46.表と裏

 顔を合わせるのは実に10年ぶり。先王に出立の挨拶をしに行って以来のことだった。


 罪悪感と気まずさから思わず後退りをしかけたが――寸でのところで踏みとどまる。


「ご挨拶に伺わなければ」


「俺もご一緒します」


「……助かります」


 ユーリのエスコートを受けつつクリストフの元に向かう。


 そんなエレノア達の姿を認めたらしいクリストフは、鼻でわらってみせた。牽制けんせいのつもりなのだろう。


 エレノアはそれとなくユーリの白い軍服の袖を掴んだ。そうすることで、辛々心を落ち着かせる。


 クリストフは変わらず美しかった。


 眩い輝きを放つブロンドの髪に、知性と品性を感じさせるアイスブルーの瞳。


 三大聖教一族・レイス家と姻戚関係になったためか、ブロンドの髪を長く伸ばして横に結んでいる。


 着用しているのはライトグレーの礼服だ。金糸と銀糸で彩られた花々の刺繍が目を惹く。


「やぁ、エレノア。久しぶりだね」


「ご無沙汰をしております、クリストフ様」


「まさか来てくださるとは」


 エレノアがカーテシーをしている間にユーリが切り出した。纏う雰囲気は予想に反してやわらかい。


「嫌味のつもりか?」


「そんなふうに見えます?」


 ユーリは笑顔だ。声も弾んで、何処かそわそわとしているように見える。


(嬉しいのね)


 素直にそう思った。


 一方で疑問も抱く。ビルやレイに対しては、もう少しさっぱりとした態度で接しているように思う。この態度の差は何だ?


……なのかしら?)


 ストレートに感情を表現することで、クリストフの警戒を解き、彼の凍てついた心を、幼い頃から刷り込まれてきた主義主張を解きほぐそうとしているのかもしれない。


 クリストフが内心で渇望し続けていた世界――『虚構の鎧』を脱ぎ捨てられる世界に誘うために。


「エラ、言い忘れていましたが、クリストフ様と俺は師弟関係にあるんですよ」


「えっ……?」


 エレノアやその周囲の人々が一様に驚きの表情を浮かべる。けれど、全員ではない。一部では知られた話であるようだ。


「ハーヴィー様からの勧めで、光魔法を教えてもらっているんです」


(ハーヴィー様が……?)


 ハーヴィーが当主を務めるフォーサイスと、クリストフの実家・リリェバリは、先王の統治を巡って対立していた。


 建国以来1000年以上にも渡って中立の立場を維持し続けていたフォーサイスが、先王の怠惰を理由に反意を示す。


 先王の系譜であるリリェバリがこの事態を容認出来るはずもなく、フォーサイスを徹底的に冷遇。


 ビルがあの日、先約があったハーヴィーを差し置いて、クリストフのパーティに同行せざるを得なくなったのはこのためだ。


 フォーサイスはビルを欠いたことで後れを取り、長兄・アーサーは殉職。ハーヴィーは右腕と左脚を失った。


(そんな背景を持つハーヴィー様が、ユーリに弟子入りを勧めるなんて……)


「主従関係になられたのはいつ頃から?」


「俺が15の頃、陛下が即位して間もない頃です」


 つまりは、変革が始まった年だ。


(政策に従って私怨をお捨てになられたのかしら?)


 ハーヴィーを始めとしたフォーサイスの真意は測りかねる。しかしながら、その選択が光明をもたらしているというのは事実であるようだ。


 言わずもがな、ユーリはクリストフに弟子入りをしたのを契機に、彼のことを慕うようになったのだろう。


 合わせて、彼の途方もない程の不安と渇望を理解。


(以来、擁護の立場を取り、救いの手を差し伸べるようになった。おそらくはそんなところね)


「何度も言わせるな。私は君の師ではない」


「ええ。まだ自称のままでもいいですよ」


「この先も改めるつもりはない」


「ははっ! 望むところです」


「……っ、話しにならない。不愉快だ」


 クリストフは眉間にしわを寄せて嫌悪感を露わにした。だが、どうにもリンクしない。伝わってくる感情はもっと別のものであるように思う。


 痩せ我慢。虚勢。


 そんな言葉が自然と頭を過った。


「クリストフ様!」


 一人の女性が駆け寄ってくる。クリストフの妻であり、エレノアの元同僚である聖女・シャロンだ。


 澄み切った昼の空を思わせるようなウェーブがかった青い髪に、漆黒の夜空を思わせるような濃紺の瞳が特徴的な美女だ。


 纏っているのは純白のドレス。金糸で花々や蔦の美しい装飾が施されている。頭には揃いの白いカチューシャを乗せていた。


「立場を弁えなさい! この農民風情が!!」


 咄嗟にユーリの方に目をやると――彼は目を伏せていた。何か言いたげではあるが、口にする気はないようだ。その意思を物語るように唇を固く引き結んでいる。


「何ということを……」


「先王派らしい物言いだな。呆れてものも言えん」


 会場内に緊張が走る。それでもシャロンは引かない。凄まじい剣幕でユーリに迫る。声と瞳には怒気が滲み、色白の手は小刻みに震えていた。


 彼女なりに必死になってクリストフを守ろうとしているのだろう。


(ご立派だわ。でも、このままでは……)


 必死になるあまり視野が狭くなっていると感じた。


烏滸おこがましいようだけど、これはわたくしの役割ね)


 10年前、エレノアはこれと似た失敗をしている。


 勇者の妻の責務。それに捉われるあまり見落としてしまったのだ。クリストフのサインを。彼の心の叫びを。


「シャロン様、ユーリには悪意はありませんわ」


「……は?」


 シャロンの憎悪がエレノアに向く。


「……っ」


 エレノアの全身が強張る。前回は――10年前はこの気迫に気圧されてしまった。


(臆してはダメよ。この機を逃したらもう……これが最期かもしれないのだから)


 エレノアは意を決して口を開く。 


「ユーリはただ皆と同様に笑い合い、助け合いたいだけなのです」


「……っ」


 クリストフのアイスブルーの瞳が揺れる。例えるならそう迷子の子供のようだ。


 不安、意地、恐怖心……様々な要因から助けを求められずにいる。やはりどうにもそんなふうに思えてならない。


「くだらない――」


「まったく」


「っ!」


 シャロンが怒号を呑み込んだ。クリストフの声が、ほんのわずかながら震えていることに気が付いたのだろう。


「君は変わらないな」


 クリストフは笑った。力なく、悲し気に。きっとこの表情はあの時と同じ。エレノアが見逃がしてしまった彼の本心なのだろう。


(この表情の意図は一体……。的外れだと……そう仰りたいの?)


 彼はもう望んでいないのだろうか? 孤独と重圧からの解放を。


 迷いが生じる。言葉が続かない。


「まさに破れ鍋にじ蓋といったところだな。


 クリストフは言いながらシャロンの肩を抱き寄せた。シャロンはクリストフの思いに応えるように、彼の広い胸をそっと撫でる。


「参りましょう、クリストフ様」


「ああ、そうだな。向こうで飲み直そう」


 項垂れている間にクリストフとシャロンが離れていく。すると、周囲の貴族達がタイミングを見計らったかのように囁き出した。


「ユーリ様とエレノア様のご厚意を……」


「ああ、まったく何たる無礼な」


 皆が口々にクリストフとシャロンを批難していく。我に返ったエレノアは慌てて擁護しにかかる。


「誤解です! 今のは――」


「無駄ですよ」


「っ! ユーリ」


「あの人達の味方は、今はもう限りなく少ないんです。貴方がいくら言葉を尽くそうとも、望むような結果にはなりませんよ」


「……っ、そんな」


 クリストフを始めとした先王派は、所謂『保守派』の権威主義者達だ。


 身分の垣根を超えた『団結』を理想に掲げる現国王派とは相容れず、時代に取り残されつつあるとは聞いていたが。


(まさか……ここまでだったとは)


「でも、クリストフ様とシャロン様は別です。貴方の気持ちはちゃんと届いたと思いますよ」


「気遣いはありがたいのだけれど……やはりわたくしにはどうにも……」


「良薬は口に苦し、ってやつですよ。直に分かります」


「そうかし……っ!? ……はぁ……」


 不意に倦怠感が押し寄せてきた。これは発作だ。『命の灯』が消え入りそうな程に細く、弱まっていくのを感じる。


「っ! エラ」


「……平気よ」


 このままユーリに身を委ねてしまいたいところではあるが、今はまだダメだ。


 そんなことをしたら、クリストフとシャロンの立場がますます悪いものになってしまう。


「……ユーリ……」


 エレノアは何気ない調子でユーリの耳元に顔を寄せ、そっと耳打ちをする。


「少し休ませてもらえないかしら」


「分かりました。休憩室をお借りしましょう」


「ごめんなさいね」


「いえ、こちらこそ。無理をさせてしまって」


「わたくしはただ貴方に身を任せていただけよ」


「……は? もうお忘れですか?」


「ああ……」


 鮮明に蘇っていく。甘くやわらかな唇の感触が、頭上で瞬き――固く閉ざされていった栗色の瞳が。


(あら? ふふふっ、まぁまぁ)


 ユーリは酷く恨めしそうな顔をしていた。裏を返せばこれは彼の純情のあらわれでもあって。


 抱えきれない程の多幸感に、自然とエレノアの口角が持ち上がっていく。


には絶好の機会ね」


「……あおらないでください」


 ユーリの不機嫌顔に淡い朱色が乗る。愛おしい。らしくもなく悪戯心が擽られていくのを感じた。


ね?」


 ユーリの口癖を拝借したところ、舌打ちが返って来た。それがまたおかしくて、エレノアは笑みを深めていく。


添えませんよ。万一にでも、婚前交渉と疑われるようなことがあっては事ですから」


 明言こそしなかったが、ユーリは知っているのだろう。エレノアの過去を。『性的放縦な聖女』という名のレッテルを貼られた過去があることを。


「面倒をかけます」


ですよ」


「まぁ? ふふふっ」


「さて、それじゃあ――」


 ユーリは咳払い一つに話しを切り上げると、すぐさまミラとリリィを呼び寄せた。


 結果、エレノアは靴擦れのていで中座をすることに。疑惑の目を避けるためか、ユーリは同行せず、介抱役はミラとリリィに一任することになった。


「ふふっ、そういうことならわたくしが」


「っ!? きゃっ!? まぁまぁ、リリィったら」


 リリィが率先してエレノアを横抱きにしてくれる。お陰で説得力が増し、一層スムーズに抜け出すことが出来たように思う。


「エレノア様、後のことは気にしないでゆっくり休んでくださいね」


「ありがとう」


 抹茶色のシェーズロングのソファに寝転がり、眠りの縁を目指していく。充実感と憂いの狭間で、一人漠然と揺れ動きながら。



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