13.光

「ビル! ああ……よくぞご無事で」


 腕や胸の辺りに血が付いているが、見たところ彼のものではなさそうだ。ベージュ色のチュニックは僅かも破れていない。


「ユーリが大怪我を! バトルマンティスに腕を斬られました」


「っ! まさか欠損して……っ」


 紛失、あるいは壊死している場合、エレノアの『祈り』をもってしても治すことは出来ない。干渉出来るのはあくまで人間の治癒能力が及ぶ範囲内。失った腕を生み出すことは出来ないのだ。


「切断には至っていません。ただ傷は深いです」


「そう……」


「ゼフは今、別の重傷者の対応に追われていて手が離せません。可能であればご同行願いたいのですが」


「まだ戦闘は続いているの?」


「はい。ですが、強敵はもういません。余程のことでもない限り重傷者が出ることはないかと」


 エレノアは深く頷いて改めて周囲を見回した。未治療者はミラが対応している団員のみ。峠は既に越えている。エレノアが外れても問題はないだろう。


「承知しました。ミラ、任せてもいいわね?」


「はい! この人は勿論、運ばれてきた患者さんも全員アタシが治します!」


 ミラの心意気を認めた二人は、微笑まし気に表情を和らげた。


「わっ……」


「?」


 ミラの頬がぽっと赤らむ。目線はエレノアの方を向いているようでいて向いていない。何気なく彼女の視線を追うとそこには――ビルの姿があった。


(あらあら……)


 ミラとビルが知り合ったのは一週間ほど前。会話こそ重ねているものの、ミラは基本同性であるエレノアか指導役であるゼフの傍に。ミラとビルが二人きりでいるところはあまり見たことがなかった。


(仕方ないわよね。彼はデンスター屈指の美男。魅かれるのも無理はないわ)


 チョコレートブランのやわらかな髪に、目尻が垂れ下がった萌黄色の瞳、筋が通った品のある小鼻。そして、慎ましくも何処か目を惹くふっくらとした唇。清涼感に富みながらも甘くとろけるような色気を感じさせる。ビルはそんな青年だった。


 エレノアからすれば頼もしい同志以外の何者でもないが、女性として魅かれる気持ちも分からないでもなかった。


(お茶目で人懐っこいところもあるのよね。弟力、後輩力と言えばいいのかしら? そういったところにも魅かれたのかもしれないわね。……あら?)


 ビルは目を伏せていた。その表情は苦し気でもあり切なげで。


「……事態は急を要します。不躾ながらはやてでお運びしてもよろしいでしょうか?」


「えっ、ええ……あっ、ちょっと待って頂戴」


 エレノアは手にしていたハンカチをミラの膝の上に置いた。


「慌てちゃダメよ。落ち着いて、慎重に処置をして差し上げて」


「はい!」


 ミラの瞳が一層眩しく光る。エレノアはそっと彼女の肩に触れて、再びビルに目を向けた。


「お願いするわ」


「はい。失礼致します」


 ビルはエレノアを抱き上げた。彼女の背と脹脛ふくらはぎにビルのたくましい腕が回る。


「わっ、わわ……っ!」


 ミラの手元の魔法陣が消えかける。動揺したのだろう。ギリギリのところで立て直して治療を再開させる。


「わたくしはユーリの家にいます。手に負えない事態が起きたら、その時は迷わず呼んで頂戴」


「はははははっ! はい!!」


「聖女様、目は決して開けないように。しっかりと掴まっていてください」


「分かりました」


 エレノアの右頬にビルの広い胸が触れる。血のにおいがした。鼻孔が鈍く痺れる。もしかしたらこれはユーリの血であるのかもしれない。


「っ!!!」


 ビルが駆け出した。凄まじい速さだ。適応しきれず吐き気を覚える。決死の思いで治癒魔法をかけつつ力任せに口元を押さえ込んだ。


「着きました」


「あぁ……ええ……」


「お手を」


「……ありがとう」


 ビルに腕を引かれる形でユーリの家に向かう。壁は煤けた白土壁。見上げればこけ混じりの重たい茅葺かやぶき屋根があった。


 庭の前で気ままに歩く鶏を一瞥しつつ家の中へ。入って早々、レイとユーリの母親のやり取りが聞こえてきた。


「まっ、魔術師様のお力を以てしても息子の腕は治らないのですか?」


「ええ。ですが、ご安心ください。聖女様であれば――」


「お待たせしました」


 エレノアは挨拶もそこそこにユーリのもとに駆け寄る。彼は白いベッドの上に横たわっていた。腕に巻かれた包帯は血で真っ赤に染まっているが、その他の個所に外傷はなく呼吸も安定しているように思う。


「右腕以外の個所は私の方で治しました。麻酔も変わらず効いているようです」


「流石ね。広場に続き見事な手際です」


「ご覧の通り腕は辛うじて繋がっていますが、神経に甚大なダメージを負っています」


 場合によっては腕に障碍が残る。ユーリの将来すら左右する重大な局面ではあるが、エレノアが不安に揺れることはなかった。瑠璃るり色の瞳は静かにそれでいて力強く燃えている。


「心得ました」


 レイの口角が持ち上がる。その表情は心なしか誇らしげだ。


「きっ、騎士様! あのっ……主人を見かけませんでしたか? このバカを追って出て行ったっきり戻ってこなくって」


(やはり、お父様はユーリを追って……)


「大丈夫ですよ。一時負傷されましたが、今は治療も済んで広場でお休みになられています」


「あっ、あ゛あ……っ!!」


 ユーリの母は膝を折って泣き崩れた。ビルはそんな彼女の肩にそっと触れる。


(両者がきちんと話し合えるようにしなくては。そのためにも一刻も早くこの腕を――)


「せっ、聖女様! どうか息子も! ユーリもお助けください……っ」


 彼女は床にしゃがみ込んだままエレノアに祈りを捧げた。組まれたその両手は小刻みに震えている。


(ユーリ、貴方はお母様からも愛されているのね。そして貴方自身もご両親を、村を愛している)


 ユーリは両親を、村を守るために命がけで戦ったのだ。その事実をしっかりと胸に抱いて言葉を紡ぐ。


「お任せください。必ずやお救い致します」


「~~っ、ありがとうございます! ありがとうございます……っ」


 エレノアは眠るユーリへと目を向ける。彼のまぶたにかかった紅髪をさらりと払って小さく息をついた。


「ユーリ、共に励みましょう」


 エレノアは霧がかかった虹色の魔方陣を展開させた。これこそが『祈り』、聖者/聖女のみが扱える治癒魔法だ。神々しくもやわらかな光がユーリの体を包み込んでいく。


「なっ……!」


「きゃっ!!? ユーリ!!!?」


 突如ユーリの体が輝き出した。エレノア同様虹色に。けれどその光は彼女のものよりも鋭利で力強い。


「こっ、これは……!」


「勇者の、光……」


 選択肢は一つに。ユーリの運命は決してしまった。両親の願いはもう叶わない。



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