5.面白い話と残念な話、ファル時計店にて
「まず、時計職人学校は二年間で、いろんなことを学ぶの。わたしはまだ一年生だから、時計を作るって言うよりは、時計に関係することを勉強したり、作ったりしてるかな」
「例えばどんなこと?」
ユッタはカバンの中から真鍮製のピンセットのような道具を取り出した。
「基本はやっぱり時計工具を作ることかな。自分の道具は自分で作るんだ」
「えっ! 自分の道具を自分で!」
「すごーい! そんなことできるの?」
ソニアとマルチナの予想外の食いつきに、ユッタは「そうかなあ」と照れ臭そうに頭を掻いた。
「わたしの場合は手が小さいから、大人用はもちろん子ども用でも手に余ることがあるんだ。だから、自分の手に馴染む道具を作ったの。けっこう先生に手伝ってもらったけどね」
「それでもすごいよ。これ、ユッタが作ったんでしょう」
「そうそう。一か月前くらいに完成したから、だいぶ使い慣れてきたよ。触ってみる?」
ソニアはユッタの手の熱が残るピンセットを持たせてもらった。確かにソニアが知っているものよりは小さいが、ソニアにもユッタが作ったピンセットの方が持ちやすかった。続けて持たせてもらったマルチナも「良い感じね」と声を弾ませた。
「他には、機械式時計のムーブメント、えっと中の構造って言えば良いかな、それを学んだら、分解して実際に中の構造を見たりしたかな。油差しとかの手入れのやり方もその時に教えてもらったんだけど、細かいゼンマイとか歯車がいっぱいで、頭がクラクラしちゃった」
「その時、えっと、受け石? っていうサファイアとか、ルビーも見たの?」とソニア。
「良く知ってるね! うん、見たよ。宝石としてはかなり小さいけど、銀色のムーブメントの中で、星みたいに光ってる赤色と青色があると、すごくきれいなんだ。使われ方はかなり実用的だし、外側からは見えないけど、自分の時計に宝石が入ってるって思うと、ちょっとワクワクするよね」
ソニアはズイッとユッタに顔を寄せ、「その気持ちわかるっ」と息を巻いた。
「わたしも、あの時計にサファイアが入ってるって知った時は驚いたもん。そんなこと全然知らなかったし、考えもしなかったから」
すると、ユッタが「あはは」と声を上げて笑った。
「ソニアってば時計が好きなんだねえ。そんなに好きなら、ソニアも時計職人を目指せば良いのに」
「わあ、良いアイディアね!」
「えっ、わ、わたしが!」
ソニアはマルチナとユッタの顔を交互に見た。
「学校に行くだけじゃ職人見習いにはなれないから、学校に通いながらどこかのお店で修行しなきゃならないけど、それならうちの店があるし。ソニアなら大歓迎だよ! わたし、ソニアのこと気に入った!」
ユッタはソニアの肩をポンポン叩いた。本当に歓迎しているような笑顔だ。ソニアは胸がドキドキとして、「あ、ありがとう」とたどたどしく答えた。
自分が時計職人に。なんて素敵な考えだろう。
しかし以前リベルトと話をして、船乗りも良いな、とも思った。父さんと同じ船に乗れることもあるかもしれないのだ。
他にも、ソニアが知らないだけで、面白い世界があるかもしれないのだ。
ソニアは未知であふれた未来の眩しさが、少し怖くなった。
ソニアが黙りこむと、ユッタはすぐに「無理にとは言わないけどね」と付け足した。
「あ、いやだったんじゃないよ。むしろ、興奮して、なんて答えたらよ良いかわからなかったんだ。ありがとう、ユッタ」
「どういたしまして。それじゃあ、ソニアの参考になるようにもっといろいろ話すね。ちょっと待ってて。わたしの時計を持ってくるから」
ユッタはカバンをテーブルに投げ置いて、小部屋から出て行った。
「ふふふ。嬉しそうね、ソニア」
「……そう?」
ソニアが両手を自分のほほにあてると、マルチナはクスッと笑いながらうなずいた。
「面白い話ばっかりね。ユッタはすごく親切で、素直で、かわいい子だわ。妹にしたいくらい」
また妹だ、と思い、ソニアは吹き出して笑ってしまった。どこにってもマルチナはマルチナだ。
「なあに?」
「ううん。でも、本当に面白い話だね。家に帰ったら、母さんにも話してみるよ」
「それが良いわ」
話が終わったところで、銀色の懐中時計を持ったユッタが、ハアハア言いながら戻ってきた。
子どもたちが話をしている間、カリーナは子どもたちとテオ、両方の話に耳を傾けていた。そんな技術でも持っていない限り、マルチナの近侍は務まらないのだ。
「この時計の中に、摩耗や摩擦を減らすためのサファイアが入っているのは、間違いありませんか?」
「はい。この頃はルビーが主流なんですが、うちにはまだサファイアが残っているので、それを順次使っています」
アロイスはソニアの時計を見ながら、「懐かしいなあ、このブルーデザイン」とつぶやいた。
「今は作っていないのですか?」
「ええ。金や銀の素材のままが良いという意見を多くいただいて、塗装したものはあまり作らなくなったんです。うちは小さな時計屋なので、お客さんの要望にはできるだけ答えないとやっていけませんから。気に入ってたんですけどね」
店の奥からは人の声が聞こえてくるが、五人にも満たない数だ。確かに時計店としては少数精鋭だろう。
「なるほど。それで、本題なのですが。アロイスさんは何か魔法が使えたりは?」
「しません。使えたら埃掃除なんかは魔法でやりたいもんですよ」
アロイスは笑いながら壁に掛けてあるハタキを指さした。
「それじゃあ、魔法に関する知識はないということですね」
「はい。……時計と、何か関係が?」
「ええ。実は、この時計を持っているソニアに触れることで、わたしの魔法の気配が消えるという現象が起こったんです。それで、何か原因というか、その現象が起こった理由の手掛かりがないかと思い、こちらにお邪魔したんです」
「魔法の気配が消える、ですか。人間の我々には、想像がつきませんが」
「言葉足らずですみません。我々魔法使いは、魔法使い同士にだけ見える魔法のオーラのようなものを、体にまとっているんです。例えるなら、熱いものが湯気をまとうような」
アロイスはまじめな顔でうなずく。
「その魔力の気配というものは一人ひとり少しずつ違っていて、いわば魔法使いの第二の顔のようなものなのですが。それが、この時計を持つ人物に触れていることで、消えてしまったんです」
「それは、この時計の持ち主であるソニアに、何か理由があるわけではないのですか?」
「その可能性もゼロではありません。ですので、情報が必要で」
アロイスは話の内容は一応理解してくれたようだ。しかしその表情は芳しくない。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありませんが、この時計も普通の時計と同じように作り、特別なことは何もしていないので、私ではお力になれないと思います」
「そうですか」
「すみません、お力になれず」
「いえ、謝らないでください。むしろ、お時間ちょうだいしてしまって、すみませんでした」
「とんでもない。うちの時計について興味を持ってくださって、嬉しかったですよ。あのお嬢さん、ソニアもこのブルーデザインを気に入ってくれているようですし、職人冥利に尽きますよ」
アロイスとテオは穏やかに微笑み合った。
その後、ソニアたちは時計店の時計を見せてもらった。どれも素敵で購入する一品をたった一時間で決めることはできなかったため、また明日、店を訪れることになった。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、またのご来店をお待ちしております」
テオとアロイスはにこやかに握手を交わした。
「また明日ね、ソニア、マルチナ」
「うん。またね、ユッタ」
ソニアとマルチナもユッタと握手を交わした。
「ユッタってすごく良い子ね。わたし、大好きになっちゃった」
「ほんとだね。まさか初めての国で友達ができるとは思わなかったよ」
「旅って素敵ね!」
西日で顔の半分をオレンジ色に染めながら、ソニアとマルチナはフフッと笑い合った。
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