13.手を繋いで、船上にて1

「アロイスは信用できる奴だ。俺の本も読んでるはずだから、俺の名前を出して、正しい情報を話せ。そしたら惜しみなく協力してくれる」

「はい。ありがとうございます、ラファエルさん」

「あんた、ちゃんと大学にも来なさいよ」

 ラファエルは手を上げてひらっと振って答えた。その顔には「行くもんか」と書かれている。ビアンカは「まったくもう」と腕を組んだが、その顔は本気で怒っているようには見えなかった。ベンノはラファエルに甘いと言っていたが、ビアンカも十分甘いな、とソニアは思った。

 ラファエルに見送られ、馬車を急いで走らせると、何とか夜の便に間に合った。往路と同じように乗客はほとんどいない。それでも念のため、ソニアとマルチナは手を繋いでいた。

「さて、ここからまた一晩がかりだ。何事もないだろうけど、あまり羽根を伸ばしすぎないようにしよう」

「テオ先生ったら心配性ねえ」

「良い手がかりが見つかったんだから、後は無事に帰るだけだろう。それに……」

 テオは声を落とし、船尾に立つ魔法航海士を手で示した。往路の船と同じように、またもやあくびをしている。

「行きの時も思ったけど、この船の警備は手薄だ。何かあった時に、船員が頼りになるかわからない。船の上では助けが呼びにくいから、くれぐれも気を付けよう」

「確かにやる気はないわね。わかったわ」

「わかりました」

 マルチナとソニアの返事に、テオは「よし」と満足げに微笑んだ。

「本当に、魔法使いって気をつけなきゃならないんですね」

 ビアンカが気の毒そうに言うと、テオもマルチナもカリーナも首を横に振った。

「別にいつでもどこでも、誰に対しても警戒しなきゃいけないわけじゃないわ」とマルチナ。

「人間の皆さんが治安の悪い場所を避けるのと同じです。魔法使いが狙われそうな場所では気を付けるだけですよ」

 カリーナもコクッとうなずく。

「なるほど。船上での魔法犯罪が増えていますからね。わたしも気を付けます」

「はい。みんなで無事にルフブルクに帰りましょう」

 テオがこう言ったのが、ほんの十分前のことだった。

 そして、ソニアとマルチナは今、とても無事とは言えない状況にいた。



「――これで船にいる奴らは全員か?」

 さび付いた銅鑼のような荒々しい声が甲板に響き渡る。

「特に魔法使いには注意しろよ。勝手なことをされたら困るからな」

 甲板の上では、十七人の乗客が二つのグループに分かれて紐で縛り上げられている。一つはテオとカリーナがいる魔法使いのグループ、もう一つはビアンカがいる人間のグループだ。

「これで全部だ。もうこの船には魔法使いの気配はない」

 そう言った男は、右手の親指と小指をこすり合わせた。すると、人々を縛っているロープがギチギチと音を立てた。人々の顔が痛みで歪む。それを見たマルチナが思わず声を上げそうになると、慌ててソニアはマルチナの口をあいている手でふさいだ。

「ダメだよ、マルチナ! 落ち着いて!」

 小声でそう諭すと、マルチナは泣きそうな顔でうなずいた。

「……なんなのよ、アイツら。ちょっと部屋に戻ってたら、こんな……」

 ふたりは甲板に通じる通路から、こっそり甲板の様子を見つめた。




 テオの話が終わると、マルチナとソニアは一度部屋に戻った。夜の船上は風が冷たく、羽織るものが欲しくなったのだ。

『ああ、寒かったあ!』

『油断すると風邪ひきそうだね』

 明かりもつけずに部屋に飛び込んだふたりは、一瞬手を離して、それぞれ上着を着こんだ。船の客室内には小さな丸い窓があり、海の中が見えるようになっている。ソニアとマルチナは冷たくなった手を繋ぎなおして、窓の外を見た。

『夜の海って夜空みたいね。真っ暗だわ』

『本当だね。ちょっと先も見えないのに、魚たちはどうやって泳いでるんだろう』

『目が光ってるとか?』

『鱗が光るのかもよ』

 フフッと笑い合った時、廊下から悲鳴が聞こえてきた。次に荒々しい男の声が聞こえてきた。

『良いからさっさと出ろ! 抵抗しなければ乱暴はしない!』

 ふたりは言葉を交わさずに、手を繋いだまま、船内の粗末なベッドの下に潜り込んだ。まるでウサギが巣穴に戻るように。ベッドの下は埃がひどく、古びた木の匂いが鼻を刺激してくる。それでもくしゃみをしたり、咳をしたりするわけにはいかない。そういう状況だということは、ふたりとも瞬時に分かった。

 ズカズカいう足音が近づいてくると、バンッと音を立ててドアが乱暴に開けられた。

 しばらく痛い程の沈黙が流れ、やがてドアがまた乱暴に閉じられた。

 足音が遠くなると、息を殺していたふたりは、「ハアッ」と大きく息を吐いた。

『な、なに、今の?』とマルチナ。

『わ、わかんない、けど。上で、なんかあったんだ』

 ソニアは驚くほどの速さで動く心臓を落ち着けようと、深呼吸をしようとした。しかし喉が上手く通らず、咳が出そうになってしまった。これでは気づかれる、と必死に我慢する。

『……ど、どうする?』

『……ひとまず、少しの間、こうしていましょう。あっちの狙いがわからない以上、下手に動けないわ』

『そうだね』

 ソニアは空いている方の手で懐中時計を握り締めた。コチコチコチッと規則的な音を奏でる時計に集中していると、少しだけ安心することができた。


 それからふたりの体感では三十分以上の時間が流れた。途中、廊下から人の足音がいくつか聞こえてきた。堂々した足音と、よろよろした足音だ。その度に、ふたりは顔を見合わせて、繋いでいる手の力を強めた。

 足音が聞こえなくなって、しばらく経つと、ふたりはそろそろとベッドの下から出た。膝から下は埃まみれになっている。

『……どうなったのかしら』

『解決したって可能性は、無いよね』

 ふたりは顔を見合わせ、それぞれの顔に「外に出てみよう」と書いてあることを確認すると、黙って客室のドアを開けた。廊下はガランとして、人の気配がない。まるで海底に沈んでしまったように静かだ。

 ふたりは足音に気を付けて、甲板に続く階段の方へ歩いて行った。

 そして、甲板に顔を出そうとした、その時、「これで船にいる奴らは全員か?」という声が聞こえてきたのだった。

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