30.生き様
ユーリに向かってそっと右手を差し出した。
「……っ」
ユーリは小さく息を呑みながら、おずおずと顔を寄せていく。
ブルーグレーの手袋に彼の唇が触れる。やわらかくそれでいて温かだった。
「とても綺麗です」
「喜んでいただけたようで何よりよ」
「……嬉しいどころの話じゃないですよ」
「まぁ?」
エレノアは控えめに笑いつつユーリに身を任せた。ゆっくり一歩一歩と階段をおりていく。
ユーリは完璧だった。手を握る力も、誘導するペースも、何もかも全部。
「おはようございます」
階下でビルと顔を合わせる。ユーリの時と同様に挨拶を交わした。
(素敵ね)
ビルはエレノアと同い年。今年で30になる。いい意味で抜け感が出たというか、ゆとりを感じさせるようになった。
(ほっとするわ)
言動から滲み出る温厚な人柄がその
(そんな貴方だからこそ寄りかかりたい、包まれたいと願う女性が後を絶たないのでしょうね)
「
――聖女
エレノアは微苦笑を浮かべつつ首を左右に振った。
「王都に戻り次第、聖女の職は辞するつもりです」
「えっ……?」
「なので、今後は名前で呼んでいただけますか?」
ビルは直ぐ様ユーリに目を向けた。ユーリは唇を噛み締めている。言わずもがな自責の念に駆られているのだろう。
(話題は……変えるべきでしょうね)
いくら言葉を尽くしたところでユーリはきっと納得しない。
(優しく責任感のある人だから)
エレノアはほろ苦い感情を胸にビルに問いかける。
「ユーリのマナー、とても仕上がっているわね。教えてくださったのはやはり貴方?」
ビルは何か言いたげではあったが、ぐっと言葉を呑み込んでくれる。
「ええ。基礎はルイスと僕が。仕上げは専門の方にお願いをしました」
「それはそれは隙のない布陣ね」
「ユーリはとても熱心でしたよ。エレノア様にふさわしい男になるんだ~って」
「まぁ!」
「っ!? 先生!」
「ごめん。でも、エレノア様にはどうしても知っておいていただきたくて。本当に、本当に頑張っていたから」
「……ったく……」
自然と目に浮かんでくる。励むユーリの姿が。そんな彼を見守るビルを始めとした仲間達の姿が。
「精進致しますわ。貴方にふさわしい女に。妻となれるように」
ユーリの目が点に。直後、何を言っているんだと言わんばかりに破顔した。
「貴方は追われる側。追うのは俺の役割ですよ」
「ダメよ。そんなことでは貴方に見限られてしまうわ」
「有り得ませんよ。そんなこと」
ユーリは自信たっぷりに一蹴してみせた。途端に興味が湧いてくる。
(貴方はわたくしのどんなところがお好きなの?)
共にいれば
ユーリは変わらず豪胆ではあるものの、年相応にシャイにもなってしまっている。
(教えてくれるかしら? ふふっ、根比べね?)
エレノアは再びユーリと共に歩き出した。エントランスを通り過ぎると馬車が。周囲には総勢五十名にも及ぶ兵士達の姿があった。
いずれも魔王討伐に参加した精鋭中の精鋭。攫われた過去があるとはいえ、10年前とは比べ物にならないほどの好待遇だ。
(恐れ多い。……いえ、わたくしは勇者ユーリの妻になるのよ。これしきのことで怯んでなどいられないわ)
エレノアは自身を鼓舞。縮みかけた背をぐんっと伸ばしてユーリと共に歩いていく。
「エレノア様。ご機嫌麗しゅう」
声をかけてきたのはフォーサイス家の当主ハーヴィー。『勇者の中の勇者』と称されるあの男性だった。
豊かなグレイのオールバック、口と
車椅子に座り、肩と膝に深緑色のブランケットをかけている。
体の凹凸が左右で異なっているのは、右腕と左脚がそれぞれ欠損してしまっているからだ。
にもかかわらず肉体は依然屈強なままだ。あの日から既に10年以上の月日が流れているというのに。
(そう……その心は変わらず武人でいらっしゃるのね)
ハーヴィーの姿勢から学べることは多々ある。
(けど……残念。
エレノアに残された時間はごく僅かだ。あれこれと手を伸ばすよりは的を絞るべきだろう。
「……っ」
結論付けたのと同時に、胸にぽっかりと穴が開いたような気がした。
(往生際の悪いこと)
エレノアは自嘲気味に笑いながら、ハーヴィーに向かって頭を下げた。
「ハーヴィー様。改めて感謝申し上げます」
エレノアは今回、そしてこれまでの数多ある支援に対し感謝の気持ちを伝えた。ハーヴィーは表情をやわらかに首を左右に振る。
「重ねて恐縮ではございますが、今後とも我が叔父・エルヴェをよろしくお願い致します」
レイの師であるエルヴェはこの地で眠っている。実家であるロベール家とは絶縁状態にあるからだ。
原因は単純明快。婚姻の拒否だ。
『才の継承率は極めて低く、仮に継承出来たとしてもそのレベルは未知数ときている。……ともすれば、手ずから
『~~っ、何をバカなことを。お前には我がロベールの再興がかかって――っ!? 待て!! エル!!!』
『ではでは、行って参りま~す♪』
そう言ってエルヴェは家を出た。国内外問わず後継者を探して回り、最終的に西の最果て――砂漠の国・ガシャムでレイと出会ったのだ。
『君は世界一の魔術師になる。私が言うのだから間違いないよ』
エルヴェは拙いガシャム語で自信満々に語り、ボロ雑巾同然の少年・レイに手を差し伸べたのだと言う。
エルヴェの目に狂いはなく、レイは数々の偉業を成し遂げた。そのため再現性はないとされながらも、エルヴェの世間的な評価は高めであるのだ。
けれど、未だ家族は……ロベールは赦していない。故に彼は変わらずこの地にいるのだ。
(それでもレイはめげずに励み続けてくれている。叔父様の選択を肯定し続けるために)
「今度こそ必ずやお守り致します」
ハーヴィーに続くようにして夫人、騎士、従者達が頭を下げた。
「ありがとうございます」
エレノアも続く。感謝の言葉を口にしながら。
「お幸せに」
不意に聞こえてきたその声は優しくとても温かだった。瞳の奥がじんと痺れていく。エレノアは小さく鼻を啜り微笑みで応えた。
「エレノア様」
いつの間にやらユーリはタロップの横に。その手を取るよう促してきていた。
(ユーリ……)
そんな彼の瞳も凪いでいる。言わずもがなエレノアに共感してくれているのだろう。
エレノアは再度皆に向かって一礼。その後、ユーリの手を借りて馬車の中に入っていった。
彼女が一息つきながら腰かけようとしたところ、車体が大きく傾いた。ユーリだ。馬車に乗り込み、エレノアの向かい側に座る。
扉が閉まった。ほどなくして動き出す。
「一つお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
問いかけるユーリの声は硬かった。直感的に理解する。これは雑談ではないのだと。
「何かしら?」
「貴方の今後についてです」
案の定だ。正直なところ予想はしていた。気を引き締めて先を促す。
「職を辞する必要はありません」
「……本当に?」
「ええ。俺は貴方の生き様も含めて愛する覚悟でいますから。だから……遠慮は要りません」
エレノアは微笑みを
(やはり貴方は優しい。実直で……不器用な人)
色白な顎には力が籠り、栗色の瞳の奥――なめらかな
(報いなければね)
エレノアは穏やかなる決意を胸に口を開いた。
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