36.内緒話(※ユーリ視点)

「かぁ~……眠っ……」


 深夜2時を過ぎた頃、ユーリは白い軍服に帯刀したままの姿で屋敷を出た。エレノアの兄・ミシェルに呼び出されたためだ。


 眠り眼を擦りながら指定の庭園を目指す。時刻は深夜2時。この集まりにはユーリの師であるレイやビルも呼ばれている。


 用件は聞いていない。ただ、とのことだった。


「ここか」


 庭園に足を踏み入れるなり風が吹き荒れた。紅髪を好き勝手に弄ばれる。ユーリは煩わし気に頭を押さえつつ周囲を見回した。


 庭園の四隅は生垣でブロック分けされ、赤や亜麻色の薔薇ばらが植えられている。


(師匠達は……まだか)


 庭園の中央に向かって歩いていく。そこには囲い付きの大きな池がある。ユーリはその囲いの上に手を置いて息をついた。


「ん……?」


 亜麻色の花びらが視界を霞めた。指でぱしりと挟んでじーっと見つめる。


(エラの髪の色に似てるな)


 ここ数日の間に触れた髪のなめらかさ、やわらかさを思い返す。


「今日も綺麗だったな」


 再会したエレノアは、あの頃のまま――恋に落ちたあの日から何一つとして変わっていなかった。


 けれど、素直に喜ぶことは出来なかった。失ったものの存在があまりにも大き過ぎて。


 それでもエレノアは前向きな姿勢を見せてくれている。思い出作りに専念したい。自分との時間を優先したいと。


「でも……あれは強がり……だよな」


 エレノアの精神こころは変わらず癒し手であるのだろうと思う。


「もしもの時は……きっと……」


 水面に映る自分を見やる。眉も口角も下がって……何とも頼りない顔だ。


「……アホ面」


 零しつつあごに力を込める。


「覚悟は出来てる。そうだろ?」


 ――生き様も含めて愛する覚悟でいる。


 あの言葉に嘘偽りはない。


「…………」


 亜麻色の花弁をそっと手放す。池に向かってひらひらと舞い落ちていく。


 それを見つめるユーリの表情はみるみる内に歪んでいって。


「……っ、……えっ?」


 堪らず顔を逸らすと頬に何かが触れた。やわらかい。見ればチョコレートブラウンの髪がユーリの頬を撫でていた。


「先生……」


「大丈夫だよ。きっとまた巡り合えるから」


「……そうでしょうか」


「会えるよ。使命やくそくを果たしたらきっとね」


使命やくそく……ですか」


 ビルの手から紅色の花弁が零れ落ちて――亜麻色の花弁にぴたりと寄り添う。


「ちょっとばかし、いや大分気障きざですね」


「ふふっ、そうかも」


 ユーリの眉と口角が上がっていく。目尻が熱い。誤魔化すように鼻を勢いよくすすった。


「『紅薔薇の勇者』と『亜麻薔薇の聖女』……何てのもアリなのかもね」


「それ、ミラさんには――」


「言わないよ。……たぶんね」


「ちょっと」


「ふふっ」


 ビルはそっと紅髪に触れた。ゆるく引いてぱらぱらと散らして。


「綺麗な髪」


「俺は嫌いです」


 言いながらビルの手を払う。対するビルは気分を害するでもなく楽し気で。


「どうして?」


「田舎臭いじゃないですか。あか抜けないっていうか……」


「色は関係ないんじゃないかな?」


 ユーリはちらりとビルの方に目を向けた。


 髪の色は――チョコレートブラウン。庶民にも見られるようなありふれた髪色だ。


 服装は――白いチュニックに黒いズボン。帯刀しつつも、全体的にカジュアルな格好をしている。


 悪く言えば平凡な髪色、手抜きな格好をしているのにもかかわらず野暮ったくない。むしろ洗練されているとさえ思えた。


(違いは何だ? やっぱ……)


「顔?」


「お育ちの差だ」


「ぐっ……!」


「レイ」


「お前は『貧乏草』だ。どー足掻いたところで『薔薇』にはなれねえんだよ」


「せめてハルジオンって言ってくんねーかな?」


「貧乏草」


「~~っ、にゃろ……」


 振り返ればニヒルに笑うレイと目が合う。相変わらずの革製の黒のジャケット、パンツ、ブーツスタイルだ。


「ふふっ、良いね。実に微笑ましい」


「っ! ミシェル様」


 ユーリの背がぴんっと伸びる。ミシェルはゴールデンブロンドの髪をなびかせながら、ユーリに緊張を解くよう促した。


「うぐっ……」


 こんな何気ない仕草からも色香が漂う。片や自分は……とユーリは小さく肩を落とした。


(司令部の軍服……やっぱカッコイイな)


 そうして視点を変えることで、心の平穏を保ちにかかる。


 ミシェルが着用している軍服は、ユーリ達が着用しているものと比べると大分多彩だ。


 体の中央から首を覆う襟にかけては『深紅』、その他ジャケットの全体は『濃紺』、胸飾りのジャボは『空色』、ベストは『深緑』、シャツは『白』といった具合。


 いずれも実働を担う――勇者、騎士、魔術師、付与術師、治癒術師といった者達を象徴するカラーだ。


 ミシェルを始めとした司令部は、彼らの命を預かる立場にある。そういった重責を軽んじることのないよう、彼らの色を身に着けているのだとか。


「いいものを見せてあげよう」


 ミシェルがポケットから何かを取り出した。小箱であるようだ。


「何だそりゃ?」


「秘密基地さ」


「あ゛……?」


 ミシェルは箱を地面に置くなり魔方陣を展開させた。魔術師であることを示す青色の光が周囲をぼんやりと照らす。


「なっ!?」


 景色が白く塗り潰されていく。カーテンをおろすようにゆっくりと。


「これは……?」


「亜空間だよ。まぁ、30分限定ではあるけどね」


 果てしなく続く白い空間。存在しているのはユーリ、レイ、ビル、ミシェルの四人だけになる。


「開発者はフランシス・プレンダーガストだ」


「フランシス様って、あの転移装置を作ってくださった?」


「ああ。私は彼のパトロンも務めていてね。エラに持たせた魔法かばんも、彼から極秘裏に譲り受けたものだった」


(……知らなかった)


「この事実はエラ自身も知らずにいる」


「そうなんですか?」


「知る必要もないからね。無用な負担はかけたくなかった」


「けど、俺らには言うんだな」


 ふっかけたのはレイだ。ミシェルは怒るでもなく困り顔で肩をすくめる。


「すまないね。君達相手だと甘えてしまって」


「っは、よく言うぜ」


 レイは忌々し気に表情を歪めた。


だ……とでも思ってるんだろうな)


 ミシェルは所謂『秘密主義』


 相談をすることも、ましてや弱味を見せることもない。


 先王をたぶらかして公妾になった時も、父・ガブリエルを煽動して現国王派(旧:王弟派)にくみさせた時も、先王の無血退位を計画していた時でさえも。


(それが悔しくて仕方がないんだよな)


 レイはミシェルに対して特別な思い入れがある。


 殉職した恩師・エルヴェのであるからだ。その程度はエルヴェの実姉であるクレメンスも認めるほど。


 だからこそ、人一倍力になりたいと思っている――が、肝心な時にはいつも蚊帳の外で。


 それ故に常日頃からもどかしさと苛立ちを募らせているのだ。


(ったく、素直じゃねーな……)


 そう。だからこそ今は物凄く嬉しいはずなのだ。こうして秘密を共有すること、相談を持ち掛けられること、それ自体が。


『あ~、あ~、何やってんだおめぇーは』


 今は亡き自警団の仲間・イゴールの声が聞こえてくるようだ。ユーリはレイに気付かれないよう、こっそりと苦笑を浮かべた。


「臆したかい? まぁ、無理もない。聖女が魔法鞄を有していたなどと知れれば、当人であるエラは勿論のこと、私やフランシスもただでは――」


「やっすい挑発はよせ」


「ふふっ、頼もしい限りだ」


(上手い)


「上手いね」


 ビルも同じ感想を抱いたようだ。顔を見合わせて笑い合う。


 すると直ぐに舌打ちが飛んできた。言わずもがなレイだ。今更になって術中にはまったことに気付いたようだ。


(ははっ、調だな)


 聞いた話によると、エルヴェ相手でもであったらしい。常に彼のペース。端的に言えば振り回され続けていたのだとか。


(エルヴェ様……どんな人だったのかな?)


 無邪気で気まぐれ。それでいて我儘だったとは聞いているが、詳しいエピソードについては未だ聞き出せてはいない。


「さて。それでは、本題に入るとしようか」


「ンな勿体付けるほどのことなのか?」


「『ホムンクロス』の制作に協力してほしいんだ」


「は……?」


 レイの表情が引きっていく。信じられないと言わんばかりに何度となく首を左右に振って。


「「ホムンクロス……???」」


 ユーリとビルの声が重なる。それを受けてレイが一層大きく舌打ちをした。


 ――嫌な予感がする。とてつもなく嫌な予感が。



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