12.散策、再び港町にて1

 母さんからの刺繍入りハンカチを、カバンの内ポケットに大切にしまい、父さんは船に乗り込んだ。最後に、ソニアと母さんをギュウッと抱きしめ、髪にキスをしてくれた。

「……次に会えるのは、夏真っ盛りな頃ねえ」

 グングンと小さくなる船を見つめながら、母さんはポツリとつぶやいた。その顔は珍しくさみしそうに見えた。

 さっきのリベルトさんの話を聞いて、不安になったのかな。

 ソニアはマルチナと繋いでいる手と反対の手で、母さんの手を握った。

「あんなに大きなハートをあげたんだから、無事に帰ってくるよ。それまで楽しく過ごして、父さんにいろいろ聞かせてあげよう。わたし、勉強もがんばるよ」

「……そうね。エリアスが羨ましくなるくらい楽しく過ごしましょう。ありがとう、ソニア」

 母さんはほほ笑みを浮かべて、ソニアをギュッと抱き寄せた。

「ルチアもよかったら、たくさん遊びに来てちょうだいね。もっとお話したいし、よければ刺繍を教えてあげるわ」

 マルチナはいつもの調子で「いいんですか!」と言おうとして、スウッと息を吸い込んだように見えた。しかしすぐに落ち着きを取り戻した。

「……ありがとう、ございます」

 そう答えるマルチナも、母さんと同じように、さみしそうだった。

 本当に、今日でお別れするつもりなんだ、マルチナは。

 そんなマルチナになぜか腹が立ったソニアは、マルチナと繋いでいる手の力をそっと強めた。






 父さんの見送りが終わると、母さんは先に家に帰った。父さんが家にいる間はレース造りに気が回らなくなるから、今日からバリバリ働くと息を巻いていた。

 ソニアとマルチナは手を繋いで、街を歩き出した。

「ねえ、さっきから変なことがあるの」

「えっ、なに? まさか近侍さんがいるの?」

 ソニアがドキリとする一方で、マルチナはケロリとした表情で首を横に振った。

「何度もパンのいい香りがする人とすれ違うけど、みんなパンを持ってないの。不思議じゃない?」

「なあんだ、パン配りの人ね」

 思わず大きなため息がこぼれた。

「あの人たちは、パン屋さんや近所の人に頼まれて、朝、焼き立てのパンを配ってるんだよ。足が不自由な人とか、朝忙しい人とかのために。玄関のドアにかけておいてあげるんだ」

「へえ、おもしろい仕事ね! わたしもやってみたいわ」

「えー、パン屋さんと同じくらい早起きするんだよ。わたしは無理だなあ」

「あら、ソニアは早起き苦手なの?」

「うーん、苦手じゃないけど、好きではないかな」

「あははっ、なにそれ」

 歩いているうちに商店が開店し始めた。あちこちから客寄せの明るい声が聞こえてくる。

 傘つきのワゴンの花屋には、春を先どった花が並んでいる。今年の冬はあまり寒くなかったため、花が咲くのも早かったようだ。

 荷物や人を運ぶ馬車や、仕事や学校に向かう人は、忙しなく街を走り回っていて、月曜日の朝らしい騒がしさだ。

 まだ目を覚ましてないのは、野良ネコくらいだ。

「フフッ、もう朝よう」

 マルチナはタイル画の塀の上で寝ているネコを、ふわっとなでた。

「そういえば、今日って月曜日よね。ソニア、学校は?」

「今日は学校の創立記念日だから、授業はないんだ。学校に行けばパーティーがやってるみたいだけど、わたしは父さんの見送りがあるから、行かないって伝えてあるよ」

「それじゃあ、この後は思いっきり遊べるのね!」

 マルチナは手を繋いだまま、ぴょこぴょこと飛び跳ねて、「創立記念日ばんざいっ」と声を上げた。

「何しよっか。昼食はこれで何か食べてって母さんが」

 ワンピースのポケットから折りたたんだ紙幣を取り出すと、マルチナはソニアの手をグッと押して、元に戻させた。

「お金ならわたしが用意するから、ごちそうさせて」

「そう? ごちそうしてもらうようなことしてないけど」

「そんなことないわよ。優しいご両親に、おいしい料理、それからソニアとの楽しいおしゃべり。どれだけお礼をしても足りないくらい、幸せにしてもらったもの!」

 「だからごちそうさせて!」と言って、マルチナはにっこりと笑った。

 よかった、もうすっかり元気みたい。

「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」

「ええ! 遠慮なく食べてね! でも、どこかおいしいお料理屋さんを教えてくれないかしら。わたし、外で食事をすることもほとんどないから、この街に詳しくないの」

「わかった。それじゃあ、家族とよく行くお店に連れてくよ」

「わあ、楽しみ! とは言うものの、まだお昼には早いわよね。昨日の手芸屋さんみたいな、楽しいお店は他にもない? そういうお店で時間をつぶしましょうよ」

「楽しいお店かあ……。あ、じゃあタイル造りの工房に行かない? 粘土からタイルを作ったり、絵付けしたりしてるところが見られると思うよ」

「なにそれ! すっごく楽しそうね! 行きましょう、行きましょう!」




 南側の高台にあるタイル工房に向かうと、少しずつ周りの景色がにぎやかになっていった。

 ソニアが住む街は、たいてい青色のタイルで、家の外壁の一枚を飾り付けてある。ソニアの家の場合は、玄関の壁がそうだ。しかしこの辺りは、外壁の四面にタイルが貼られていて、しかもたくさんの色が使われている。中心地からは離れているが、観光客にも人気のエリアだ。

「どこもきれいねえ。青色以外のタイルがたくさん!」

 マルチナは興味津々な目で、あちこちをよく見た。

「ほんとだね。赤はうちにもあるけど、黄色に、オレンジ、紫なんかもあるね。すごくきれい」

 にぎやかな色のタイル画を見ながら歩き続けると、つややかな白色のポールが二本立つ工房に着いた。

 工房自体は白色のタイルで飾り付けられていて、まるで塩でできた家に見えた。

「こんにちは。お仕事してるところ、見てもいいですか?」

 工房の入り口のそばに座っていた職人さんに声をかける。職人さんは手元から顔を上げて、ニコッとした。

「やあ、今は絵付けをしてるところだよ。好きに見てってくれ。あ、でも、くれぐれもタイルを割るなよ」

 職人さんの手元のタイルには、目を閉じた女の人の顔が大きく描かれていた。すごく細かくてきれいな絵。今にも目を開けて微笑みかけてきそうだ。

「これは、一千枚のタイルで作る壁画用の一枚だよ」

「一千枚!?」

「すごいですね! どんな絵になるんですか?」

 ソニアとマルチナは、一緒にズイッと作業台に身乗り出した。

「天女様だよ。目抜き通りの一本西隣りの道に、新しい聖堂が建つんだ。海の女神を祀っているそうだよ」

「へえ。そんなのが建つの、ちっとも知らなかった」

「船乗りの娘なら見に行かなかゃね。その壁画っていつ完成するんですか?」

「来週にはタイルができるから、貼られるのは十日後かな。ぜひ見に来てくれ」

 優しい職人さんは「奥の方の職人たちは、別の絵をつけている者もいるよ」と教えてくれて、そちらも見せてもらった。

 国花のカーネーションや幸運の象徴のニワトリ、イワシの魚群などのモチーフが、五色以上の色を使って描かれていて、こちらもすごくきれいだ。

「ここで作られたタイルって、どこで買えるんですか?」とマルチナ。

「ほとんどは建築関係者向けに売ってるけど、街の建材屋にも少し卸しているな。ここからだと、一番近いのは、下っていった三軒目のパソスの建材屋だ」

「子どもが行っても、追い払われません?」

「大丈夫さ。でも冷やかしならやめろよ。ちゃんと買うなら行っていい」

 マルチナはとびきりの笑顔で「はーいっ!」と答えた。

「次の目的地はパソス建材屋よ、ソニア!」

「はいはい。どこまででもお供するよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る