25.失恋

「んっ……」


 何かに顔が埋まった。


(血と灰のにおい……硬く……それでいて温かい……)


 ドクドクと脈打つ音がする。これは鼓動か。見上げれば栗色の瞳と目が合う。


(金色……?)


 ユーリの瞳の奥に金色こんじきを捉える。


(綺麗……)


 力強くもなめらかな輝きに魅せられていく。


「その花……」


「えっ、……ええ。貴方からいただいたものです」


 態度が定まらない。どう接すればいいのか分からなくなる。


(不甲斐ない……不甲斐ないわ……)


 エレノアは堪らず唇を引き結ぶ。


「……恐縮です」


「えっ……?」


 返ってきたのは苦みを帯びたぎこちのない笑顔だった。


 居た堪れない。


 そんな感情がひしひしと伝わってくるようで。


(……そう。……大人になったのね)


 あの日の自分を恥じている。つまりは触れられたくないのだろう。


「……っ」


 エレノアの目尻がじんわりと熱くなっていく。


(……厚かましいこと)


「エレノア様……?」


 ユーリの胸をそっと押した。少し離れたことで赤く染まった袖が。ユーリが負った大小様々な傷が目に触れる。


「………………」


 手を伸ばしかけて――引っ込めた。


 命を削らなければならなくなるから。


(せっかく助けていただいたのに、これでは本末転倒よね)


 笑って誤魔化そうとするが、どうにも上手くいかない。


 呑み込まれつつあるからだ。余生に対する途方もない不安に。


 治療を受ければある程度は魔法を扱えるようになるだろう。しかしながら、その程度は未知数。


 場合によっては治療中に命を落とし、相手方や他の癒し手達に迷惑をかけてしまうかもしれない。


(醜聞塗れな上に余命幾許いくばくもない。その上、癒し手としても中途半端だなんて。……わたくしはこれからどうしたら……)


「すみません。気が利かなくて……。横になりましょうか」


 ユーリに支えられる形で横になる。硬い。おまけにほこりっぽい。ヴェールを被っているお陰で多少はマシではあるが。


「何か敷くもの……。いや、これじゃマズいか――」 


「エレノア様!!!」


 深緑色の甲冑姿の女性が駆け寄ってくる。


 横結びにされた薄茶色の髪。濃緑の大きな瞳。見れば見るほど似ている。


「ミラ。……あちらの女性はミラなのよね?」


「ええ。今や王国一の治癒術師様です」


「まぁ!」


 劣等生と呼ばれた彼女が今や王国一の治癒術師とは。


(一体どれ程の努力を……。素晴らしい。素晴らしいわ、ミラ)


 抱き締めて力の限り褒めてあげたい。けれど、彼女も今や27歳の立派な女性だ。


(無礼よね。自重しましょう)


 寂しさを胸にそっと目を伏せる。


「ちょっ!? ユーリ!!!」


「「っ!」」


 エレノアとユーリが揃って驚く。そんな二人を他所にミラは続ける。


「何やってんのよ!!! このバカ!!! 上着!!! さっさと脱ぐ!!!」


「え゛っ!?」


「畳んで枕にするのよ! ほらっ!!」


「いや……これ血とか汗とかで――」


「ないよかマシでしょ!!」


「~~っ、分かりましたよ」


 ユーリは半ばミラに押し切られるような形で上着を脱ぎ始めた。


(勇者の軍服を枕に……!?)


 戸惑うエレノアを他所にユーリがそっと覆い被さる。


「すみません。ご不快なようでしたら遠慮せずに仰ってください」


 ユーリはそう言って上着枕を敷いた。


(ああ、何ってこと……!)


 クリストフは勿論、ハーヴィー相手でもありえないことだ。


 勇者はその人柄に限らずおそれ敬われる傾向にある。魔物討伐の要。正義の権化とされているからだ。


(理由は分からない。でも……)


 エレノアの表情がふわりとほころぶ。


(本当に良かった。貴方は孤独ではない。少なくともミラとは対等な関係にあるのね)


「ふふっ……」


 ほっとしてかエレノアの口元から笑みが零れる。


「ははっ! 笑われてやんの~」


「~~っ、うっせぇ」


 レイ、ビルを始めとした他の勇士達も笑い出した。とても和やかな雰囲気だ。エレノアの胸もじんわりと温まっていく。

 

(重騎士の男性と付与術師の少年、見覚えがある気がするわ。きっと Ωオメガ ね。彼らが幼い頃に顔を合わせているのだわ。でも、お名前までは……頭が、まるで働かないわ……)


 やわらかな緑色のオーラがエレノアを包み込む。治癒魔法だ。ミラがレイに指示を出す形で治療を進めていく。


(ミラ、立派になって……あらっ? これって……)


 緑色のオーラに混じって、霧がかった虹色のオーラが降り注ぐ。これは『祈り』だ。


「ユー……リ……?」


(なぜ貴方が? 貴方は勇者でしょう?)


 勇者は攻め手だ。その魔力の性質上、支援系の魔法――祈り、結界術、治癒魔法、付与魔法の適性はないとされている。


(一体何故……?)


「っ!」


 褐色肌の手がユーリの白い腕を掴んだ。レイだ。その表情は同情的でありながら険しくもあって。


「止せ」


「大丈夫だよ。まだ余力は――」


「嘘つけ」


 レイの読みは妥当と言わざるを得なかった。


 魔王アイザックをほふるほどの奥義を放ったのだ。ユーリの魔力はもうほとんど残っていない。そう見るのが自然だ。


 魔力が尽きた状態で更に魔法を行使するとなると、エレノアがしたように魂をべることになる。


 ――燃やした魂は二度と元には戻らない。


 これは魔法を学ぶすべての者が一番最初に習うこと。どの系統、流派の魔術書にも必ず記載されていることだった。


 当然、ユーリも知っているはずだ。にもかかわらず、こうして魔法を行使しようとしている。


 その動機の根底にあるのは善意か、使命感か、それとも恋慕か。


(……懲りないわね)


 否応なしに膨らむ期待。それらから必死になって目を逸らす。


「ユーリ、気持ちは分かるけど俺もその……光の支援は出来ないからさ」


 苦言を呈したのは付与術師の少年だ。


 涼やかな空色のローブ姿。アイスグリーンの大きな丸い瞳、両頬に散らばるそばかすが目を惹く。


「大丈夫ですよ。自力で――」


「ナメてんじゃないわよ」


 空気が張り詰める。


 威圧感たっぷりに発せられた声はミラのものであるらしかった。


「アタシを誰だと思ってんのよ」


 ミラは一変して悪戯っぽく笑った。途端に空気が和らぐ。その背景から確かな信頼が伝わってきた。


「いーから、アンタは黙って見てなさい」


「……はい」


 ユーリは深々と頭を下げて魔方陣を解いた。


 そんな彼の肩に大きな手が乗る。ビルだ。ユーリを労わるように微笑みかける。


 対するユーリは応えることなく、無言のまま顔を俯かせた。


「……アンタだけじゃないんだからね」


 ミラは深緑色の籠手こてを外して、背後に立つ重騎士に押し付けた。


 戸惑う彼を他所に、手際よく紺色のシャツの袖を捲り上げる。


「アタシだって会いたかったんだから。……ずっと、ずっと会いたかったんだからね」


 ミラの声が震えた。悟っているのだろう。もう既に彼女が、エレノアが手遅れであることを。


(ごめんなさい。ごめんなさいね、ミラ)


「レイさん、ジュリオさん。サポート、お願いします」


 ミラ、レイ、付与術師の少年ジュリオの三人体勢で治療を進めていく。見守る勇士達の目にも熱がこもっていた。


(……生きなくては)


 この優しい人達のために。彼らの功績に影を落とさぬように。


 気付けばそう決意していた。この恩に報いたい。ただその一心で。


(励みましょう)


 変わらずノープランではあるものの、目標が定まったためか幾分か心が軽くなったような気がした。


「………………」


 エレノアはそっと目を閉じる。助け出してくれた皆に、神に、感謝の祈りを捧げながら。



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