9.それぞれの話、ソニアの家にて5
ふたりで向かい合って座ると、マルチナは右手の指を三本立てた。
「使える魔法は、全部で三つ。使い方は、親指とそれ以外の指をこすり合わせながら、呪文を唱えるだけよ」
「たったそれだけ! 信じられない……」
「論より証拠よね。見てて」
マルチナは親指と薬指をこすり合わせながら、「門を開けて」と唱えた。するとソニアのベッドの上に、キャンディが入ったコロンとした形の瓶が現れた。
瓶を手にとってランプにかざすと、虹色のキャンディが宝石みたいにキラキラ光った。
こんなに鮮やかな色のキャンディ初めて見た!
「今のが、物を引き寄せる魔法。置いてある場所がハッキリとわかれば、なんでも引き寄せられるとは思うんだけど、今のところは自分の部屋のものしか試したことがないわ」
「そういえば、昼間にもイスを出すのに使ってたね」
「拍手をすれば、元あった場所に戻るの。でもよかったら、そのキャンディはソニアにあげるわ」
「えっ、こんな高そうなもの、悪いよ」
「今日のお礼よ」
マルチナはパチンと片目を閉じた。そしてソニアが何か言う前に、「次は変装に使ってる魔法よ!」と声を上げた。
今度は親指と中指をこすり合わせながら、「
ソニアと同じくらいのショートカットに、そばかすがある活発そうな女の子だ。
「自分の変装している姿を、頭の中でしっかりと思い描きながら呪文を唱えるの。この姿のイメージは、ソニアと毎日遊べる町娘よ」
イメージのテーマまで教えられたソニアは、思わずクスッと笑ってしまった。
「あれ。目の色はそのままなんだね。あと声も同じだよね」
「目の色と声は変えられないの。でもたくさん練習すれば、体型は変えられるわ。太らせたり、背を伸ばしたり、あと、わたしの近侍が馬から人間になったように、動物に変装することもできるわ」
「えっ! 近侍の人たちって、馬が本当の姿なの?」
「わたしたちが路地裏で会った一人はね。あとの二人は人間の姿が本物で、馬に変装してたの」
マルチナは「馬になった方が足が早くなるから」と答えて、パンッと手を叩いた。すると、マルチナの姿は元に戻った。
本当に一瞬で変わるんだから、魔法って本当にすごい。
「あとは、親指と人差し指をこすり合わせて『火を灯して』って言うと……」
こすり合わせている指の隙間に、細長い火が灯った。ソニアは慌てて「熱くないの?」尋ねる。
「大丈夫よ。でもちゃんと燃やす力はある火だから、気をつけてね」
こすり合わせている右手を軽くふると、火が消えた。この魔法はマッチを消す時と同じ方法で解けるようだ。
「わたしが使えるのは、この三つだけよ。魔法使いのくせにちっぽけでしょう」
マルチナは耳の後ろの髪を指にからませながら、肩をすくませた。
「そんなことないよ。人間だったら、遠くのものを引き寄せることなんて不可能だし、変装するには時間もお金もかかるし、火をつけるのにだってマッチか火打ち石がいるんだよ? それを身一つでできるなんてすごいよ。もっと自分をほめればいいのに」
ソニアが「わたしだったら、色んな人に自慢するけどな」とおどけると、マルチナはフフッと笑った。
あ、ちゃんと楽しそうな笑顔だ。
「ソニアって優しいわね。ありがと。確かにこの三つの魔法だけで、あの
マルチナは自分の右手を、左手で労うように優しくなでた。
「そうだよ。むしろ、それだけでよく抜け出せるね。あの近侍さんたちとか、門番さんとか、どうやってかいくぐってるの?」
「わたししか知らない抜け道があるのよ。お手洗いに行くふりをすれば、近侍は付いてこられないから、その隙に抜け道を使って、全速力で走るの。普段の運動が役に立ってるわ」
マルチナは物語の悪者みたいにニヤッと笑った。
その顔を見ると、マルチナには魔法がなくても、十分抜け出せそうだ、とソニアは思った。
それから、マルチナの魔法の火でキャンドルを付け、ふたりはベッドに横になった。
開け放ったままの窓から差し込む満月の月明かりが、マルチナの銀髪をチラチラと光らせている。まるで天にきらめく天の川のようだ。
「わたし、こんな風に友達と一緒に寝るの、初めてよ」
「そうなんだ。眠れそう?」
「しばらくは興奮して起きてる気がするわ」
マルチナはソニアの方を見て、にっこりと笑った。そして急に、またさみしそうな顔になった。
「……いつもはね、この部屋の三倍はある部屋の、この三つ分くらいのベッドで、一人で寝るの。寝具は毎日洗濯されていて柔らかいし、大きな暖炉があるから、寝心地はいいはずなの。……でも、どこもかしこもひんやりしてる気がして、全然寝付けないのよね。それに比べたら、今日は早く寝られそうだわ」
そう話すマルチナの目は、ソニアの方を見ているが、何か別のものを見つめていた。
その目をしたマルチナは、目の前にいるはずにもかかわらず、ものすごく遠くにいるように感じられた。
それがなぜだかすごくさみしくて、気がついた時には、ソニアはマルチナの毛布をつかんでいた。
「どうしたの、ソニア?」
不思議そうな顔をしたマルチナと目が合うと、ソニアのさみしい気持ちは風船がしぼむように消えていった。
よかった、ちゃんと目の前にいる。
「……明日、父さんは九時には出港するから、早起きだよ」
マルチナは「そっか! そうよね!」とウキウキ言った。
「船の出港ってどんな感じなの? みんな長いリボンを飛ばしたり、ハンカチを振ったりするの?」
「それは客船でしょう。父さんが乗るのはただの貿易船だから、身内以外はほとんど来ないし、あっさりしたもんだよ」
「えー、でもお母さまがハンカチを作ってるじゃない」
「あれは父さんのお守りだから、ふったりして飛んでいったら困るよ」
マルチナは「それもそうね」とクスクス笑った。
そのあともふたりはどちらかが眠くなるまでおしゃべりをした。
生まれた町が同じでも、ソニアとマルチナに共通点などほとんどなかった。だからこそ、お互いの話が知らない世界のことに思えて、おもしろく感じられた。
ソニアが先に眠くなって大きなあくびをすると、マルチナは拍手で火を消してくれた。そして、おやすみを言い合ってふたりで眠りについた。
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