08.苦手と未練

「みんなとの旅で、少しは体力がついたと思っていたのだけれど……」


 エレノアは息も絶え絶えに応えた。ミラは同調するように苦し気な表情を浮かべる。


「エレノア様、もしかしなくても病気? なんですか……?」


「……いや」


 歯切れの悪い返事をしたのは、大柄で人の好さそうな茶髪の騎士だった。彼の名前はロナルド・スミス。42歳。得物は大剣クレイモアだ。


 彼もまた他の騎士同様に鎧、紋章入りの白いマントを着用している。ただ、彼の場合は特別で、肩の留め金付近に階級章が付いていた。横長の赤いバッジには3つの星が。これは彼が隊長の位にあることを示している。


「~~っ、隊長!」


「聖女様はその……運動が不得手でいらっしゃるのだ」


「えっ……」


 隊長は小声で返した。エレノアに配慮してのことだ。しかしながら、無情にも響いてしまう。のどかな農村において、彼らの声を阻むのは牛の鳴き声ぐらいのものだったのだ。


「ごめんなさいね。もっと早くにお伝えをすべきでした」


「そんな……っ、苦手なことなんて中々言えませんよ。恥ずかしいし、悔しいし……」


 ミラは顔を俯かせた。罪悪感に暮れているのだろう。エレノアの気持ちが痛いほどに分かるから。


「そうね。でも、今はとっても軽やかな気持ちよ。もっと早くに話せば良かったと心底後悔するほどに」


「エレノア様……」


 ミラの濃緑の瞳がじんわりと歪んでいく。エレノアはそんな彼女を宥めるようにそっと頭を撫でた。


「貴方だからよ、ミラ」


「う゛うっ……! エ゛レ゛ノ゛ァ様ぁ~~~!!!」


「あらあら! ふふふっ」


 ミラは大きな音を立ててエレノアに抱き着いた。濃緑の瞳からは大粒の涙が零れ落ちて、エレノアの白いカソックを濡らしていく。


 こんなふうにミラは思うままに感情を表現する。エレノアはそんな彼女の気質を美点と捉えていた。


(この子の言葉には、示してくれる感情には嘘がない)


 だからこそ信用を得られる。加入して一週間足らずで一行に馴染みつつあるのだろうと思う。


(願わくば、これからもこのままで。ミラがミラらしくあれますように)


 エレノアは胸の内で小さく祈り、ミラの肩を叩いた。


いけませんね。わたくしも見習わなければ」


「エレノア様……?」


 エレノアは笑みを湛えたまま立ち上がり、自らの手で衣服についた土を払った。


「さぁ、参りますわよ!」


 エレノアは瑠璃色の瞳を滾らせると、その勢いのまま足を踏み出した。


 お世辞にも早いとは言えず、騎士達からすれば歩いても追いつけるような速度。傍から見れば滑稽だが、彼女を嗤うものは誰一人としていなかった。


 皆それぞれに胸を温めている。ミラと隊長に至っては涙を浮かべていた。


「ペンバートン卿! お待たせを致しました」


 エレノアはとても晴れやかな表情で頭を下げた。伯爵は瞳を温かに、首を小さく左右に振る。


「いえ。こちらこそお待たせをしてしまい、申し訳ございませんでした」


「とんでもございません」


「ユーリにもお気遣いをいただいたようで。本当にありがとうございます」


 領主邸にいたはずの伯爵がなぜ? 疑問符を浮かべるエレノアに対し、伯爵は手にしていたオペラグラスを揺らしてみせた。小さな謎がふわりと解ける。


「いいえ。わたくしの方こそ素敵な夢を見させていただきました」


 エレノアが零した笑みは軽やかなようでいて、どこかしっとりとしていた。彼女の事情を知る伯爵は悲痛な面持ちに。他の皆も同様に表情を曇らせる。


「さぁ参りましょう。2時にはここを出なければなりませんので」


 エレノアが努めて明るく促したところ、伯爵も快く応じてくれた。


 その後、邸の応接間で2時間ほど会談。昼休憩を取った後で馬車の元へと向かった。


 周囲には護衛達が乗る馬も控えている。馬達は髪の毛のような美しい尻尾を高く振り、すんすんとご機嫌に鼻を鳴らしていた。


「この馬たらしが」


 隊長が苦笑混じりに零した。その視線の先にはビルの姿がある。


「ふふっ、ごめんなさい。あまりにも可愛いかったのでつい」


 ビルは妖しく微笑みながら馬の耳を掻いた。その馬は隊長の馬だ。栗毛の勇ましい馬だが、今は瞳を蕩かせてビルに甘えている。


 まさに骨抜き、ベタ惚れ状態だ。他の馬達も『俺も!』『私も!』とせがむようにしてビルに鼻先を寄せている。


「くっ……」


 ミラは悔し気だ。エレノアはそんな彼女を見てくすくすと笑う。


「大丈夫よ。ミラは優しいもの。その内にきっと仲良くなれるわ」


「えっ? あっ、はい……」


 曖昧に笑うミラに、エレノアは「うんうん」と頷いてエールを送る。


(さて……)


 何気なく周囲を見回す。


(ユーリは……来そうにないわね)


 予定時刻を15分も過ぎているというのに、ユーリが現れる気配は微塵もなかった。


(バカね。何を期待しているのかしら)


 エレノアは未練を断ち切るように、勢いよく馬車に乗り込んだ。その後には護衛見習いのミラも続く。


「フォーサイス卿にもどうぞよろしくお伝えください」


「ええ、必ず」


 伯爵の見送りを受けて馬車が動き出す。時を経るごとに村が遠ざかっていく。それに伴って伸びるエレノアの手。その先には白い革製のウエストバックがあった。


 これは所謂『魔法収納』。大変貴重なもので、旅に出る際に長兄・ミシェルから譲り受けたものだった。ユーリから貰った花も、ガラスケースに入れてこの中にしまってある。


 このバックの中の時は非常に緩やかで、ほぼ静止に近い状態。食べ物や生花等であれば半永久的に保存することが出来るのだという。


「う~~~ん、う~~~~~~~~~ん………」


 ミラが唸り声を上げた。いつにない神妙な顔つきで考え込んでいる。彼女らしからぬその姿に、エレノアは堪らず笑みを零した。


「ふふっ、どうしたの? 何か悩み事でも?」


「いやね、何とかしてエレノア様とユーリをくっつけたいなぁ~と思いまして。何かいい方法ないですかね?」


 胸の奥がじんわりと熱くなっていく。彼女はまだ粘る気でいるらしい。


「…………………勇者。うん。やっぱ勇者しかないよね」


「えっ?」


「ほらっ! やっぱ勇者って、一番派手で目立つ英雄なわけじゃないですか。そんな凄い人なら庶民だから結婚させません! なんて言われないと思うんですよね」


「ふふっ、確かにそれも一理あるわね。でも、勇者は本当に希少なのよ。王国の総人口50万人に対して、勇者はたったの3人。それも平民出身の勇者は5年ほど前に殉職されたルーシー様を最後に確認されていないの」


「でも、平民出身の勇者がいないわけじゃない。でしょ?」


 ミラは子気味よくウインクをすると、勢いよく馬車の窓を開けた。彼女の視線の先、最も近いところにはレイの姿がある。



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