7.それぞれの話、ソニアの家にて3
マルチナは「わたしはこっち!」と言って、二つ並んだベッドの右側にバフッと飛び込んだ。そして、ベッドマットにバスンとはね返されると、「いたたっ」と声を上げた。
「こ、こんなに固いベッドがあるの?」
「わたしからすると、ベッドはそれがふつうだけど」
マルチナは急に申し訳無さそうになって、「でも、お日様の香りがするわ」と言って、シーツにほほをすり寄せた。母さんが赤色の糸で刺繍をしたブランケットにも手を伸ばして、「気持ちいいわね」とささやいた。
「温かいベッドがあって、優しいご両親がいて、おいしいごはんがあって……。良いお家ね。ソニアのお姉ちゃんになりたいわ」
後から入る立場の自分を「お姉ちゃん」と言うあたり、やはりマルチナは大物だ。
「まあね。母さんも父さんも、わたしの自慢だよ」
マルチナはベッドに寝ころびながら、ソニアの方に顔を向けて「いいわね」とほほ笑んだ。
マルチナが横になっているのは、いつもソニアが寝ているベッドだ。マルチナが着ているのは、いつもソニアが着る寝間着だ。マルチナがいるのは、毎日ソニアが寝起きしている部屋だ。
見慣れている景色でも、マルチナがいるだけでいつも違う景色に見える。
やっぱりマルチナは絵になる人なんだな。
見とれている自分に気がつくと、ソニアは急に恥ずかしくなった。あわてて目をそらしながら救急箱を開ける。
「傷口見せて。お風呂で洗ったけど、もう一回手当てしなきゃ」
「そうね、お願いするわ」
傷口は思ったよりはひどくなかった。血も止まっているし、
「まったく大失態だわ、こんなにハデに転んで」
「確かに、しょっちゅう抜け出してるとは思えないケガだね」
最初に額の傷を消毒した。ツヤツヤした真珠のような額の傷はかなり小さいが、痕が残ったら大変だ。念入りに消毒して、痛み止めの
小さい傷だからか、マルチナはあまり痛がらずに、変わらない調子で話し続けた。
「いつもはこんなヘマしないのよっ。お屋敷ではいやってほど運動させられるから、体を動かすのは得意なの。乗馬にランニング、テニス、器械体操、スポーツ選手にでもするつもりかしらね」
「むしろ今までケガをしてないのが、良い偶然なんじゃない? あんな馬に追いかけられてるって知ってたら、誰でも慌てて転ぶと思うよ」
「言われてみればそうね。今日がツイてないんだわ」
ヒジとヒザも消毒し、軟膏を塗り、ガーゼと包帯で保護をした。
体中のあちこち包帯でぐるぐる巻にされたマルチナは、自分を見下ろして、フフッと笑った。
「ううん。今日はツイてるわ。だって初めてアイツらから逃げられたんだもの、ソニアのおかげでね」
「……ねえ、それって本当にわたしのおかげなの? わたし、なんにも特別なことしてないよ」
それなのに「ソニアのおかげ」と言われると、くすぐったいような、うっとうしいような気持ちになる。
しかしマルチナは堂々とした態度で、「そうよ」と答えた。
「これまでもわたしは、逃げている間、色んな人のそばにいたわ。性別も、年齢も、職業も、身につけているものもみんな違ってた。それこそ今日のソニアみたいに、誰かに触れている時もあったわ。人混みの中にいる時もあったわ。でも、いつも見つかってしまったの」
ソニアは顔をうつ向かせて、消毒液の瓶のフタを開けたり閉めたりした。
「それなのに今日のアイツらは、わたしの目の前を通ったのに、振り返りもしなかった。そのあと、近侍と路地で会った時もまるで知らない子と話すみたいだったし、手芸屋に行ってる間も、街を歩いている間も、見つかったり捕まらずに済んだ。そして今までと違うところは、あなたがそばにいること。それもずっとあなたと手を繋いでた。ほら、これで、あなたのおかげだって証明できてるでしょう?」
「……言い分はわかったけど、何もしてないから、気になるんだよ」
「もう、強情ねえ。感謝は素直に受け取ればいいのよ、ソニア」
マルチナはズイッとソニアに詰め寄って、「ありがとう」と笑顔で言った。
ソニアは「うんー」と歯切れの悪い返事をして、救急箱を戻しに行こうと立ち上がった。
「あ、離れない方がいいかな?」
「さすがにあの人たちも、港の方までは来ないと思うわ。わたしが国外逃亡するほど利かん坊だとは思ってないだろうから」
マルチナはいたずらっぽく笑って「いってらっしゃい」と言い、包帯が巻かれた手をフリフリと振った。
街にあるありふれた手芸屋だけで、あんなにも喜ぶほどに寂しい思いをしてきたマルチナの役に立てるのは、ソニアもうれしかった。
しかし、マルチナが家の人たちに追われている身であることには変わりない。ソニアがマルチナの魔力を隠しているという確かな理由がないばかりに、マルチナが結局見つかったりしてしまったら。それで父さんたちに迷惑がかかったら。
そう思うと、ソニアは「わたしのおかげでうまくいった」と自信満々になることはできず、むしろ落ち着かない気持ちになった。
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