮かべる愛結。

 未練のある恋でもあるのだろうか。


「うん!」


 愛結に倣って私も親指を立ててみる。

 相談したおかげか心を占めていた悩みも消えて、スッキリした。

 告白はできれば林間学校のうちにできればなって思う。まだはっきりと決めたわけではないけど、きっとする。


「じゃあそろそろ部屋に戻ろ!亜希ちゃん」

「だね!胡春が待ってるよ!」


 私が部屋を出てもう数十分経った。胡春に心配をかけるのは私のポリシーに反するし、早く戻るのがいいだろう。

 それに部屋にいないことが先生にバレたら、絶対に怒られるからそれは避けなければいけない。


 愛結は公園のベンチから立ち上がると、私に手を差し出す。


「はい!握って」

「どうして急に…」


 急に手を握ってなんて、何があったのだろう。相手が愛結だからやぶさかではないけど、変に勘くぐってしまう。

 ゆっくりと恐る恐る愛結の手を握ると、強く引っ張られる。


「ちょっと愛結!」

「ほら、早く行こ!」


 愛結に引かれるまま、走る。現役運動部の実力に圧倒され、そこまで体力のない私は息を切らす。


「あゆぅ。速いって…」


 はぁはぁ。私は嘆く。


「走ってさ、風に当たると気持ちがいいでしょ!」


 愛結の無尽蔵な体力はおかしい。今日一日、たくさん遊んだはずなのにここまで走ることができるなんて。


「たしかに、そうだけど…(はぁはぁ)」


 昼間は暑くても夜は涼しい。夏休みも終わって、秋が近づいている証左だ。

 徐々に過ごしやすい気候になって、今年の夏だって実態の薄れた記憶になる。やっぱりそれは寂しい。

 例年よりも色濃く焼き付いた夏は私にとっての特別になり得るだろうか。楽しかった時間を一時も忘れることはないだろうか。

 否。

 どれだけ嬉しかった特別も時間が経てば風化するし、人の記憶は有限だ。

 忘れてしまえば無かったことになってしまうような気がするし、それはもったいないように感じる。


「ほら亜希ちゃん!胡春ちゃんのところに行っておいで!!私は時間を置いて部屋に戻るから」


 愛結はピタッと立ち止まって手を離す。

 疲れているけど、私は足を止めない。

 ここで止まったら、私の望むものは何も手に入れることができないような気がした。コンクリートで舗装された地面を強く蹴って走る。

 これ以上愛結にみっともない姿を見せたくないし、迷惑はかけられない。


 背中を強く叩かれた感覚がする。


 それは愛結がしてくれたのか、どこかの気まぐれな神様がしてくれたのかはわからない。

 だけど、決意は固まった。

 木々に囲まれた中、私は足に全力を込めた。


 *


 ガチャっと部屋の扉を開けると胡春がぴょこんと顔を出す。


「亜希…その…遅かったわね…」


 心配してくれたのだろうか。

 胡春はゆっくりとそう言う。


「うん…」


 結構な時間、胡春を一人にしてしまったと思う。気まずくなって逃げ出して、愛結と話して。


「あのさ…胡春」

「どうしたの?」


 訝しげな表情で私を見る胡春。

 ちょっとだけ不安だけど、伝えなきゃ。


「その…明日のキャンプファイヤー、私と踊ってくれない?」


 言っちゃった。


 その瞬間、胡春の表情がぱっと明るくなった気がした。それは私の都合のいい勘違いかもしれないけど、そう考えるのも悪くはない。

 胡春は息を大きく吸った。


「うん。喜んで!」


 一回り高い声で胡春はそう返事をしてくれた。

 キャンプファイヤーで一緒に踊った相手とは一生結ばれる。そんな噂があるほど、キャンプファイヤーとは儀式的な意味で重要なのだ。

 願掛け程度だけど、あるに越したことはない。


「ありがとう…」


 この上ない満足感に満たされ、私はベッドに座っている胡春に飛びついていた。


「ちょっと、亜希!!」


 *


「うん。きっとこれで良かったんだよ」


 私、真路愛結はそうざわつく心を落ち着かせる。

 もともと叶うはずのない恋だったのだ。


「そんなの、分かってたんだから…」


 溢れてくる涙は限界を知らないようで、粒となって頬を伝ってくる。もっと積極的にアプローチをしなかった自分が悪いのだ。


 〜一年ほど前〜


 亜希ちゃんと話すのは好きだった。

 どれだけ下らない話でも楽しそうに頷いてくれるし、からかったときの反応が面白かった。


 肩まである髪は私のものよりもずっと短くて、高校生離れした華奢な体つきは愛くるしい。

 高校に入ってまだ数ヶ月ほどだったけど、私が積極的に話しかけたこともあって自然と仲良くなった。


 でもその感情が、単なる友達じゃないことに気がついてしまった。

 きっかけは文化祭。

 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。晴れた空の青さはまさに亜希ちゃんの髪みたいで、文化祭日和だった。


「愛結も文化祭、一緒に回ろうよ!」

「うん。いこいこー」


 友達なのだから文化祭を一緒に回るのは当然。だけど誘ってもらえたのはちょっとだけ嬉しかった。


 いつもの学校は文化祭らしい晴れやかな装飾がされていて、まるで別の国に来たよう。


「たこ焼きか、美味しそうだね!」


 亜希ちゃんが持っているたこ焼きを見た私は思わずそう言っていた。


「愛結も一口いる?」

「いいの?」

「うん!」


 爪楊枝でたこ焼きを指して、フーフーと冷ましてくれる。

 絵になるな、と思った。あどけない様子で可愛らしいのだ。

 それを見てなんでだか胸が高鳴った。ドクドクと今までに感じたことないほどに。

 行動が洗練されている気がして、目のやり場に困った。いつもどうしていたかなんて思い出せなかった。


「はい!」


 冷ましてくれたたこ焼きを私の口にゆっくりと放り込む。

 亜希ちゃんが冷ましてくれていたお陰で、適度な温かさになっていてとろっとした中身が溢れてくる。


「どう?」

「美味しいよ」


 しばらくしても落ち着かないままで、文化祭どころではなくなった。


 一種の文化祭マジックかもしれない。その時はそうだと思い込んだ。

 友達なのに恋愛感情を抱くなんて、きっと私はどうかしてる。


 〜現在に戻る〜


「はぁ、私はこれからどうすればいいんだろうな…」


 こんな状況に自然とため息が溢れる。


 亜希ちゃんと胡春ちゃんの仲がいいのも、隠れてキスをしていたのだって知っていた。

 でも諦めきれなかった。

 可能性が少しでもあるなら当たって砕けるのがいいと思ったし、実際に何度もタイミングを伺っていた。

 そして今、確実に一縷の可能性すらも失ってしまったのだ。


 胡春ちゃんのことを話す亜希ちゃんは、ほんのり頬が赤くて、いつしか少女漫画で読んだ恋する乙女だった。

 涙は止まらない。心も落ち着かない。


「やっぱり、辛いな…」


 ズキズキと痛む心を擦って、ゆっくりと帰路についた。

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