17.λとΩ

「俺も『はやて』が使えたらな~」


 颯はまさに神速で、馬の足をもってしても追いつくことは出来ない。ゼフが同行するのは実質的に不可能であるのだ。


「気持ちだけありがたく貰っておくよ」


「んん~? 何だ? 妙に爽やかだな」


「別に? そんなことないけど」


「呑み、スキップ出来てラッキー♡ とか思ってんだろ?」


「っ! ……さあ? どうだろうね」


「んの野郎~~っ」


 ビルはくすぐったそうに笑った。先程まで見せていた重苦しい感情は何処へやらだ。


(流石ね)


 彼らの付き合いは彼是かれこれ20年近くにも及ぶ。


 気の置けない『幼馴染』のような関係にある2人だが、つい最近までは主従の関係に。明確な上下があった。


 ゼフは使用人夫妻の子供。両親共にビルの父・キャボット男爵に仕えていたからだ。


 それが数か月前、ビルが勘当されたのを契機に一変。でフランクな関係を築くに至ったのだという。


「ほらっ、持ってけ」


 ゼフは丸いガラス瓶を3つ手渡した。


 回復薬。ビルにとってみれば欠かせないアイテムだ。彼は回復魔法を扱えない。傷付いた体を癒す術を持たないから。


「こんなに沢山……悪いよ」


「いいから持ってけ」


「でも――」


「いいから」


「……ごめんね。ありがとう」


 ビルは申し訳なさそうに目を伏せつつ、飴色のウエストポーチに回復薬をしまった。


「頑張れよ。戻ってきたら俺がたーんと癒してやるから――」


「あっ! あの!! そっ、それならアタシが!!!」


 唐突にミラが名乗りを上げた。と捉えたのだろう。


「あ゛? 見習いは引っ込んでろや」


 ゼフのこめかみに青筋が立った。その目には殺意が滲んでいる。


 予想の上をいくゼフの反応に、ミラだけでなく他の一行も瞠目。当のビルはといえば――見て見ぬフリだ。黙々と装備や体の具合を確かめている。


「はぁッ!!?? 見習いこそ経験を積むべきなんじゃないですかね~?」


でやれ。これは師匠命令だ」


「意味分かんない!!!」


 ミラとゼフがいがみ合う。互いに一歩も譲らない。エレノアもこれにはお手上げだ。微笑みを浮かべて見守ることしか出来ない。


「それでは、行って参ります」


 ビルは変わらずマイペースだ。いや、もしかすると離れることで事態の収束をはかろうとしているのかもしれない。


「ええ。どうぞお気をつけて」


 ビルは会釈をした後に、白い霧がかったオーラを纏った。


「っ!」


 瞬きする間に彼の姿を見失う。あとには足跡が一つ残るのみだ。


「ビル、愛してるぜ~」


 ゼフが投げキッス一つに見送る。その直後、堪り兼ねた様子のミラが吠えた。


「ゼフさん!!! 邪魔しないでくださ――」


に色目を使うのは止せ」


「えっ……?」


 ゼフは一層高圧的に、それでいて冷たい声音で言い放った。


 坊ちゃん。


 ゼフはビルがいないところ――裏では彼のことをそう呼ぶ。


 ゼフからすればビルは変わらず主人であり、忠義を尽くすべき相手。いや、であるからだ。


(こちらでもまた思いがぶつかり合っている……)


 ユーリと彼の両親がそうであったように。


「色目って、そんな言い方……」


「坊ちゃんは生涯をかけて剣術を極めるお覚悟でいらっしゃるんだ。お前のその気持ちは迷惑でしかねーんだよ」


「え゛っ!? なっ、何それ?」


 ミラの目がエレノアと隊長に向く。エレノアは知らない。だが、隊長はその事情を把握していたようだ。


「ああ。ゼフの言う通りだ」


「そんなの……寂しいじゃないですか」


「ミラ……」


「そうでもねえよ」


 レイが擁護に出る。ゼフは「待ってました!」と言わんばかりに瞳を輝かせた。


「『高み』何てものは目指し出したらキリがない。中途半端な位置にいればいるほど欲が出てくる。課題は山積。時間は有限。……ともすれば、切り捨てねえといけねえモンも出てくんだろう」


「そんな……」


「俺から見てもウィリアム殿の覚悟は本物だ。悪いことは言わねえからさっさと手を引け」


 レイは口にしなかったが、『λラムダ』であることも恋愛や婚姻を遠ざける要因になっているのではないかと思う。


 『λ』の才は別名『一世代限りの才』と呼ばれている。『λ』が台頭し始めて40年。未だかつて『λ』の才が実子に継承されたケースは確認されていないのだ。


 故に家庭を持つことへのメリット、必要性を感じない。才の継承がなされない分、『高み』に執着する傾向にあるのではないかと思えてならない。


「……エレノア様は違いますよね? 男の人だけ?」


「バカ。聖女様は『Ωオメガ』だ」


「何か違うんですか?」


「『Ω』の認定を受けた者には『継承の義務』が生じるの」


「それって……」


「ええ、そうよ。結婚して、沢山の子を産む。それが全『Ω』に課せられた義務です」


 『Ω』は血筋由来の才能だ。その才は子に引き継がれていく。ただ、その確率は非常に低く、必然的に多産であることを求められる。


 故に結ばれない。ユーリを待つことは出来ないのだ。


「ひどい……」


 ミラは顔を俯かせた。その肩は小刻みに震えている。同情してくれているのだろう。『λ』に比べあまりにも不自由であると。


(優しい子)


 エレノアは胸を温めつつミラの肩に触れる。


「それでもね、わたくしなりに足掻いてみようと思っているの」


 ミラが顔を上げる。恐る恐る。不安気な表情で。


 エレノアは自身の胸の前で両手を組んだ。魔法陣、オーラこそ出ていないものの、その姿は聖女の名にふさわしく神々しくも清らかで。


「この命続く限り、患者様をお救いする。それがわたくしの夢ですから」


 ミラを始め他の騎士達も息を呑んだ。それが何だか妙に気恥ずかしくて、エレノアは小さく咳払いをした。


「聖女様、皆様方」


 門の前には伯爵と老齢の家令の姿があった。いつの間にやら領主邸に辿り着いていたようだ。


 話しの途中だが切り上げざるを得ない。エレノアはミラに目礼して伯爵と向き直る。


「ペンバートン卿。ご厚意に感謝申し上げます」


「とんでもございません。感謝申し上げるべきはこちらの方です。どうぞこちらへ。ごゆるりと――」


「お待ちください」


「えっ?」


 レイが制止をかけた。そしてそのまま列の先頭へ。凄まじい剣幕で伯爵の前に立つ。


「これはこれは賢者殿。いかがなさいました?」


「……お前は何だ? 人間か? それとも魔物か?」


 一行に緊張が走る。騎士達は瞬時に臨戦態勢に入った。そんな中でエレノアだけが気持ちを整理出来ずにいる。


(どういうこと? あのお方は伯爵ではないの……?)


 何者かがふんしているのだとしたら相当な腕前だ。小柄でふくよかな体形。慈愛に満ちた面差し。やはりどこからどう見ても伯爵だ。偽物だとは到底思えない。


「はて? 何のことでしょう?」


「……目的は何だ?」


「困りましたな。私にも分かるようご質問いただきませんと」


「…………」


 らちが明かない。そう思ってのことだろう。レイは大きく舌打ちをして――伯爵に手を向けた。


「ぐああぁあああああッ!?」


 家令が伯爵を庇った。閃光と共に上がる悲鳴。戦慄く全身。十中八九あれは電魔法だろう。


「なっ……!?」


 レイにとっても想定外のことであったらしく、茫然ぼうぜんとしている。


「旦那、さま……っ」


 家令の体が崩れ落ちる。けれど、地に伏すことがなかった。


(浮いている? あれは……紐……?)


 よくよく見てみると、家令の腰に黒い紐状の物がくくりつけられていた。


「くっくっく……むごいことをする」


「伯爵……?」


 禍々しい紫色のオーラと共に伯爵の人好きのする笑顔が歪んでいく。非情で残忍なものへと。



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