3.出会い、港町にて3
馬の体のようなつややかな茶色いスーツに身を包んだ男の人は、よく見ると、顔も馬に似ていた。長いまつ毛は特に馬を彷彿とさせる。
マルチナがゴクッと唾を飲み込む音が、ソニアの耳に届いた。するとその音が聞こえたのか、眠っていたネコたちがハッと目を覚ました。そしてソニアたちに気がつくと「フシャッ!」と毛を逆立て、さらに狭い路地にターッと消えていった。
「もし、お嬢さんがた。この辺りに、急ぎ足の人が来なかったかな?」
「誰も通ってません」
「ウソをついていないかい?」
「本当です」
本当に誰も通りがかっていないため、ソニアは堂々と答えた。すると、男の人はそれまでの笑顔から真顔になって、「おかしいな、こっちでマルチナ様の魔力の気配があった気がしたのに」とソニアの顔を見ながら、ひとりごとのようにつぶやいた。
本当に、魔力でどこに誰がいるかわかるんだ。でもなんだか不便そう。だって今、目の前にいるのがマルチナだってことはわかってないんだもの。これって本当にマルチナの言う通り、わたしがそばにいて、マルチナの魔力の気配を消してるからなのかな。
ソニアが思考の旅に出ると、突然マルチナの声が上がった。
「魔力の気配で人を探してるってことは、おじさんも魔法使いなの?」
なんて大胆な行動!
しかし男の人は顔色一つ変えずに、「ああ」と短く答えた。
「君も、慌てた様子の人を見かけたりは?」
「してないわ。ねえ、その探してる人って、悪いことをしたの? 悪い魔法使いなら、わたしたち、気をつけなきゃならないわ」
そう言って、マルチナはか弱い女の子のように、一層強くソニアにしがみついてきた。さっきのマルチナの横柄な態度を見た後だと、すごくウソっぽく見えるな、とソニアは苦笑いをした。
「いや、そういうわけではない。わたしがお仕えしている方なんだ。奔放な方で、手を焼いているよ」
男の人は茶色い髪の頭をかきながら、スーツの内ポケットから鈍い金色の懐中時計を取り出した。
「もうすぐ乗馬の時間だというのに……」
そうつぶやくと、男の人はくるっと体をひるがえした。その後ろ姿には、ふさふさの馬のシッポが残っていた。ソニアは思わずハッと息を飲んだ。
うわあ! 本当に馬だったんだ!
「情報ありがとう。君たちがウソをついていないと信じて、他を当たるよ」
マルチナはニヤッと笑って「早く見つかるといいですね」と手をふった。
男の人の姿が見えなくなると、マルチナは満面の笑みをソニアに向けてきた。
「見たでしょう! あなたといれば、わたしはあいつらに見つからないのよ! すごいわ!」
「……そうみたいだね」
そう答えたはしたが、ソニアは実感が持てなかった。ソニア自身は何もしていない。しかし今起こったことは、動かぬ証拠になってしまった。
マルチナはソニアの肩に両手を乗せて、大きな目で上目遣いをしてきた。
「ねえ、街へ行きましょう! わたし、一度でいいから、ゆっくり街を歩いてみたかったの」
「えっ、無理だよ。わたし、もう家に帰らなきゃ」
「まだ四時にもならないじゃない。まさか門限でもあるの?」
「それは無いけど……」
その時、カーンカーンカーンカーンッと鋭い鐘の音が鳴った。四時の鐘だ。
「うちで、母さんが待ってるから」
そう言いながら、ソニアは母さんから頼まれた一番大切な買い物が終わっていないことを思い出した。それを言い訳にしようと、勇んで話し出す。
「それにまだ刺繍糸を買ってないから、すぐに行かなきゃ。絶対に今日必要なんだよ」
「絶対に」という部分を強調する。しかしマルチナは表情一つ変えずに答えた。
「それなら一緒に行くわ。手芸屋一つ取っても、わたしは好きにいかせてもらえないのよ。少しくらい付き合ってくれてもいいんじゃない?」
そう言われたらとてもではないがソニアは「来ないで」と言えなかった。
まさか手芸屋にも行けないなんて。わたしと同じ、十三歳くらいにしか見えないのに。
「……そりゃあ、お屋敷を抜け出したくもなるね」
ソニアがつぶやくと、マルチナはニヤッと笑った。
「そうよ! あの馬たちとの追いかけっこが好きなわけじゃないからね」
「あ、ごめん。まさかあなたがマルチナだと思わなかったから」
「ううん。あなたがあのおばさんと一緒になって、わたしの悪口を言わなくて、うれしかったわ。……どうせ、わたしは街では、近侍を困らせる『わがままお嬢様』だと思われてるだろうから」
確かに、マルチナの評判はあまり良くない。本人の自覚通り、マルチナはこの港町では「わがままお嬢様」と呼ばれているのだ。
さっきのおばさんが良い例だ。井戸端会議の議題に上がることも多いと、ソニアの母さんが言っていたことがある。
ソニアが黙り込むと、マルチナの方から話を変えてくれた。
「そうだ。あなたって呼ぶの、失礼よね。名前はなんていうの?」
「……ソニアだよ」
「へえ、良い名前ね。それじゃあソニア、わたしを手芸屋さんに連れて行ってちょうだい。あなたならできるわ!」
そう言って、マルチナは元気よく笑った。そんなにも屈託なく笑われ、気に入っている名前を褒められたら、ソニアは何も言えなくなってしまった。
「……わたしにできるかどうかはわからないけど」
ソニアはため息交じりにそう答え、マルチナと手を繋いで路地から出た。
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