8.魔法使いの話、アンカー宅にて1
ラファエル・アンカーという人物をどんな風に想像していたか思い出せないほど、本人を一目見た時、ラファエル・アンカーその人だ、とソニアは思った。
顔を覆う長さで切りそろえられた銀色の髪は、櫛を通していないのかバサバサしている。グレーの目は眠たげだが、目尻はキュッと鋭い。そして時計塔のように背が高く、細い。その体をビアンカと同じ大学の教授用の制服で覆っている。その風貌は、まさにラファエル・アンカーだった。
ラファエルは不機嫌に口をへの字に曲げ、「ん」とぶっきらぼうに言った。
「あら、中に入っていいの。珍しいわね」
「ここまで来られたら、入れねえわけにいかねえだろ」
聞いていた通り口が悪い。マルチナはその話し方が面白いのかニコニコしている。マルチナのお屋敷には、こんな風に話す人はいない。珍しく感じるのも無理はないだろう。
「それじゃあ、遠慮なくお邪魔しましょう、皆さん。あ、これ、お土産だから。これと一緒に五人分お茶ね」
マジパン入りの袋を渡されたラファエルは「チッ」と舌打ちをして、キッチンに消えて行った。
ビアンカに導かれ、ソニアたちは入ってすぐのリビングルームのソファに座った。ラファエルの家のソファもかなり古いもので、革張りがとれて、中の綿が見えている部分がある。カーペットも何度も洗われたらしく、模様が擦り減っていて、太陽光で壁紙が褪せた壁には古い時代の地図が貼られている。部屋の雰囲気を見ていると、確かにラファエルとベンノ教授は気が合いそうだ、とソニアは思った。
「うまい茶なんて、期待すんなよ」
そう言って現れたラファエルは、手にマジパン入りの缶だけを持っている。その後ろを、お茶を淹れたトレーがフヨフヨと浮かびながらついてきた。
「まあ、すごい魔法! 物が自在に操れるんですか!」
マルチナが思わず立ち上がると、ラファエルは一瞥だけして、一人掛けのソファに座った。それと同時にトレーがテーブルの上に着地した。
マルチナも仕方なくソファに座りなおす。マルチナに引きずられたソニアも、きちんと座りなおした。
「それで、要件は?」
「ラフィにも手紙を読ませたでしょう。二年前に出した本について、聞きたいことがあるっていう方たちよ」
ラファエルはマジパンを一つ口に放り込むながら、「ああ」とあいまいに答えた。
「まずはご挨拶をさせてください。ポルタリアから参りました、テオ・セラと申します。ラファエルさんの本を拝読して、ぜひ直接お話を伺いたいと思って」
「……あの本に興味持つ奴がいるとはな」
「とても興味深かったですよ。魔法の気配を隠すという発見は素晴らしいものです。魔法使いが身を護るためには必要な……」
「前置きは良い。手紙に書いてあったことを、もっと詳細に話せ」
ラファエルの声色が変わった。追及するような厳しい声だ。
テオは「失礼しました」と言い、咳払いをした。そして、マルチナのことを手で示した。
「俺と、彼女、それからあちらの女性も、あなたと同じ魔法使いです。それで話というのは、この子、マルチナについてです」
「マルチナ・フォルテスです、初めまして」
マルチナが手を差し出したが、ラファエルは見向きもしない。マルチナは少しムッとして、すぐに手を引っ込めた。
「手紙でも簡単にお伝えしましたが、改めてお話させていただきます。単刀直入に言います。マルチナは、懐中時計を持った状態のソニアに触れていると、魔法の気配が隠れるのです」
マジパンに手を伸ばしていたラファエルがピタッと止まった。そして、じろりとテオをにらんだ。
「おちょくってんのか?」
「わざわざ海を渡ってまで、人をおちょくる趣味はありません」
テオは毅然とした態度で言い返す。ラファエルは「ハッ」と笑って、マジパンをもう一つ食べた。
「つまり、マルチナの魔力を隠すのは、ソニアか、時計自体の金か銀か、受け石に使われてるサファイヤかルビーだろうな。でも前者はあり得ねえな、俺の定義では」
あまりの結論の速さに、全員が呆気にとられた。すかさずビアンカが声を上げる。
「せっかく逃げたラフィを追いかけてきたんだから、もっとまじめに取り合いなさいよ。ベンノさんの顔に泥を塗って。ラフィのせいで、いつもベンノさんがホルストに嫌味言われてるのよ」
ラファエルの目がピクッと引きつった、「あのくそじじい」とつぶやいている。マルチナは「くそだって」と面白そうにソニアにささやいた。
「それじゃあもう少し聞いてやる、話せよ」
「ありがとうございます。我々もできる限りのやり方で、マルチナの魔力を隠すものが何なのかを探りました」
テオはテーブルの上に持ってきた資料を置いた。
「まずは魔力を隠すのは『ソニア』だと仮説を立てて、『時計を外した状態のソニア』とマルチナに手を繋いでもらいました。しかし魔力は隠れませんでした。次に、『時計を持った状態のソニア』とマルチナに手を繋いでもらいました。すると、魔力は隠れました」
ラファエルはまたマジパンを頬張りながら「だから今は隠れてるってことか」とつぶやく。
「この結果から、『ソニアの時計』がマルチナの魔法の気配を隠す、と新たな仮説を立てました。しかし、ソニアの時計を持っても、マルチナの魔法の気配は隠れませんでした。ここで一つ気を付けなければならないことが。ソニアの時計には、本物の金は使われていません、金属は使われていますが。そのため、ラファエルさんの本になぞらえるならば、マルチナの魔法の気配を隠しているのは、時計の中のサファイアということになります」
少しずつラファエルの体がテオの方に向いて行く。話に興味を持ち始めたらしい。
「そこで今度は、サファイアがついた壺や宝飾品などを持たせてみました。しかし、魔法の気配は消えませんでした」
「だから『時計を身に着けたソニア』と接触することで、マルチナの魔法の気配が隠れる、という結論に至ったってわけか」
ラファエルはもう一つマジパンを口に入れると、スクッと立ち上がった。
「興味深い話だった。今の話でいろいろ考えることがある、帰ってくれ」
「はあ! ちょっと待ちなさいよ、ラフィ!」
テオが声を上げる前に、ビアンカが怒鳴り声をあげた。ズンズンと二階に続くドアの方へ歩いて行くラファエルの腕をつかむ。
「話させるだけさせて、何も答えないはないでしょう! 今の話から、あんたに聞きたいことがあるのよ!」
「俺も今の話で思いついたことがあるから、それをまとめたいんだよ、離せ」
「離さないわよ!」
ラファエルは力がある方ではないらしく、ビアンカがグイグイ引っ張ると、少しずつドアから離れていく。それを見たマルチナはソニアの手を離してダッと駆け出し、ラファエルの空いている方の手を掴んだ。
「ちょっとでも良いから、手がかりをください! お父様たちに心配かけたくないんです!」
マルチナが叫ぶと、ラファエルがぴたりと抵抗をやめた。
「……父親のためか?」
「はい。自分のことは自分で護れるって、証明して、安心させたいんです」
「そんなのは子どもの自己満足だ」
ラファエルはそう吐き捨てるように言った。しかし言葉とは裏腹に、ふたりの手をするりと抜け出し、ソファに戻ってきた。
「ビアンカ、書斎から紙とペンを持ってこい。考えたことをまとめながら、話をする」
ビアンカはニヤッと笑い、「もうあるわよ」と言って、自分のカバンから紙とペンを取り出し、テーブルの上に置いた。ついでに、ラファエルの頭に拳を一発お見舞いした。
「お前の家族のためだからな」
ラファエルが頭をさすりながらそう言うと、マルチナは「はいっ」と元気よく答えた。
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