06.治療と約束
「今度こそ治療を受けていただきますよ」
「わっ!? ちょっ……!!!」
エレノアはユーリを仰向けに。着ていた茶色のチュニックの裾を捲り上げた。案の定そこには
(頭部と腹部は同時に。その後に膝を治療していきましょう)
「………………」
ユーリはそんなふうにしてテキパキと診察をこなす彼女の横顔を眺めていた。小さな口を開きかけては引き結んで。
「?」
「っ!?」
目が合うなりユーリは勢いよく顔を逸らした。エレノアはそんな彼を見て可笑しそうに笑う。
「安心して。極力痛みはないようにするから」
「……別に。痛いのなんて平気だ」
「あらそう? ふふっ、頼もしい限りね」
「っ!? ちょっ……!!」
エレノアはユーリを膝の上へ。所謂『膝枕』だ。白いカソックの上に紅髪が広がる。
「やっ! 止めろよ! こんな――」
「大人しくなさい。痛いのは平気なのでしょう?」
「~~っ」
ユーリはぐっと息を呑んで、行き場を失った両手をキツく握り締めた。その頬は紅く、彼の髪色に近い色合いになっている。
「結構です。そのまま楽にしていてくださいね」
「……………………………………………………無茶言うな」
「何か?」
「…………別に」
「ふふっ、それでは始めます」
エレノアは緑色の魔法陣を展開。右手をユーリの頭の上に、左手を腹部に
「同時?」
「はい。同時です」
戸惑うユーリを他所にエレノアは治療を進めていく。そんな彼女のもとにレイが向かう。サポートをしようと思ったのだろう。
「ちょっ! レイさん、待って」
「あ? 何だよ」
待ったをかけたのは護衛見習いのミラだ。彼女はレイの耳元で何事か囁く。小声でこそあるものの、かなり熱を入れて喋っているようだ。
「……何だそりゃ」
「いーから!」
レイの眉間に皺が寄る。だが、反論は続かない。彼は呆れながらも納得したようだ。その場に留まり深く溜息をつく。ミラはほっとしたように胸を撫で下ろした。
そんな二人を他所にエレノアは腹部への治療を終える。ほっと息をついてユーリに目を向けた。
「次は右膝――」
「いつもなら勝てる。……負けないんだ」
不意にユーリが語り出した。ぽつりぽつりと力ない声で。エレノアは言葉を呑んで耳を傾ける。
「ただ、今日はその、……たまたま調子が悪かったんだ。……だから、だから明日になればきっと……」
顔はエレノアがいない方へ。言わずもがな表情を隠しているのだろう。もしかしたら泣いているのかもしれない。
「すごいわ。イゴール様も相当お強いでしょうに」
「……信じてないだろ」
「信じるわ。団長様から貴方の武勇伝をたくさん聞きましたから」
「……あっそ」
頭部への治療を終えたエレノアはそっとユーリの頭を撫でた。彼の土塗れの肩が大きく震える。
「人の心を言葉で、行動で動かしていく。言うのは簡単だけれど、誰しもが出来ることではないわ」
「……よく、分かんねえ」
(そう。貴方は思うままに行動しているだけ。打算なんてないのね)
やわらかな紅髪はエレノアの手によく馴染んだ。ユーリもまた同じ思いであるのか、拒絶の声を上げることはなかった。
(名残惜しい。……心からそう思うわ)
エレノアは微苦笑を浮かべつつユーリの頭から手を離した。
「えっ……」
ユーリが思わずといった具合に顔を向けてきた。迷子の子供のような心細げな目をして。
(10歳、何ですものね)
エレノアは開きかけた扉をそっと閉じた。扉の先から光が差し込んでくる。期待しているのだ。彼ならば、ユーリならばと夢を見ている。
彼はとても真っ直ぐな人だからきっと気付くことが出来る。同じ失敗を繰り返さずに済む。安心して愛を育めるのではないかと。
(面の皮の厚いこと。見苦しいったらないわね)
エレノアは意を決して栗色の瞳を見つめる。
「団長様から伺いました。貴方の下積み時代のことを。三年間、誰からも相手にされず見稽古で腕を磨いたそうですね」
ユーリの顎に力が籠る。エレノアの目には涙を堪えているように見えた。
(やはり苦しかったのね。貴方は苦しみながらも励み続けてきた。そして、これからもそう)
「素晴らしい胆力です。わたくしは感銘を受けました」
「かんめい?」
「すごいな! かっこいいな! って、思ったってことよ」
「ふーん?」
ユーリの色白の頬が緩む。擽ったそうだ。エレノアは微笑まし気に思いながら続ける。
「ユーリ、貴方はきっとこれからもその剣と勇気で道を切り開いていくのでしょうね。ご活躍を耳にする日を楽しみにしていますよ」
我ながら無責任だと思う。ユーリの家庭での立ち位置は? 経済状況は? 彼が担うべきとされているその責任の重さは? 何一つ知らぬまま背中を押すようなことを言ってしまったのだから。
(でも、それでも静観を貫くことが出来なかった。完全なる私情。擁護の余地もないわ。……神よ、どうぞ何なりと罰をお与えください)
エレノアはどこか開き直ったような表情でユーリを見た。彼は予想に反して神妙な面持ちに。何かを深く考えている、悩んでいるとも取れるような表情を浮かべていた。
(余計なお世話だったようね。ごめんなさいね、ユーリ)
緑色の魔法陣が消える。治療完了の合図だ。エレノアはユーリを座らせて無言のまま立ち上がる。
「アンタ、名前は?」
予想外の問いかけに驚きつつも少々気恥ずかしくなる。自分は挨拶すらまともにしていなかったのかと。
「ふふっ、これは大変失礼を致しました」
エレノアはカーテシーをして地面に座ったままのユーリと目を合わせた。
「エレノア・カーライル。ご覧の通り、『聖女』の職を奉じております」
「エレ……ノア……?」
「はい。エレノアです。以後お見知りおきを」
「ふーん……」
口をもごつかせている。エレノアの名をキャンディーか何かに見立てているかのように。
「それではね。どうぞお元気で――」
「オレ、もっともっと強くなるから!」
去り際、ユーリが切り出した。彼は立ち上がりしっかりとエレノアを見つめている。肩に、全身に力を込めて。
「だからその……っ、待ってろよな!!!」
エレノアの表情が華やぐ。扉が開いていく。ゆっくりと大きく。
(……ダメよ。ダメなのよ)
我に返って慌てて閉じた。そして、自らを説き伏せるようにして反芻させていく。三大聖教一族・カーライル侯爵家の令嬢としての責務を。
(夢は夢のままで)
エレノアは目を伏せて小さく深く頷いた。再びユーリに目を向けてそっと微笑みかける。
「ありがとう。心待ちにしております」
そうして思い出へ。これ以上の進展はないと――そう思っていた。にもかかわらず、ユーリはプロポーズに踏み切った。より明白な約束を求めてきたのだ。
(悪戯好きな先輩達から焚きつけられたのかもしれないわね)
「よっしゃ! よっしゃー!!」
プロポーズが成功したのが余程嬉しかったのだろう。ユーリは無邪気にぴょんぴょんと跳ね続けている。
胸が痛む。けれど、きちんと伝えなければ。エレノアは意を決して口を開く。
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