3.予想外の出来事、ルフブルク大学にて2

 ラファエルが戻り次第すぐに宿泊しているホテルに連絡が入ることになり、一度ベンノたちとは別れることになった。仕事があるベンノに代わり、ビアンカが大学の出口までソニアたちを送ってくれた。大学の中は通路や階段が複雑に交錯しているため、初めて入った人はとても一人では出られないのだ。

「この後は、どちらに向かうんですか?」

「ファル時計店に行こうと思っています。こちらの国は時計が有名だと聞いたので」

「それは良いですね。時計職人を養成する学校もあって、国外からも職人になりたい子どもたちが集まってくるんです」

「時計職人の学校!」

 ソニアが興奮した声を上げると、ビアンカは目をパチパチさせた。

「あ、ごめんなさい、大きな声出して……」

「ふふふ、大丈夫ですよ。ひょっとして時計に興味が?」

「はい。わたしが時計が好きで、父さんが懐中時計を贈ってくれたんです。その時計が作られたのも、この国なんですって」

「そうだったんですね。学校にはあなたくらいの年齢の子もたくさんいます。進学先として視野に入れるのもいいかもしれませんね」

 自分が時計職人に?

 考えたこともなかったことだ。

 ソニアは胸がはち切れそうなくらいドキドキしていることに気が付き、マルチナとつないでいる手をギュウッと握り締めた。すると、マルチナがクスッと笑ったのが聞こえてきた。

「おやあ、どちら様ですか」

 鼻にかかった嫌味っぽい声に、その場にいた全員が右に続く廊下の方を見た。そこには、三角形の眼鏡をかけ、三角形の鼻をし、ひょろりとした男性が立っていた。ビアンカやベンノと同じ制服を着ているため、この学校の教授だとわかる。

「ホルストさん、もうすぐ会議では?」

 ビアンカの声にはトゲがある。しかしホルストと呼ばれた男性は少しも気に留めていないようだ。ツカツカとソニアたちに向かってくる。

「私なら遅刻をしても問題ない。それよりもそちらの方々は?」

「客人です」

「誰の?」

「……ラファエル・アンカーの」

「何が目的で?」

「著書について少しお伺いしたいことがあったんです」

 そう答えたのはテオだ。テオはホルストの前に立ち、握手を求めた。

「テオ・セラと申します」

「文学部長のホルスト・シュターデです」

「文学部長様でしたか。来訪を受け入れていただき、ありがとうございます」

「いえいえ、私は何も。それよりもアンカーは確か、今朝から行方不明ですが。お会いできましたか?」

 答えがわかっていて聞いてくるなんてどういうつもりだろう、とソニアは腹が立った。それに意地の悪い話し方も気に入らない。

「突然のことでしたので、何か御用があったのでしょう。ですがご心配なく。我々もまだ猶予がありますので」

「それはよかった。アンカーは我が校きってのですので、ご迷惑をおかけすると思いますが、どうか彼個人だと思って下さい。他の者はまともですので」

 ホルストは自分をにらみつけるビアンカを一瞥した。ふたりの目が合った瞬間、ソニアは火花が散ったような気がした。

 しかしソニアもホルストのことは好きになれないと思った。大学にいるということは、ラファエルはソニアより年上である可能性が高い。それにもかかわらず「問題児」と子ども扱いをしたり、本人がいないところで悪口を言ったり。この人の方がよっぽど子どもみたい、と思った。

「ラファエルさんも素晴らしい著書を書かれているではありませんか。ホルストさんのご指導のおかげでは?」

「いやあ、あれと私は馬が合わないので。品の欠片もない人間とは関わらないと決めているんです。それも魔法使いですし。野蛮極まりない」

 次の瞬間、ソニアはホルストにとびかかろうとするマルチナを必死に押さえつけた。

「落ち着いて、マルチナ!」

「だってあの人、魔法使いを野蛮だって言ったのよ!」

「わたしも腹が立ったけど落ち着いて! あの人、ラファエルさんが嫌いなんだよ!」

 ふたりはヒソヒソと怒鳴りあう。それに気が付いたカリーナが、そっとふたりを隠すように立った。その後ろ姿から怒気を感じ取ったふたりは、すぐに黙った。

「ホルストさん、言いすぎですよ。彼の性格と、彼が魔法使いであることは関係ありません」

「お前は相変わらず魔法使いに甘いな、ベル。まあ良い。アンカーのせいで計画が崩れたでしょうが、我が国での滞在をお楽しみください」

 ホルストはニタリと笑って、もと来た廊下を戻って行った。その後ろ姿が影に隠れると、ビアンカが「すみません!」と叫んだ。

「ソニアさん以外は魔法使いだとわたしは聞いていたのに、ホルストを止められず……。本当に申し訳ないです」

「いえ、気にしないでください。年配の方ですと、まだああいう考えの人はいますから」

 テオはにこやかに答えたが、その背中はピンと張りつめている。テオも相当腹が立ったのだろう。

「でも、本当に、なんと謝ったら良いのか」

「謝るのはあの人よ。ビアンカさんは気にすることないわ」

 マルチナは落ち着きを払って言った。カリーナの怒りが相当効いたらしい。

 確かにいつも穏やかなカリーナが、あんなにも敵意を向けることがあるなんて、ソニアも驚きだった。そしてたった今目の当たりにした魔法使い差別に、ソニアはうまく言い表すことのできない気持ちの悪さを感じた。

 魔法使いだからといって、何が違うというのだろう。

 息をして、目で見て、触れることができて、一緒に笑うことができる。

 違いなど、魔法が使えるというたった一つしかない。

 それがホルストのような人間にとっては大きすぎることなのだろうか。

 ソニアにはわからなかった。


 見送りを追える最後まで、ビアンカは悲し気な顔をしていた。マルチナたちを護れなかった自分を悔いているようにも見えた。

 悪いのはあの人なのに。

 ソニアもなんだか悔しくなり、グッとくちびるをかみしめた。

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