13.散策、再び港町にて2

 勇んで向かったが、残念ながら建材屋さんは人でごった返していた。しかも体の大きな大人が多く、とてもではないが中に入ろうと思えなかった。

 さすがのマルチナも「よしましょうか」と言って、あっさり諦めてくれた。

「タイル工房すごく素敵だったわね! お金持ちって貴金属とか宝石とかキラキラしたものが好きで、身につけるべきだって空気があるけど、わたしはあんまり好きじゃないの。家でやらされる芸術鑑賞も、きらびやかなものばかりなのよ。金の器とか、宝石の短剣とか。ハデすぎてつかれちゃうのよね」

 マルチナは道沿いに並ぶカーネーションのタイル画を見上げながら、「芸術品なら、今日、タイル画が一番好きになったわ」と声をはずませた。

「でもね、美術の先生が教えてくれる話はおもしろいのよ。ある冠はとある部族の儀式に使われただとか、ある鏡は国の明暗を分ける占いをしただとか。いろんなことを知ってて、教えてくれるの」

「へえ、おもしろい先生だね」

「ええ。あのお屋敷で、テオ先生だけは大好きよ。いつかテオ先生とも、あのタイル工房に行きたいわ。絶対にタイルにまつわるおもしろい話をしてくれるもの」

「それなら、海の女神様の壁画が完成したら、テオさんも一緒に見に行こうよ」

「……ええ。そうね」

 そう答えるマルチナの顔は笑っているが、やはりさみしそうだった。


 本当に、今日が家を抜け出す最後の日にするつもりなんだな。母さんにはなんて説明しよう。絶対に、「マルチナは遊びに来ないの?」って聞いてくるだろうな。父さんだって、帰ってきたらまたマルチナと会えると思っているはずだ。

 それに、わたしだって、マルチナに負けないくらい……。


「……さみしいよ」

「えっ、何か言った?」

 マルチナはうつむいているソニアの顔をヒョコッとのぞきこんできた。鮮やかな青色の目が、太陽の光でキラキラ光っている。光を乱反射して揺れる海のようにきれいだ。

 しばらくジッとその目を見つめる。マルチナも黙って見つめ返してくる。

 そばを通り抜ける人たちは、道の真ん中で立ち止まっているふたりを不思議に思っているだろう。

 ソニアは目を閉じて、無理やりマルチナから目をそらした。そうでもしなければ、ずっと見ているような気がしたのだ。

「……残念だな、って言ったの。建材屋さん」

「ああ、そうねえ。でも、あそこにいた人みんな、たぶん建築関係の人でしょう。わたしたちみたいな子どもがいたら、おジャマよ」

 マルチナはソニアの頭をポンポンとなでた。

 身長はほとんど変わらなくて、年齢も同じなのに、どうしてマルチナはお姉さんぶろうとするんだろう。わたしも学校だとしっかりしてる方だって言われるのに。

 ソニアが尋ねると、マルチナは「姉妹が欲しかったのよ」とおどけた。


 その後は、ソニアが家族とよく行く料理屋さんへ行った。船をモチーフにした店だ。

 入り口のドアの上には、帆柱が空に向かってななめに伸び、ツバメが描かれた大きな帆がはためいている。このツバメにちなみ、店は「船長ツバメ」という名前だ。

 屋根の上には木組みの丸い見張り台が設置され、そこからクモの巣のように編んだロープが垂れている。

「ねえ、あの見張り台って上れないの?」

「あくまで飾りだって店長さんが言ってたよ」

「あら残念。でもおもしろい店ね。中もすごいの?」

 ソニアはニヤリと笑って、マルチナに中が見えるようにドアを開けた。ニマニマしながら店に入ったマルチナは、子どものような無邪気な声で「わあ!」と叫んだ。

「舵! 舵があるわ! 立派ねえ! その隣の羅針盤も素敵!」

 マルチナは他のお客の目も気にせずに、ソニアの手を引いてお店の中央にダーッとかけていった。

 お店の中央は円形の舞台があり、その上に舵と羅針盤が設置されている。子どものお客は、料理が来るまでここで遊ぶのがお決まりだ。

「あっちの壁にはいかりが吊るしてあるわ! よく落ちないわねえ!」

 マルチナはすっかり興奮して、フンフン鼻息を鳴らしながら、グイクイとソニアの手を引っ張った。

「舵と羅針盤は本物らしいよ。古い船からもらったんだって」

「へえ! あとで触らせてもらえるかしら?」

「うん。でも、あそこで遊ぶのはたいてい子どもだよ?」

 ソニアがちょっとからかうつもりでそう言うと、マルチナはキョトンとした。

「わたしたちだって、まだ子どもじゃない」

「……言われてみれば」

 フフッと笑いあったところで、店員さんに席を案内された。




「――うわあ、すっごくおいしい! 生クリームもおいしいけど、何より野菜の味が濃くておいしいわ!」

 マルチナは口をハフハフさせて湯気を出しながら、夢中になって干しダラのグラタンを口に運んだ。

 いいな、熱いものがすぐに食べられて。

 ソニアはお腹をグーグー鳴らしながら、スプーンにすくったグラタンを何度もフーフー吹いた。

「気に入ってくれてよかった。デザートのパステル・デ・ナタもおいしいから、楽しみにしててね。母さんの言葉を借りるなら『ほっぺたが落ちるほど』おいしいから」

「まあ、そんなに! パステル・デ・ナタって、エッグタルトのことよね。食べてみたかったのよ!」

 ソニアもマルチナも、それぞれ一人前のグラタンをぺろりと食べて、他のお店よりも大きめなパステル・デ・ナタまでしっかり食べてしまった。

「あー、おいしかった! 満腹だわ!」

 お皿を下げてもらうと、マルチナはここそとばかりに大きな伸びをした。

 ワンピースの下のお腹がぽっこりふくらんでいるのがよくわかり、ソニアはこっそり笑ってしまった。

「このあとはどうしましょうか? どこかおすすめはある?」

「うーん、そうだなあ」

 その時、外からギターの明るい演奏が聞こえてきた。

「路上演奏だ。聞いていかない?」

「賛成っ!」

 マルチナはイスを倒しそうな勢いで立ち上がった。


 外へ出ると、すでに十人くらいの人だかりが楽団を囲っていた。

 演奏をしているのはおじいさん三人組。全員がギターを担いでいるが、それぞれ形が少し違い、音の雰囲気も違っていた。

 手拍子をする人もいれば、二人組になって踊っている人もいる。みんな楽しそうだ。

「ねえ、わたしたちも踊りましょうよ、ソニア!」

 マルチナの目は、また海のようにキラキラしている。

「えっ、わたしダンスなんてできないよ。クルクル回るくらいしか……」

「それでいいじゃない! みんなただ回ってるだけよ」

 そう言い終わる前に、マルチナはソニアの両手を取って、その場で大きく回り始めた。

「ちょっ、ちょっと、早いよ、マルチナ!」

 マルチナは声を上げて笑いながら「まだまだ!」と言って、いっそう早くぐるぐる回った。

 ソニアたちに合わせて、音楽のテンポが早くなっていく。すると、周りにいた人たちは、拍手をしながら場所を開けてくれた。もっと気を良くしたマルチナは、右手だけをつかんで、ソニアの体をバレリーナのようにくるりと回した。

「今度はソニアもやってちょうだい」

「えっ。こ、こう?」

 クラクラした頭のまま、マルチナの右手を持って高く上げると、マルチナは自分からくるりと優雅に回った。周りから拍手を送られる。

「ほらね。これだけでダンスに見えるのよ!」

 食後のダンスはそのあとも十分は続いた。

 最初は恥ずかしかったソニアも、マルチナも楽団の人も、周りの人もみんなが笑っていると、だんだん楽しくなっていった。いつの間にか、ソニアも声を上げて笑っていた。

 そして、帰港した船がボーッ! と汽笛を鳴らすと、それを合図にしたように丸いギターがジャガジャガとかき鳴らされ、演奏が終わった。その途端に、拍手喝采が起こった。

 ソニアたちは、いつの間にか五十人以上の輪の中心にいたらしい。

「楽しい舞をありがとう、お嬢さんがた」

 楽団のおじいさんが、平たい帽子をヒョイッと上げた。

「こちらこそ、素敵な演奏をありがとうございました。すごく楽しかったです!」

 マルチナがそう言うと、また拍手が起こった。

 こんなに目立って大丈夫かな、とソニアは少し心配になった。しかし、マルチナの笑顔を見るとそんなことはどうでもよくなった。

 せっかくマルチナと一緒にいられるんだから、今はそれを楽しまなきゃ。

 ソニアはそう強く自分に言い聞かせた。

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