聖女救出編

22.命の灯

 ――あれから5年の月日が流れた。


 エレノアは変わらず魔王と共に。彼が首から下げているペンダントの中に幽閉されていた。


「まったく、じぃの小言にも困ったものだな」


『………………』


「どうした? くっくっく……よもや限界か?」


『…………っ』


 魔王の指摘通りエレノアの魔力は底をつきかけていた。


 オーロラ状の結界は消えかけ、紫色のもや――瘴気が垂涎すいぜんを下げるようにして迫ってきている。


 このままでは瘴気に呑まれてしまう。そんな危機的な状況に陥っていた。


「仕方あるまい。ここは一つ貴様を励ましてやるとしよう」


 魔王は馴染みの玉座に腰掛けると、円を描くようにして何かを出現させた。


 黒い水晶玉であるようだ。ぼんやりと何かが映し出される。ここは草原か。


「見ろ。勇者だ」


『……ゆー……り……?』


 水晶玉がユーリの姿を捉えた。緑色のチュニック、黒いパンツ、茶色のブーツといったカジュアルな格好をしている。


『………………』


 紅髪がさらりとなびく。栗色の大きな瞳。その視線の先には見上げる程に大きな巨石があった。


『ユーリ……ああ、こんなに大きくなって……』


 あれから5年。ユーリは15歳になっていた。


 背は140センチから160センチ前後に。細身だが肩幅は広く、チュニックの袖から覗く腕にはしっかりとした凹凸が付いていた。


 あどけなくも凛々しさも感じさせる。そんな青年に成長していた。


『っ! レイ……っ!』


 ユーリの隣にはレイの姿もあった。見たところ息災であるようだ。その事実に安堵しつつ改めて彼に目を向ける。


(ふふっ、相変わらず……いえ、一層素敵になったわね)


 異国由来の褐色がかった肌に、彫の深い顔立ち。黒髪坊主頭で、顎と口にはひげを生やしている。


 服装は馴染みの黒い革製のジャケット、パンツ、ブーツスタイルだ。


 鋭さと知的さ。相反する魅力から醸し出されるスモーキーかつスパイシーな色香は、歳を重ねたことで更に深みを増したように思う。


「演習をするようだな。ふむ、『ファイアキャノン』か。……人族の基準で言えば中上級クラスの魔法だな」


『うーっし! 見てろよ、師匠ッ!』


(師匠……!)


 今のユーリはレイのことをそう呼んでいるらしい。


(かつては『』とお呼びしていたのに。何だかとっても感慨深いわ)


 きっと色々なことがあったのだろう。ほんの一部でも見てみたかった。彼らが歩み寄るその姿を。


(……残念)


 エレノアは小さく肩を落とす。叶わぬ夢がまた一つ増えてしまった。


『髪、すなよ』


『~~っ、蒸し返すなよ! バカッ!』


『ふふっ……』


 エレノアの口元から笑みが零れる。容易に想像がついたからだ。慌てふためくユーリの姿が。


『ったく……』


 ユーリはゆっくりと魔方陣を展開し始めた。


 レイと同じ青色だ。光属性の魔法ではないからか。虹色の輝きを持つ『勇者の光』がエレノアの目に触れることはなかった。


 ユーリは詠唱を終えて――巨石に手を向ける。


『くらえ!!!』


 火球が放たれる。その数五発。間髪入れずに五発だ。それらの火球はすべて巨石に向かって飛んでいく。


 一発、二発と命中するごとにヒビが入っていき。


『っ!?』


 四発目で砕け散った。栗色の瞳が爛々らんらんと輝き出す。


『どうだ!! 完璧だ――いでっ!?』


 石が直撃した。ユーリの紅色の頭に。余程痛かったのだろう。頭を抱えて座り込んでしまう。


『アホ』


 レイは呆れ顔で手を払った。無数の石が砂に変わる。風魔法の一種。鎌風だろう。


『ち゛ぐし゛ょ~~っ……』


『立て』


 レイは言いながら青色の魔法陣を展開。


『っ!?』


 空中に巨石を出現させた。地属性の魔法を駆使して生成したのだろう。手の平を下に向けて地面に落とす。


『ゲホッ……ゲホ……っ』


 土煙が上がる。ユーリはまともに吸い込んでしまったようだ。苦し気に咽込んでいる。


『何やってんだ。とっとと構えろ』


『なっ……!?』


 やり直し、ということなのだろう。


『~~っ、わーったよ!!』


 ユーリは再び詠唱をし始めた。その表情は大層不満気だ。


(あらあら? もしかして……褒めて欲しかったのかしら?)


 エレノアは都合よく解釈して胸を温める。


『いっけー!!!』


 先程と同じ要領で火球を放った。今度は二発目で破壊。飛んできた石も風魔法で粉砕させた。


『どーだッ!!』


 ユーリは得意気だ。対するレイはやれやれと首を左右に振って。


『まぁ、だな』


『よっしゃー!!!』


だっつてんだろーが』


 ユーリは構わず大喜びだ。レイは呆れて――表情を綻ばせていく。


(まぁ……!)


 エレノアの胸が弾む。念願が叶ったからだ。


 レイは異国人であること、育ちを理由に交流を避ける傾向に。感情にブレーキをかけがちで、常に何処か警戒しているような節があった。


 しかしながら、今の彼にはそれがない。肩の力を抜いている。気兼ねなく接しているように見えたのだ。


(ユーリ。貴方のお陰なのね)


 エレノアは祈りを捧げた。この出会いを与えたもうた神に感謝するために。


「っふ、まだまだだな」


 魔王が水をさしてくる。エレノアの細い眉がぴくりと跳ねた。


『そうやって胡坐あぐらをかいていられるのも今の内でしてよ』


「かもしれぬな」


 ――見届けたい。


 そんな思いも湧き上がってくる。


 だが、決断には至れない。気付けばユーリに目を向けていた。水晶玉の中の彼は擽ったそうに笑っている。


『……っ』


 胸が締め付けられる。苦しい。


 未だに惜しんでいる。夢を見ているのだ。ユーリと共に歩む未来を。


(往生際の悪いこと。端から諦めていた。夢は夢のままにと……そう言い聞かせてきたじゃない)


 エレノアは内なる思いを否定した。けれど、その手が――腰元のポシェットに伸びるのを止めることは出来なかった。


(どうかお赦しください。この思いを糧とすることを)


 中から取り出したのは花。ユーリから贈られた野花・ハルジオンだった。


 変わらず可憐に咲き誇っている。顔を寄せると太陽を思わせるような甘やかで香ばしい香りがした。


(時が止まっているのね)


 この黒水晶の中はある種の別次元。エレノアの持つ魔法鞄のような性質を持っているのだろう。


 それを裏付けるようにエレノアの肉体年齢も20歳のまま。あの日から変わりなかった。


『……………』


 ハルジオンを胸に抱いて両親、ユーリの顔を思い浮かべる。


『お父様、お母様。親不孝な娘をお許しください』


(……ユーリ、ごめんなさいね)


 白い霧がかった虹色の魔法陣を展開。結界は瞬く間に修復した。靄は次から次へと離れていく。


『くっ……!』


 眩暈めまいがした。自身の存在そのものが霞むような感覚を覚える。


(これが代償……ともしびの感覚……)


 彼女が今べたのは魔力ではない。魂だ。これは5年前ミラが実行しかけたこと。エレノアが止めようとした愚行だ。


 取り返しのつかない行為であるから。


 消耗した魂はいかなる術をもってしても修復することはない。祈りでも、治癒魔法でも治すことが出来ないのだ。


(醜聞塗れな上に余命いくばくもない。Ωオメガとしてのわたくしの価値は最早潰えたも同然。……そして――)


 笑うユーリを見つめ、内心で続ける。


(ユーリ。貴方の妻としても、ね)


「魂を焼べたか」


『貴方次第にはなりますが……あと5年は持つはずです……』


「良い心意気だ。励むが良い」


 魔王は満足気に頷くと赤いワインのようなものをあおり始めた。


『っ!』


 水晶玉が消える。


 エレノアは湧き上がる感情を押し殺すように瞳を閉じた。


 ユーリと自身の思いが詰まった花を胸に抱きながら。



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