15.闇を照らす

 言わずもがなこれは無言の抵抗だ。例え国中を敵に回したとしても息子は渡さない。そんな強い意思が伝わってくる。


「ユーリ!!!! ユー……、エリー……?」


 男性が駆け込んでくる。糸目のその人はユーリの父・バリーだ。虹色に輝くユーリ。そんな息子を抱き締める妻・エリーの姿を見て状況を把握したようだ。沈痛な面持ちで顔を俯かせる。


「父ちゃん! あっ、そうか。父ちゃんもエレノアに治してもらったんだな」


「……ああ」


「ごめんな。今度はちゃんと守るから」


 バリーが目を見張った。心底驚いている。自身の耳を疑うような表情で。


「オレ、勇者だったんだ。もっともっと強くなれる。だから――」 


「アンタは黙って畑を耕してりゃいいんだ」


「えっ?」


「畑を耕してりゃいいんだよ」


 エリーは懇願するように、暗示をかけるようにユーリに語りかける。ユーリの小さな体を強く抱き締めながら。


「母ちゃん? なっ、何だよ。どうしたんだよ? 何か変だぞ……?」


 ユーリは戸惑っているようだ。もしかすると、母の真意に触れたのはこれが初めてのことであるのかもしれない。


「大きくなったら女と結婚して家庭を持つんだ」


「は? イヤだよ。だってオレは――」


「っ、地味で何の面白味のない人生かもしれない。でも、……でも……っ、それでいいじゃないか!」


 エリーの栗色の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


 平穏無事に過ごして欲しい。それが彼女の願い。母親である彼女が息子であるユーリに求めるたった一つの願いなのだろう。


「エリー」


 バリーがそんなエリーの肩を叩いた。彼女の背が大きく跳ねる。


「気持ちは分かる。だが……もうダメだ。腹をくくろう」


 バリーはエレノア一行に目を向けた。その表情にはまだ迷いがある。ユーリと共に過ごす平穏無事な未来。その未来を未だ諦めきれずにいるのだろう。


「……言い訳がましいようですが、私達夫婦もユーリの覚悟を認めていたんです。逃避でも何でもなく本物であると。ただ、その最後の一歩を踏み出せずにいた。本当にお恥ずかしい話です」


 エレノアは否定の声を呑み込んだ。軽はずみな気持ちで返してはいけない。同じ失敗を繰り返してはいけないと、そう自身を戒めて。


「実は私の父も、妻の弟も戦士だったのです。それぞれの戦場で懸命に戦い、そして散りました。しかしながら、その死に様はあまりにもむごたらしく……」


 バリーは言葉を詰まらせた。当時のことを思い出しているのだろう。


 一体どんな思いでユーリを見ていたのだろう。どんな思いでユーリを捜しに出たのだろう。想像するだに胸が痛んだ。


「人は皆『名誉ある死』だと。悲しむのではなく誇れと言います。そうしなければ前に進めなくなるから。止むを得ない選択だということは重々承知しています。けれど、……だからと言ってそう易々と許容出来るものではない」


 レイとビルが固く目を閉じた。経験があるからだ。レイは師を、ビルは親友を目の前で失っている。にもかかわらず、俯くいとますら与えられなかった。彼らの死を誇りに前進することをただひたすらに求められたのだ。


「受け入れられるはずがありません。愛していたのですから。名誉も、金もいらない。ただ共に在りたいとそう……願って――」


「なーんだ。そんなことか」


 場に不釣り合いな明るくも軽やかな声。発したのはユーリだ。皆の意識が一斉に彼に向く。


「ようは生きて帰ってくればいいんだな?」


 無言も肯定も出来ない。ただ見つめることしか出来なかった。虹色に輝く彼は酷く眩しい。けれど、不思議と目が離せなくて。


「ははっ! 大丈夫だよ。オレ、ぜってー死なないから」


 ユーリは溌剌はつらつとした笑顔で宣言した。根拠も何もあったものではない。だが、不思議と彼ならば叶うのではないかとそんな気にさせてくれる。


「そん時はエレノアも一緒だ。なんたってオレの未来のお嫁さんなんだからな!」


 途端に空気が和らぐ。皆の口元から笑みが零れた。


(……あたたかい。それでいてとても眩しい。だからこそ選ばれた。


「お守りします」


 不意に誰かが切り出した。ビルだ。彼はサーベルの切っ先を床に向けて片膝をついた。


「必ず。この命に代えても」


 そう言って誓いを立てた。ユーリをあるじと認めた――というよりは、ユーリのその心意気と両親の愛を立ててのことなのだろうと思う。


 加えてもう一つ透けて見えるのは『過去の清算』という側面。守り切ることが出来なかった亡き親友アーサー・フォーサイス。彼に捧げるはずだった命をユーリにと、そう思っているのかもしれない。


「けっ、剣聖様! そんなっ! とんでもございません!」


「そうです! どうか頭をお上げください」


「そっ、そうだよ! にーちゃんにもその、家族とかいんだろ?」


「いないよ。僕はだ」


 ビルは笑って言ってのけた。それがまた悲哀を誘う。


「……ったく」


 レイは小さく舌打ちをした。そしてそのまま歩き出してビルのもとへ。何をするのかと思えば彼のそのすぐ横で片膝をついた。


「レイ殿……?」


 ビルはまったく予想していなかったのだろう。状況を上手く咀嚼そしゃく出来ず困惑しているように見える。


「俺は見ての通りの異国人。おまけにスラム育ちで、叩けばほこりが出てくるような人間だ。文字通りのしょーもねえ命だが、そこらの魔術師よりは幾分か使えるはずだ。盾でも何でも好きに扱え」


 そうすることで、ユーリだけでなくビルも守ろうとしているのだろう。ビルも同じように解釈してか苦笑を浮かべている。


「嫌だ」


「あ゛?」


 思いがけずユーリが拒否した。苛立つレイ、戸惑うビルに臆することなくユーリは続ける。


「オレは自分も、みんなも守る。


 今回の襲撃を受けて、両親の本心を知って一層その思いを強めたのだろう。10歳の子供が口にしているとは思えないほどに、芯の通った決意であるように思う。


「「……っ」」


 レイとビルが息を呑んだ。『救国の勇者』の片鱗を垣間見たのだろう。二人から等しく大きな期待が伝わってくる。


「……バカだね」


 誰かが零した。母親のエリーだ。内容とは裏腹に言葉が持つ熱はあたたかくて。


「ほんと、バカなんだから……っ」


「知ってらぁ」


 エリーは体を離した。小さく咳払いをしてエレノア一行に向き直る。


(美しい)


 その栗色の瞳は凛としていた。決意の目だ。エレノアの背も自然と伸びる。


「息子は預けます。ただ、一晩だけ。……っ、一晩だけお時間をいただけませんでしょうか」


「勿論です」


 気付けばそう答えていた。せめてもの罪滅ぼしだ。こんなことしか出来ない自分を不甲斐なく思う。


「ありがとう……っ、ございます」


 母親は涙を零しながら深々と頭を下げた。そんな彼女に夫のバリーも続く。エレノアはその光景をしっかりと受け止めて深く頭を下げた。その足で出口に向かう。後にはレイとビルも続いた。


「エレノア様!」


 ユーリの家を出て直ぐのところで声を掛けられる。隊長を始めとした護衛騎士の姿があった。治癒術師のゼフを始めとした攻撃隊に加わっていた騎士達の姿もある。


「エレノア様!!」


 ミラは再度エレノアの名を呼ぶと嬉々とした表情で駆け寄って来た。小柄な体型と薄茶色のポニーテールも相まってか、その姿はどこか仔犬を彷彿とさせた。



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