20.未来へ、波止場にて

 一年後の夏の始まり。ソニアは大きなカバンを持って、波止場にいた。その隣には同じく大きなカバンを持ったテオがいる。

 ドイツェリクに向けて出発するふたりを見送りに来たのは、マルチナはもちろん、エリアス父さん、ソフィア母さん、マテウス、ルシア、カリーナ、それからソニアの学校の友達と、マルチナのお屋敷の子どもたちだ。他の乗客たちは見送り人の多さに驚いている。

 出発前から目立っちゃった、とソニアは少し恥ずかしくなった。


「あーあ。テオ先生まで行っちゃうなんて、つまんないわ」

 マルチナが唇を尖らせると、テオが慰めるように肩を抱いた。

「悪いね、マルチナ。ラファエルが研究に付き合うようにどうしても来いっていうから、一か月だけ行ってくるよ」

「ラファエルのやつう」

 一年前の訪問以降、マルチナたちとラファエルは文通を続けていた。


『拝啓 ラファエル様

…………今この世界でマルチナの魔法の気配を隠すのは二つ。

一つは、アロイスさんが作った時計とサファイヤです。

しかしサファイヤとはいっても、時計から取り出したサファイヤだけを持っても意味がありませんでした。

あくまで、時計の中に入った状態でなければ、魔法の気配は隠れませんでした。

もう一つは、ソニアとソニアの懐中時計のセットです。

一つ目が見つかった今も、相変わらずソニアと手を繋ぐと、マルチナの魔法の気配は隠れてしまいます。…………』


『テオ

…………後者に関しては、俺の危惧するところではあるが、あのふたりなら問題ないだろう。

ただ、マルチナにはあまりソニアをふり回さないように言っておけ。

……それから、協力を仰ぎたいことがある。マルチナに近しい者がこちらに来るように。できれば大人が良い。…………』


 ラファエルが気になっていた「物質以外に、人間や環境要因などが、魔法の気配を隠す理由になる」という件に進展があった。そこで、実験台としてテオがドイツェリクへ向かうことになったのだ。

 瞬間移動の魔法を使うように頼んでみたものの、返事はなかった。ラファエルらしいが、これにはマルチナはご立腹だった。

「でも、わたしは本当に行かなくて良いのかしら。今からでも行くわよ」

「今回は俺だけってことになってるから、マルチナは留守番を頼むよ」

「はいはい、任されました!」

 テオとハイタッチをすると、マルチナは学校の友人と話していたソニアの方に歩み寄った。

「ソニアの方はいよいよ入学ね。忘れ物は無い?」

「うん。父さんと母さんと十回も見返したもん」

「それなら大丈夫ね」

 ソニアの後ろに現れたソフィア母さんは「そうねえ」と言い、ソニアをギュッと抱きしめてきた。

「半年後には会えるのよね」

「うん。長期休暇だって」

「それじゃあ、半年間たくさん手紙を書くわね。母さんを忘れないように」

 そう話す母さんの声が震えていることに気が付くと、ソニアはいっそう強く母さんに抱き着いた。

「忘れたりしないよ、絶対に」

「……ありがとう」

 母さんが泣き出すと、エリアス父さんは母さんを右の胸に抱いて、ソニアを反対の胸で抱きしめた。

「くじけそうになったら、いつでも父さんたちを頼るんだぞ。父さんたちはいつもソニアの味方だからね」

「うん。ありがとう、父さん」

「それから、最初の一か月はテオさんに、その後はアロイスさんたちにも頼らせてもらいなさい。父さんからご挨拶してあるからね」

「できれば頼らないで済むように、勇ましくやるよ」

 ソニアがいたずらっぽく笑うと、エリアス父さんも二ッと歯を見せて笑った。

「ふふふ、ソニアったら、今もすでに勇ましいわよ」

「本当に? マルチナと一緒にいろいろ経験して、自信が付いたのかな」

 ソニアとマルチナはもう一度正面から向き直った。

 マルチナの銀色の長い髪と、ソニアの茶色く短い髪が海風でサラサラと揺れる。

 マルチナの青い目と、ソニアの緑の目が互いの姿を映している。

 マルチナのピンク色の唇と、ソニアの肌色の唇が弧を描いている。

「それじゃあ、行ってくるね、マルチナ」

「ええ。気を付けて行ってきてね。また会える日を楽しみにしてるわ」

「わたしも、会える日を糧にがんばるよ」


 船が汽笛を上げる。

 ソニアとテオは眼下に見えるたくさんの見送りが、ほんの小さくなるまで手を振り続けた。

 やがて人々も、波止場も、タイルで彩られた町も見えなくなると、ソニアは目を閉じた。

 銀髪と青い目とピンク色の唇が瞼に焼き付いている。

「……ありがとう、マルチナ」

 そうつぶやいて、ソニアは甲板を歩き出した。







 汽笛が鳴る三分前、マルチナが「あっ」と声を上げた。

『――そういえば、ずっと言いそびれてたんだけど』

『なあに? また逃げ出そうとか言わないよね』

 マルチナは笑いながら「まさか」と言う。

『わたしの魔法の気配を隠すのは、この時計とサファイアだってわかったでしょう』

『うん。よかったね、見つかって』

『ええ。でもね、ソニアとソニアの懐中時計が、わたしの魔法の気配を隠してくれたのも事実よね』

『そうだね。サファイア入りのわたしの時計を持つだけじゃ、マルチナの魔法の気配は消えなかったからね』

 マルチナは歯を見せてニッと笑うと、ソニアの手をそっと握って来た。

『やっぱりソニアってわたしにとって特別な人だわ! ソニアがいたからこの時計とも出会えた!』

『そんなこと? お礼なら何度も言ってくれたじゃない』

 マルチナは今度は少し怒ったような顔になって頬を膨らませた。

『違うわよ! わたしたちは特別な仲だってことが言いたいの! わたしの魔力が最初に隠れたのはソニアとその時計のおかげで、ソニアの夢はわたしとの旅のおかげでできたのよ。これを特別な仲と言わずに何と言うのよ!』


 「特別な仲」

 その言葉は、ソニアの胸の中で一等星のようにきらりと強く光り輝いた。


 そうか、わたしはマルチナからそう言ってほしかったんだ。


 そう思ったソニアは、照れくささにはにかんだ。

 マルチナはまた笑顔に戻ると、ソニアをギュウッと抱きしめてきた。

『大好きよ、ソニア。わたしの特別な親友!』

『わたしも大好きだよ、マルチナ。わたしの特別な親友』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マルチナのかくれ石 唄川音 @ot0915

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画