49.ブライダルハンカチ
「エレノア様、……あの、……そろそろ……」
一人のメイドが遠慮がちに声を掛けてくる。栗毛に黒い猫目が印象的な少女・アンナだ。
「やっぱりダメ?」
「だっ、ダメです」
「ん~~……」
エレノアはきゅっと唇を引き結んで、手の中のそれに目を向けた。
真っ白なリネンで織られたハンカチ――ブライダルハンカチだ。右の端の方にクリーム色の糸で『Y』と刺繍され、その周囲はハルジオンの花で囲われている。
「ひっ、必要になったら、アタシが直ぐにお渡ししますから」
「ふふっ、分かったわ。その時はお願いね」
小さく肩をすくめてハンカチを渡す。受け取るアンナは安堵感を
これは彼女が作ったものであるのだ。他でもないエレノアとユーリから依頼をされて。
アンナは元お針子。その腕前は侯爵夫人である母から指名をいただく程のものだったが、同僚達から嫉妬を買ってしまい、利き手である右手人差し指を切断。引退を余儀なくされてしまった。
しかしながら、それでも彼女は糸を、針を、衣服を愛し続けていた。
ひょんなことからそのことを知ったエレノアとユーリが、彼女にブライダルハンカチの制作を依頼したというわけだ。
「アンナ」
「はい?」
「改めて、素敵なハンカチをありがとう」
「っ! いいいっ、いえ! そんな……。やっぱりあの……前みたいに上手くは出来ませんでしたけど、それでも楽しくて、嬉しかったですから」
「アンナ……」
「こちらこそ、その……ありがとうございました!」
アンナはぺこりとお辞儀をした。照れた表情を隠すように深く深く。
「次はわたくしへの裁縫指南ですね」
「う゛! それは、その……やっぱり自信ないんですけど……」
アンナは当初からこの件には後ろ向きだった。理由は単純明快、『口下手』であるからだ。
この短所は彼女が指を失った件にも繋がる。だからこそ、エレノアは彼女に依頼したのだ。彼女が少しでも前進出来るようにと。
(ようはお節介ね)
エレノアは内心で苦笑しつつ小さく咳払いをする。
「ダメよ。もうわたくしは決めたのです。妊娠中は貴方と裁縫を楽しむと」
「お子様のためにも、ストレスはかけない方が……」
「アンナ?」
「うぅ……あぃ……」
(ごめんなさいね。もっとゆっくり、貴方に歩みを合わせるべきなのでしょうけど、わたくしにはもう時間がないから)
重々しく肩をしずめる彼女に内心で謝りつつ、鏡の方に目を向ける。
鏡の中には純白のウエディングドレスに身を包んだ自身の姿があった。
ハイネック、長袖タイプのシンプルなドレスだ。シルエットはマーメイドラインを採用。首から肩にかけては美しい白のレースで覆われているが、装飾らしい装飾はその程度で、フリルはほとんど付けられていない。
三大聖教一族の令嬢であること、庶民派勇者であるユーリの立場を考慮してシンプルなデザインを選んだ。
『もっと派手なヤツにしましょうよ! フリルとかばーーって付いてるヤツ!』
『そうね。胸も大きく開いたものにしましょう。その豊満なボディはぜひとも強調するべきよ♡』
(色々な意見をくれたわね。ミラも、リリィも)
多忙の合間を縫ってドレス選びに付き合ってくれた。結局、彼女達の意見を汲むことは出来なかったが、それでも彼女達は満足してくれたように思う。他ならぬエレノア自身も。
(
他愛もない時を過ごせる存在。そんな存在を得ることが出来るなんて夢にも思わなかった。
(この出会いに改めて感謝を)
両手を組んで神に感謝する。彼女達と過ごした
「それにしても……うん。勇者様って、やっぱちょっと変わってますよね」
「ふふっ、どんなところが?」
祈りを解いて先を促す。アンナは預かったハンカチをじーーっと見つめながら続ける。
「何の迷いもなく『E』の方を選んで……。ふつー自分の名前が入った方を選びますよね?」
「ふふっ、そうね~、変ね~」
「さてはエレノア様、何か知ってますね?」
「いいえ、何も」
「むぅ……きっ、気になる……」
そう。エレノアには察しが付いていた。
ユーリが『E』のハンカチを手にした理由、それは永久にエレノアだけを愛する――その意思を示す意図だったのではないかと。
(わたくしの心は貴方のもの、貴方の心はわたくしのもの。死しても変わらず。この先もずっと……そういうことなのよね、ユーリ)
ついこの間までのエレノアであれば、ハンカチを取り戻そうとしただろう。けれど、今は違う。ユーリと同じように、死後の世界での再会を夢見ているからだ。
だが、エレノアはその夢を口にすることは出来ない。宗教上の理由からだ。死後の世界を想像することは、神に対し不敬であるとされているから。
故にユーリは訳を話さなかったのだろう。彼自身に限って言えば、明かしたところで何ら問題はない。権力摩擦を避ける観点から『無宗教者』にさせられている、つまりは信徒ではないからだ。
けれど、エレノアは違う。エレノアもまた同じ思いだ……などとうっかり口にしてしまったら、彼女は異端者になってしまうから。
(苦労をかけます。ごめんなさいね、ユーリ)
ユーリのハンカチを持ち続けることで、同意を示したことになる。これもまた、ユーリなりに配慮してのことなのだろう。彼の気遣いが骨身に沁みる。
「ひゃっほーい! ブノワサマ、かれーにとうじょう!!」
「ちょっ! ブノワ!!」
突如、小さな子供達が部屋の中に入って来た。少年と少女の二人組だ。
(見れば見るほどそっくりね)
二人の父親の姿をこっそりと思い浮かべながら、彼らを迎え入れる。
「お待ちしておりましたわ。わたくしの可愛いベルボーイ、ベルガールさん」
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