第11話 幼馴染の布団に隠れる話

 私、蒼井亜希はいま胡春の部屋に一人だけ。一階のリビングには胡春のお母さんがいるけど、幼馴染の部屋で一人きりなのは少々居たたまれない。


 胡春、早く帰ってこないかな…。


 私がいま幼馴染の部屋に一人なのは、胡春がいま外出しているからだ。 それなら1回家に帰ってからまた来れば良かったのだが、胡春のお母さんに「すぐ帰って来るはずだから、お部屋で待ってて」と言われてしまった。


 胡春は勝手に部屋に上げられて嫌ではないのだろうか。


 今日は特に約束をしていたわけではない。ただ時間があったから胡春の家に来ただけだ。だから部屋にいたら帰ってきた胡春は少しびっくりするかもしれない。


 その時、ガチャンと玄関でドアが開く音が聞こえる。どうやら胡春が帰ってきたようで、その音を聞いて少し安堵した。


「胡春を驚かせてやろう…」


 なんとなくのいたずら心だ。私が胡春の布団の中に隠れて、帰ってきた胡春を驚かすというものだ。

 普段はあまり表情を変えないから驚いた姿を見てみたいと思った。


 私は部屋の電気を消した。


 夏だからかベッドの上にはブランケット一枚だけしか置いてない。仕方ないからそれに包まって隠れる。

 胡春のブランケットは肌触りが良くて、バラのような華やかなお花の匂いがする。いい香りだし、何故かドキドキする。


 なんか、胡春の家で寝ちゃったみたいな格好だな…。


 ブランケットだから、私が包まっている分の体積は増えるわけで、全く隠れられていなかった。


 なんてことを考えている間にも、胡春が階段を上がってくる音が大きくなる。


「んー、もうこれでいいや」


 私はブランケットをかけて、寝たフリをした。隠れるということは絶対に失敗するとわかったからだ。それに、家に帰ってきたら幼馴染が自分の布団で寝ているというのはなかなかの恐怖だろう。


 ふふんと私は心を踊らせる。


 部屋のドアが開く。片目だけを開けチラッと見ると胡春が立っている。私は再び瞳を閉じて、寝たふりをする。


「亜希…」


 ガサッとビニール袋のようなものを置いた音がした後、胡春は私にそう言った。しばらくすると胡春は私の肩を揺らす。


「あきー!!」


 それでも私はわざとらしい寝息をすーすーと立てて、寝たふりを続けた。


 ちゃんと起こしてくれるんだ…。胡春は優しいな。


「もう、仕方ないわね」


 胡春はそう言った。このままスルーされるのはちょっとと思うけど、私はどうしようもない。


 その瞬間、ちゅっという音とともに頬に柔らかい感触がした。胡春の表情はわからないけど、私は思わずニヤけてしまいそうになった。


 え?


 その跡を胡春が指で拭った。


 でもこれに反応してしまっては、寝たふりをしていたのがバレてしまう。それに自分の負けを認めるようで、嫌だ。


「亜希…好き」


 その言い方は語弊があるでしょ!


 まるで私が起きているのがわかっているかのように、頬にキスをしてきたり…。


 胡春は私の隣に横になる。そして真正面から抱き締められる。目をつぶっているから、どうなっているのかはわからないけど、甘い匂いがして、どこか落ち着いた。


 私は恥ずかしくて我慢ができなくなった。それに無表情を貫くのも限界だ。バレてしまう前に自分からネタバラシをしないといけない気がした。

 だから私は薄目で胡春の方をみた。


「胡春…なにしてんの…」


 私はぼそっとつぶやくように言った。

 ひゃっと驚いたように胡春は急いで立ち上がる。寝たふりだって気付いてなかったのかな。


「いや…あの…なんというか…」


 胡春、動揺してるね。

 頬を赤く染めてしどろもどろになる胡春は可愛らしい。いつもの余裕そうな表情もいいけれど、そっちのほうが胡春の素って感じだ。


 青紫色の髪を人差し指でくるくると、いやそれ結構破壊力あるな!


「ふーん。胡春は私のことが好きで好きで仕方ないんだー!」


 私はそう胡春をからかった。


「…っ」

「うんうん。好きすぎてハグしたかったんだよね。キスだって」


 私はさらに追い打ちをかけた。徐々に赤くなっていく胡春の表情が面白かったのだ。


「うぅ」


 胡春は恥ずかしそうに、俯いた。

 なにも反論してこないのは面白くない。でも追い詰めているような感覚は嫌じゃない。


「いいんだよ、好きだって、いっぱい言ってくれても。キスだって、したいって言ってくれればいつだってしてあげるよっ」


 私は胡春の耳元でそうささやく。胡春はぴくっと震える。


 なんと言うか、今日の私はタガが外れている気がする。

 ただ初めは胡春を驚かせたかっただけなのに、いまは胡春が照れているのをみて楽しんでいる。


「ちょっと、亜希…、なんというか、恥ずかしいから…」

「あっ、ごめん…」


 どうやら私は調子に乗ってしまったようだ。

 よく見ると胡春の顔はまるでりんごのように真っ赤だ。ここまで人の顔は赤くなるものなのかと思わせるくらいに。


 そこからしばらく沈黙が続いた。

 度が過ぎてしまったのは明らかに自分のせいだから、なにも言えない。


「もう良いわ」


 胡春はおもむろにそう言った。


「えっ?」

「亜希、動いちゃだめよ」

「へ?」


 ベッドに横たわったままの私の肩をぐっと掴む。


「そこまで言うなら、分からせてあげるわ」

「えっ、ちょっと…」

「いいんでしょ?キスをしても」


 胡春の頬は紅潮したままだけど、どこか余裕そうな表情だ。


 あれ…?私が、追い詰めてたはずなのに…。


 肩を押さえつけられているから、抵抗が出来ない。そもそも胡春のほうが力が強いのだ。


 寝たふりをするために暗くした部屋のせいで、変な雰囲気になっている気がする。


 胡春の顔が徐々に近づく。さっきは目をつぶっていたから、どんな感じかわからな勝ったけど、キスをされる感覚はこういうものなのかと思った。いままでは私からだったから、わからなかったのだ。


 ドクドクと鼓動が速まる。自分でするわけではないから、いつもより五感が冴え渡って、全身で胡春を感じている気がする。


「…っ」


 私は声を発してしまった。緊張して変なところに力が入っていたのだ。


「あっ、…嫌だった?」

「あっ、違うの…。胡春にキスをしたことはあるけど、されるのは初めてだから、緊張して…」

「そう。じゃ、するわよ」


 覆いかぶさるように、胡春の顔が近づく。

 胡春は私のことを尊重してくれるのに、少しだけ強引だと思う。特に最近はそうだ。


 青紫色の髪が私の顔にかかる。どこぞの宝石のような瞳はまじまじと見ると輝く。


 唇が重なる。いつも味わっているはずの胡春の唇は、より温かい気がした。


「うっ」


 喉から声が漏れてしまう。ほのかに温かくて、心が満たされていくような感覚だ。


 幼馴染にこんな感情を抱く私はおかしいのだろうか。

 何度も胡春にキスをしたことはある。でもされる感覚は初めてで、いつもよりドキドキする。

 自分からするよりも、胡春を独り占めしているようで心地良い。

 だから唇が離れる瞬間、少しだけ残念に思ったのも事実だ。そんなことは言えないけど。


「胡春はさ…。私のこと好き…なの?」


 私の隣に横たわった胡春に聞いてみた。

 胡春はさっき私に「好き」と言った。寝ているふりをしていたから、はっきりと聞こえている。

 それに私とキスをしたがったり。

 毎回断りきれずにしてしまうけど、幼馴染同士でそんなことはしないということは知っている。


 いくら気になったとは言え、そういうことを聞くのは幼馴染でも恥ずかしかった。


「…急に、どうして…」

「それは、胡春が私に気があるみたいな振る舞いをするからだよ!!」


 まるで恋人同士でするようなことをしているのだ。幼馴染だから、という理由でも説明できないようなことを。


「だって…幼馴染の亜希をひとりじめしたいというか…」


 えっ、可愛いんだけど…。


 胡春は私に気があるのではないかと思ったけど、やっぱり違うようだ。親しくしたいなと思う友だちがいるのと同じで、幼馴染としてただ大切に扱ってくれているだけなのかもしれない。


「そっか。ずっと友だちでいようね。胡春!」


 薄暗い幼馴染の部屋で、私はそう伝えた。


「そうだね」


 胡春が少し寂しそうに笑ったのはきっと気のせいだろう。

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