15.手を繋いで、船上にて3
ひとまずふたりは立ちはだかる巨大な階段を上ることに決めた。上の状況が分からなければ、何をすれば良いかもわからない。
ふたりはもう一人の悪党が戻ってくる前に階段を登ることができた。自分たちの体長の二倍はある階段を、手を繋いだままどうやって上ったのか。それはマルチナの魔法だ。「鳥のごとく自由に」と唱えながら、親指と人差し指―ネズミにも指があって良かった―を擦ると、ふたりの体がふわっと浮かび上がったのだ。
「すごいね、これもルシアさんが教えてくれた魔法?」
「そうよ。お母様は魔法を教えるのがうまいから、一日で飛べるようになったの」
飛び慣れているマルチナに導かれ、無事に五段の階段を上り切ると、壁に張り付いて甲板を見回した。
甲板にいる悪党は、魔法使いの男だけだった。どうやらたったふたりで乗り込んできたらしい。この小さい船だからだろうか。
魔法使いの男は、指をパチパチ鳴らして、ロープで縛ってある人々の周りをゆっくりと歩いている。
「もうっ。大人しくしててくれれば、ロープを歯で食いちぎれるのに!」とマルチナ。
ネズミになっても、怒った時のマルチナらしい表情は変わらない。
「でも、あれって魔法のロープなんでしょう。下手に触ったら、何かあるんじゃない? 前にエンリケが言ってたよ、魔法道具は不用意に触らない方が良いって」
「うー、そうだったわね。でも、それならどうしたら良いのよう」
マルチナは髪を指にクルクル巻き付けようとして、髪がないことに驚いた顔をした。
「さっきの話だと、わたしたちが無事だって伝えられれば、カリーナさんが何とかできるかもしれないってことだよね?」
「そうね。カリーナは今我慢してると思うわ」
「それなら、ロープには触らないように気を付けて、カリーナさんのところまで行こうよ。それでわたしたちが無事だって伝えれば、何とかしてくれないかな」
「それが一番手っ取り早いわね」
そう言い終える前に、マルチナがハッとして、ソニアの胸を指さした。
「そんな素敵な時計をしてるネズミなんていないから、きっとすぐに気づくわね」
二ッと得意げに微笑まれると、ソニアもフフッと笑った。
「そうだね」
カリーナまでの経路を確認すると、ふたりは甲板の隅を走り出した。
動いていない船で良かった、とソニアは思った。
甲板はまるで雑木林のように床板の木目がけば立っていて、避けて歩かなければ串刺しにされてしまう。
「キャッ!」
手を繋いでいるマルチナがドテッと派手に転んだ。ソニアは慌てて足を止めて振り返った。
「大丈夫、マルチナ?」
「釘が出てたの。痛いわ……」
マルチナの足元には人間であれば何でもないはずの釘が、ちょっとした石のように頭を出している。辺りを見回すと他にもそういう釘はちらほらある。先を急いでいても走ると危険が多そうだ。
「ここからは歩いて行こう、マルチナ。船自体は動いてないけど、波はあるから揺れてるし、これ以上ケガはできないよ」
「……そうね。ごめん、足引っ張って」
「そんなことないよ。立てそう?」
マルチナはネズミの目に涙をためてコクンとうなずいた。
ソニアが手を貸してマルチナを立たせると、ふたりは手を繋いで、壁伝いに歩き出した。
魔法使いの悪党はというと、相変わらず指を鳴らしながらのろのろと人々の周りを歩いている。この行動にどういう意味があるのかわからないところが怖いな、とソニアは思った。
階段と向かい合う壁までたどり着くと、ようやくカリーナたちの影に隠れることができた。人間が巨木のように見えた。みんな真っ青な顔をしている。
「ここから叫ぶわけにもいかないし、アイツの目を盗んで、カリーナのところまで行く?」
「そうだね。アイツが人間側の方に移動したら、走って行こう」
ゴツゴツゴツとブーツが鳴る。ネズミのふたりには、雷のようにやかましく聞こえる。ソニアはもう一度時計を握り締めて、心を落ち着けた。
「今!」
マルチナがそう叫ぶと、ふたりは繋いでいる手の力を強めて、カリーナの方へ駆けだした。
真っ直ぐな瞳で悪党をにらみつけているカリーナは、近づいてくるふたりにまだ気が付いていない。マルチナはカリーナの隣に座る女の魔法使いの足に隠れて、カリーナのズボンを引っ張ろうと手を伸ばした、その時。
「きゃあ、ネズミだわ!」
女の魔法使いが悲鳴を上げた。すかさず魔法使いの悪党がズカズカと歩いてくる。手が、小さな二人の方に伸びてくる。
「極彩色の鏡を見せて!」
マルチナが怒鳴った次の瞬間、ソニアとマルチナは、美しいメスのヒョウに変わっていた。
二頭の黒いヒョウの重さで船がぐらりと揺れる。
「フンッ。子供騙しな魔法だ」
悪党の魔法使いはそう言い、これ見よがしに手を挙げて指を擦ろうとした。しかしその手はカリーナのたくましい腕によって阻まれた。
「マルチナ様、ソニア様、ご無事だったんですね」
「カリーナさん!」
ソニアが声を上げると、カリーナは男の腕を体の後ろで縛り付けながらにっこりと笑った。
「ソニア様の時計のおかげで、すぐに判断することができましたよ」
それからはあっという間だった。
カリーナが悪党二人を制圧し、船は無事に出発した。ただし、離島に向けて出発した。ルフブルクの港まで悪党を乗せて行くわけにはいかない。ましてや一人は魔法使いだ。カリーナが寝ずに見張りをしたとしても危険だろう。
船が戻ってくると、島中の人が集まって来て、すぐに警察もやって来た。島の警察はこんな事態は初めてだったが、責任を持って対処をすると約束してくれた。また、船は点検対象となってしまったため、ソニアたちは港の宿屋に一泊することになってしまった。
「――散々な目に合ったな」
すべての事情聴取が終わり、全員がヘロヘロで宿屋に到着すると、ラファエルが待ち構えていた。
「あれ、どうしているの?」
マルチナがソニアの手を引いて駆け寄ると、ラファエルはふたりの肩に手を乗せた。
「これだけの騒ぎになれば、森がざわつくからな」
「森が?」
ラファエルはコクッとうなずき、テオたちの方を見た。
「全員無事みたいだな」
「何とかね」とビアンカ。その顔はとてもくたびれている。島に戻る間も、事情聴取でも静かだったビアンカは、そうとう疲れがあるらしい。
「今日はこのままここに泊まるのか?」
「うん。警察がそうしろって」とマルチナ。
「調査のためか?」
「ううん。それはもう終わったわ」
「それなら早く帰りたいよな」
「まあね。でも、仕方ないわよ。船も出ないし」
「船がないせいか……」
そう言うと、ラファエルは全員を手招きした。
「俺の周りに集まって、手を繋いで円を書け」
「なあに、急に」
マルチナがワクワクしながら尋ねると、ラファエルは二ッと歯を見せて笑った。
「早く帰れるぞ」
「えっ?」
ソニアとマルチナが顔を見合わせると、ラファエルは左手の親指と小指をこすり合わせた。
「門よ、開け」
そう唱えると同時に、ソニアは強い重力を感じた。思わず目をギュッとつぶってしまう。そして、そろそろと目を開けた時、ソニアたちはルフブルクで宿泊していた宿屋の前にいた。まだ明けきらない町は、人っ子一人おらず、シンッと静まり返っている。
「こ、これは、瞬間移動、ですか?」
テオの言葉に、ラファエルはうなずいた。
「これで慣れた宿屋のベッドで寝られるぞ。ゆっくり休めよ」
そう言うと、もう一度魔法を使ってラファエルは姿を消した。
「……アイツ、こんな便利な魔法が使えるなら、大学来なさいよ!」
ビアンカの叫び声が朝靄の町に響き渡った。その怒りの雄たけびに、みんなは声を上げて笑った。
こうして船上での事件は幕を閉じた。
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