6.それぞれの話、ソニアの家にて2

「それじゃあお父さまは、これから三ヶ月も船の上にいるんですね」

「ああ。毎日起きるたびに見える景色が違うのはおもしろいよ。海の上だと、同じものは一つとしてないからね」

 マルチナも父さんも、話しながらどんどん魚を口に運んでいく。自分の分を取っておかないと、あっという間に無くなりそうなほどの勢いだ。ソニアは自分の分とぼんやりしている母さんの分を急いで取り分けた。

 父さんはともかく、マルチナは「その細い体のどこに入るの?」と聞きたくなるほどによく食べた。あとになって聞いてみると、「ソニアのお母さまが作るお料理がおいしすぎたのよ」と笑った。

「いいですね。わたしもいつか船旅をしてみたいです」

「ぜひしてみたらいいよ。大変なこともあるが、きっと良い経験になる」

「お父さまがこれまで行った国で、一番感動したのはどちらですか?」

「そうだなあ。どこも良いところだったが……。ああ、特に感動したのは、大きなハト時計があった港町かな。時計塔自体の高さが十メートルはあって、飛び出してくる機械じかけのハトも、体長三、四メートルはあったんじゃないだろうか。大迫力だったよ」

「へえ! それは確かに感動しそうですね。ちゃんと時計として動いてるんですか?」

「もちろん。大きさの割に、鳴き声は穏やかだから、静かに時刻を告げてくれる街のシンボルだったね」

 これはソニアも一年前に聞いた話だ。

 その国はハト時計が有名で、国の玄関口である港には、必ずハト時計が置かれているそうだ。

「あ、そういえばさっき、このお家でもハトが鳴きましたよね? あれはその国のおみやげですか?」

 マルチナはキョロキョロと部屋の中を見回して、暖炉の上についたハト時計を指さした。茶色い木彫りの時計には、リスや小鳥や草木が立体的に彫刻されている。

「そうだよ。いつも土産を買う時間があるわけじゃないんだが、ソニアが時計が好きだからね。船乗りたちから時計が名産だと聞いた国では、時間をもらうようにしてるんだ」

 マルチナはわたしの方を見て、「そうなの?」と聞くかわりに、眉をクイッと上げた。

「この時計をもらってから、時計が好きになったんだ」

 ソニアは料理をしている間はポケットに入れていて、今は首に下げている懐中時計を見せた。三本の針が青色の文字盤を回る時計に、マルチナはズイッと詰め寄った。

「わっ、すごくきれいね。海みたいなブルーが素敵だわ」

「でしょう! 自分の時計なんて初めてだから、すごく気に入ってるんだ!」

 父さんは「そりゃあよかった」と言って、ソニアの頭をなでてきた。その父さんもソニアと同じ懐中時計を持っている。父さんがそれを話すと、マルチナは「おそろいなんていいわね」とほほえみ、少し顔をうつむかせた。


 あ、そうか。

 マルチナは、自分のお父さんのことをあんまり好きじゃなさそうだった。

 それなのにおそろいだなんて話をして、悪かったな。


「……ねえ、ルチア。明日、あなたもぜひエリアスの見送りに来てくれない?」

 一瞬静まり返った食堂に、母さんの優しい言葉が上がった。マルチナがパッと顔を上げる。

「……いいんですか」

「もちろん。見送りが多い方がうれしいもの。ねえ、エリアス」

 母さんと父さんの目が合うと、二人はほほえみあってうなずいた。

「ぜひ来てほしいよ、ルチア。それから、私が帰ってきた時も、またこうして一緒に食事をしてくれたらうれしい」

 マルチナは唇をかみしめて、グッと黙り込んだ。そして小さくコクッとうなずいた。

「……ぜひ、行かせていただきます」




 夕食が済むと、父さんは明日の荷物の確認をするために自室に戻った。

 ソニアとマルチナと母さんはリビングルームに移動して、マルチナが魔法で呼び寄せたクッキーを食べながら、おしゃべりをした。アーモンドが練り込まれているクッキーは甘くて香ばしく、とてもおいしい。

「あ、そうだ。母さんの刺繍、明日までに間に合いそう?」

 ソニアは玄関のドアのそばに置いてある買い物カゴから、買ってきた刺繍糸を取り出した。それを見た母さんは「ああ、すっかり忘れてたわあ」と少しも慌てずに言って、寝室に消えていった。そして少しも慌てずに戻ってきた。

「ありがとう、ソニア。あと少しだからすぐに終わるわ」

「そんなこと言って、今わたしが言い出さなかったら、母さん明日になって大慌てしてたよ」

 刺繍糸を受け取りながら、母さんはフフッとのんきに笑った。

「ソニアからちょっと話を聞いてたんですけど、どんな刺繍なんですか?」

 マルチナがグッと体を寄せると、母さんは寝室から持ってきた作りかけの刺繍ハンカチを広げてみせた。

 赤色の糸で縁取られたハンカチは、青色の糸でメッセージが刺繍されていて、空いているスペースには、黄色やオレンジ色の糸で船や花が刺繍されている。

 今回もまた大作ね、とソニアはにっこりした。

「これはねえ、このあたりに昔からある『思い人たちのハンカチ』っていう風習を模してるの」

「『思い人たちのハンカチ』?」とマルチナ。

「そうよお。恋人の一方が刺繍のハンカチを作ってほしいともう一方に頼む。そして、それを作ってもらえたら、婚約が成立したことになったの」

「へえ。素敵な風習ですね」

「母さんはそれを、父さんが船に乗るたびに、毎回毎回作ってるんだ。当たり前だと思ってたけど、よく考えたら大変じゃないの?」

 一年の半分以上を船で過ごす父さんは、だいたい三か月に一度家に帰ってきて、一週間のお休みをもらう。そのたびに母さんは新しいハンカチに刺繍をして、父さんに贈っているのだ。

「ちっとも。これは願掛けだからねえ」

 母さんは、手芸箱を開けて、針を選びながら答えた。

「「願掛け?」」

 ソニアとマルチナは声をそろえて首を傾げた。

「そうよお。『父さんが無事に帰ってきますように』って願いを込めてるの」

「そっか。じゃあ、どんな嵐があっても父さんが無事に帰ってくるのは、そのハンカチのおかげなんだね」

 母さんはにっこりと笑って「ええ」と元気よく答えた。

 ソニアから見ても、照れくさくなるくらいとても仲が良い父さんと母さん。一緒にいられないのは、仕事のせいで仕方がないとはいえきっと寂しいんだろう、とソニアは思っている。

 だから母さんはハンカチを贈るし、父さんは帰ってくるたびに、メッセージカード付きの大きな花束を買ってくるんだろうな。

「あとはハートを縫うだけだから、ささっと終わらせちゃうわね。二人はよかったらお風呂に入ってらっしゃい」

「お先にいただいてよろしいんですか?」

「ええ。ケガの手当てを早くやり直した方がいいでしょうし」

「それじゃあ、お先にいただきますね。ハンカチ、完成したら見せてください」

 母さんはにっこりと笑って、「もちろん」と答えた。

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