21.魔王

『なっ、何を――』


「案ずるな。大賢者と同じ場所に飛ばしただけのこと。危害は加えていない」


『フォーサイス邸に? ……っ!!?』


 不意に暗くなった。ここは屋内か。石造りの部屋の中であるようだ。かなり広い。少なく見積もっても500人は収容出来そうだ。


(ここが城? ……城? っ!?) 


 心臓が早鐘を打つ。


 城に住まう高位なる存在。


 今更になって思い至る。


 この悪魔の正体は――。


「やれやれ、少々はしゃぎ過ぎたな」


 悪魔は翼をしまうと、ドカッと音を立てて腰かけた。


にドヤされる。……面倒だ」


 豪奢ごうしゃな椅子だ。玉座と形容しても過言ではない程に金銀宝石等で装飾がなされている。


『まっ、……? 貴方は魔王、なの……?』


 問いかける声は激しく揺れた。対する悪魔は嘲り顔だ。


「当たらずといえども遠からずといったところか。吾輩はこの世界の統治を存在だ」


『任された……?』


「この世界は謂わば『属国』のような位置づけとなる。つまりは、ということだ」


『そんな……』


「その者は吾輩の父にあたる存在で、その名は………む? …………はて? 人語では何と発音すれば良いのだろうな………?」


 悪魔はぶつぶつと不可解な単語を口にし出した。何かひらいたような顔をしたが、結局しっくりとはこなかったようだ。終いには諦めて「くだらん」と投げ出してしまう。


『……ふざけているの?』


 安心感からか悪魔はどこかお茶らけているように見えた。エレノアからすれば腹立たしい限りだ。


 何せこの悪魔はつい今ほど、エレノアの護衛騎士やユーリの両親、村の人々といった罪なき者達の命を奪ったばかりであるのだ。


 悪びれもしないこの態度は彼らの命を軽んじていると言わざるを得ない。


「そうだな。……うむ。吾輩は浮かれているのだろうな」


『最低よ』


「褒め言葉として受け取っておくとしよう」


 悪魔は言いながら自身の膝に魔法をかけ始めた。彼の手元から紫色の魔法陣が展開される。


「良い機会だ。今日より吾輩は『魔王』となろう。国主ではないが、その類の頂点にあるという要件は満たしている。不足はないだろう。くっくっくっ……む……」


 魔王の表情が曇り始める。傷の治りが悪いようだ。


(回復魔法は不得手であるのかしら? あるいはレイが負わせた傷が深いのか……)


 いずれにしろ好都合だ。魔王がもたらす被害は甚大であるから。何かしらな形で足止めが叶うのならそれに越したことはない。


「やれやれ」


 魔王は深く溜息をつくと渋々といった具合に指を鳴らした。


『っ!!?』


 暗闇からゴブリン大の小さな老人が姿を現す。深緑色のローブ姿で、顎の下に伸びる豊富な白髭を蝶結びにしている。


 その老人の背後には複数の魔物の姿があった。紅色の狐、小型の青い龍、山羊や狼に似た獣人など多種多様だ。


「  !!     。    !!」


『っ!?』


 突如、老人が怒鳴り出した。それを受けてか魔王が反論する。


「………、    。    ――」


「     !!!!」


「…………………」


『えっ?』


 魔族の言語であるためか、エレノアには彼らが何を話しているのかまるで分からなかった。


 ただ、何となくではあるが魔王がこの老人から責められているらしいことは分かった。おそらくは彼が『じぃ』であるのだろう。響きからして世話役か。


 魔王はぐうの音も出ないようだ。唇を尖らせて不貞腐れている。威厳もへったくれもない。


(っ!)


 不意に老人と目が合う。身の気がよだつ。死すら覚悟したが、拍子抜けするほどあっさりと視線を外された。


 興味がない。


 くだらない。


 そんな言葉が聞こえてくるようだった。


 間もなくして老人は去り、配下と思われる魔物達による治療が開始された。魔王の体が紫色のオーラに包まれていく。必然的にエレノアの視界も。


『……っ』


 背筋が凍る。これは本能的なものだ。人族が最も苦手としているのが闇魔法。生命を脅かす象徴のようなものであるから。


『っ! えっ……?』


 不意に体が浮いた。次の瞬間、魔王の体は頭上ではなく横に。眼下には丸いテーブルが広がる。頭上には天井に向かって伸びる黒い棒のようなものが見えた。


(十字型のスタンド? わたくしを遠ざけて……まさか気遣ってくれたの?)


 胸がざわつく。不快だ。エレノアは逡巡した後に――問いかける。


『……貴方の目的は何?』


「ん?」


『不可解でならないわ。貴方の行動、その一つ一つが』


「不可解。くっくっく……そうであろうな」


(……?)


 ほんの僅かだが哀愁を帯びているような気がした。理由は――分からない。


「魔族の寿命は果てしなく長い。故に刺激を求める。ただそれだけのことだ」


 本心だとは思えなかった。はぐらかされた。そんな印象を抱く。


「吾輩は少し休む。精々励むが良い。……ああ、ただ早まるなよ。自死したところで吾輩が得するだけのこと。貴様の望む結果にはならん」


『体を乗っ取るから?』


「吾輩がその望みを叶えるに必要な条件は2つ。その1・対象が死すること。その2・肉体を吾輩の瘴気で染め上げること……だ」


『……………』


「順序が逆転したところで結果は変わらぬ。少なくとも人族相手であればな」


(……そうね。瘴気に触れ続ければ死んでしまうもの。染め上げることと死することは同義だわ)


「疑うも良し、信じるも良しだ」


 魔王は言うなり目を閉じた。静かだが寝息が聞こえる。宣言通り眠ったようだ。


『っ!』


 瘴気が迫ってくる。魔王が就寝しても術は展開されるようだ。


(耐えなければ)


 この体が乗っ取られれば少なからず人々に、家族に危害が及ぶ。自死の選択が消滅した今、耐える他ない。


『…………』


 不安に心が揺れる。堪らず『よすが』を求めた。心を寄せる何かを。


『エレノアを返せ!!!!』


 思い浮かんだのはユーリの姿だった。連鎖的に心が華やぐ。思い至ってしまったからだ。一つの甘い可能性に。


(ユーリが勇者として育つのには少なく見積もっても5年、いえ……10年はかかるのではなくって……?)


『エレノア!』


 ――20歳に成長したユーリが手を差し伸べてくる。


 そんな稚拙なビジョンが思い浮かんだ。


『魔王を倒した『救国の勇者』であれば、あるいはお父様も――』


 慌てて首を左右に振る。


(バカね。こんな時に何を考えているのかしら)


 自嘲気味に嗤いつつ、肩肘をついて眠る魔王に目を向けた。


(皆はこの悪魔が魔王であることを知らない。けれど、その力が賢者であったエルヴェ叔父様やレイをも凌ぐものであるという事実は広く知れ渡るはず。……かつてないほどの強大な敵よ。悠長に構えてなどいられない。王国も一丸とならざるを得ないはず――)


 エレノアの頬が強張る。望み薄だと思ってしまったから。これまで重ねてきた落胆が、失望が、希望を覆い隠していく。


(諦めてはダメ。信じて待つのよ。魔王が倒れるその時を)


 エレノアは祈りを捧げた。力が伴うものではない。ただひたすらに願い乞う。希望の光を胸に灯し続けるために。



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