10.異変

「停めて!!」


 直後、馬車が大きく揺れた。踏ん張ることで辛々バランスを取る。


(っ、停まった)


 エレノアは半ば倒れ込むようにして馬車の扉を開ける。


「しっかりしろ!」


「みん……を……っ」


 隊長が青年の馬を止める。呼びかけも行ったが、返ってきた反応は酷く弱弱しいものだった。


「おろします」


「ああ。頼む」


 騎士・ゼフが青年を地面に横たえた。甲冑がすらりとした長身によく映えている。後ろで一つにまとめられた薄茶色の髪が、右に左に気ままに揺れていた。


「こりゃ酷い」


 ゼフは切れ長の目を一層細めて青年の容体を確認していく。その瞳もまた薄茶色。理知的だが、その言動から気さくな印象も抱かせる。一行の中ではビルに並ぶ美男。年齢は21歳だ。


「ゼフ、彼の容体は?」


 エレノアはゼフの向かいに腰をおろした。彼はそれを合図に説明をし始める。


「負傷しているのは左上腕部と、右腰のあたり。どちらの傷も深く、出血も酷い」


「ありがとう。それでは、わたくしは腰を。ゼフは腕を頼みます」


「かしこまりました」


 ゼフは頭を下げるなり緑色の魔法陣を展開した。


 彼は甲冑姿で背中には槍をさしている。そんなふうにしていかにもな騎士らしい風体をしているが、その本業は『治癒術師』であるのだ。剣で自衛しつつ治療も行う。役回りとしてはそんなイメージだ。


「大丈夫。直ぐに良くなりますよ」


 エレノアも彼に続いて緑色の魔法陣を展開させた。青年の表情が時を経るごとに和らいでいく。


「さっすが~」


 ミラがゼフを冷やかす。彼はそれを擽ったそうに受けた。仲のいい先輩と後輩。エレノアの目にはそんなふうに映る。


「ねえ、ゼフさん。この人は賊にやられたんですか? それともモンスター?」


「モンスターだろうな。ほら見ろ、ここに残滓がある」


 彼が指し示したあたりには紫色のもやのようなものが漂っていた。あれはモンスター固有の魔法・闇魔法の残滓だ。


 不思議なことに、モンスターが司る魔法は人族が司るものとさほど変わりない。


 だが、一つ大きな違いがある。そのいずれにも闇属性が付与されている点だ。程度によっては傷の治りを悪くしたり、悪化させることもある。


 そのため、癒し手はまずこの靄を払う。ご多分に漏れずエレノアも。彼女の手元、緑色のオーラを受けた靄がすーっと薄れて消えていく。


「傷口からして……おそらくはバトルマンティス。カマキリに似た形状の化け物の仕業だな」

 

「何だと!?」


 隊長や騎士達、ついでにレイやビルも驚愕した。エレノアとミラにはその理由が分からない。ゼフに解説を求めると快く応えてくれる。


「バトルマンティスは、脅威ランクAのモンスターなんです」


「なん……ですって?」


 上から数えて五番目。勇者パーティーに属するようなトップクラスの戦士達が相手にするような魔物だ。


「無論、この地域で確認されたのはこれが初めてのことです。ったく、どっから湧いたんだか……」

 

 彼が深く息をついたのと同時に2つの魔方陣が消えた。治療完了の合図だ。血で濡れてこそいるものの傷はすっかり塞がったように思う。


「聖女様? お連れの方……?」


 青年の目が開く。意識は未だ朦朧もうろうとしているようだ。エレノアはいたずらに刺激しないよう気を配りながら声をかける。


「ゆっくりと体を動かしてみてください。おかしなところはありませんか?」


 青年は言われるまま腰と腕を動かした。痛みもなければ違和感もないようだ。エレノア、ゼフ、青年の3人は揃って胸を撫で下ろす。


「っ、そうだ! 村! 村が魔物に襲われて――」


「存じております。ロナルド」


「はっ」


 隊長は青年から村の状況を聞き取った。その後、レイやビル、ゼフを始めとした騎士達へと目を向ける。


「レイ殿は広場で応急処置を。ビル、ゼフ、サッチ、ギャビン、ルーサーは自警団に加勢。団員の指示に従え」


「「「「「御意」」」」」


 返事をするなりレイとビルが馬からおりた。


「えっ? 何で?」


「目、つぶっとけ」


「はい?」


 戸惑うミラを他所に、レイは足元に青い魔方陣を展開。ビルは白い霧がかったオーラを纏った。


「きゃっ!?」


 直後、凄まじい突風が吹き荒れた。エレノアも堪らず目を閉じる。


「くっ……えっ!? あっ、……あれっ!?」


 目を開けた時にはもう既に2人の姿はなかった。


 後を追うように馬が駆けていく。騎乗しているのは隊長から指名を受けた4人の騎士達だ。


 ミラはそんな彼らの背をぼんやりと見送り、すっと地面に目を向けた。そこには足跡が1つ。よくよく見てみるとかなり深い。少なく見積もっても10センチはありそうだ。


 このあたりの土はかなり硬い。通常歩行であれば刻まれる足跡は精々深さ2~3センチ程度。相当な強さで蹴らなければああはならない。


「わっ! わっ! わーーーー!!!!」


 ぼんやりとしていたミラの表情が一変して溌剌はつらつとしたものになる。


「飛行魔法にはやてじゃないですかッ! しかも何なんですかあの速さ!! きゃー!! 賢者と剣聖って、あれマジだったんですね!!」


「ふふふっ、ええ。レイが賢者。ビルが剣聖ね」


 賢者は魔術師の、剣聖は剣士の最高位。勇者、聖者/聖女とは異なり初級、中級、上級と段階的に位を上げてライセンス取得に至る。その数は『聖者/聖女』についで少ない。


 賢者は魔術師15万人中8人、剣聖は騎士20万人中11人といった具合だ。パーティーの主力であるのは勿論のこと、勇者の指南役を担うことも多々ある。


「うへへ~っ。な上につよつよなんて、もうサイコーじゃないですか♪」


「おんぶに抱っこではダメよ? わたくしは勿論、レイもビルも貴方に期待しているんですからね」


「もっちろん! お任せください」


「ふふふっ、その意気よ」


 エレノアはミラの肩を叩くと、「お先に馬車へ」と耳打ちをして先ほどの青年の元へと向かった。


「一つお訊ねしたいのですが……よろしいかしら?」


「あっ、はい! 何でしょうか」


「ユーリは? ユーリも防衛戦に加わっているのでしょうか?」


 青年の話では、自警団は守備隊と攻撃隊に分かれたとのことだった。エレノアとしては言わずもがな守備隊にいてほしいとの思いが強くあったのだが――叶わなかったようだ。青年の表情が重たく沈む。


「はい。止めたんですが、攻撃隊に……」


「……そう」


 心中穏やかではないものの口元からは自然と笑みが零れた。いくら言葉を尽くしたところで、あの血気盛んな少年を止めることは出来ないだろう。そんなふうにして半ば諦めてのことだろうと思う。


「あっ、アイツはあれで結構やりますし、団長もイゴールさんも気を配ってくれているので……その……すみません。大丈夫だとは断言は出来ないんですが……その……」


「ふふっ、ありがとう」


 青年の優しさが身に沁みる。ユーリは人に恵まれている。エレノアは一人しみじみと実感した。


「さぁ、急がなくてはね」


「……はい」


「ご迷惑でなければ馬車に。傷は癒えたとはいえ、まだお辛いでしょう」


「お気遣いをいただきありがとうございます。でも、大丈夫です。お陰様でもうすっかりいいので」


「分かりました。ですが、どうかご無理はなさらないで。お辛くなったら直ぐに仰ってね」

 

 互いに礼をし合った後で、エレノアは馬車に乗り込んだ。


「わたくしに構わず、馬の負担にならない程度に飛ばしてください」


「かしこまりました」


 御者は大きく鞭を振るった。馬車がガタガタと激しく揺れる。エレノアは亜麻色のカーテンに掴まりながらひたすらに祈り続けた。ユーリと、村人達の笑顔を思い浮かべながら。



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