48.追想の勇者

「やっぱりここでしたか」


「ふふっ、ごめんなさいね。どうしても見ておきたかったの」


 ここは10年前、ユーリがエレノアにプロポーズをした場所だ。


 区画整理が行われてしまったために、場所の特定は困難であるように思われたが、領主であるアーロンの協力を得て何とか辿り着くことが出来た。


 左手には家畜小屋、右手には牧草地が広がっている。従業員の姿はなく、牛の鳴き声だけがのんびりゆったりと木霊こだましていた。


「ここも大分小綺麗になりましたね」


「……そうね」


 エレノアは歪な罪悪感を胸で転がしつつ、ユーリの言葉に耳を傾ける。


「家畜小屋は勿論、放牧柵にまでこだわりを感じます。あんなところにまで面取り材を使うなんて、俺がいた頃からしたら考えられませんよ」


「そうね。良質な設備に加えて、手入れもよく行き届いているように思います」


「そうですね。『掃除刈り』もしっかりと行われているようですし」


「掃除刈り?」


「ああ……牛や羊が食べ残した草を刈り取るんですよ。そうすることで、次に伸びてくる草が同じ高さになるよう調節していくんです」


 ユーリの実家は農家であったはずだが、畜産業についてもそれなりに明るいようだ。


(大方、手伝いにでも駆り出されていたのでしょうね。文句を言いながら作業をする、そんな貴方の姿が目に浮かぶようだわ)


 ご褒美はやはりミルクだったのだろうか。想像するだに胸の奥がじんわりと温かくなってくる。


 一方で切なくもあった。失われたものの尊さを改めて痛感して。


「この村を訪れて、1つ学んだことがあります」


「…………」


 ユーリは変わらず牧草地の方に目を向けていた。表情は乗っていない。怒っているとも、無関心とも取れる。


 彼の真意が掴めない。その不安からおくしかけるが、エレノアは意を決して続けた。


「別れを胸に前進する。これは決して罪ではない。むしろ誇るべき選択であるのだと」


「なるほど。、ですか」


「捨てろとまでは言わないわ。ただ、と……そう思うのです」


 ユーリは小さく笑った。苦笑だ。無茶を言うな。そんなぼやきすら聞こえてきそうでもある。


(今日はここまでね)


 今すぐに考えを改めてほしいわけではない。1つの選択として、ユーリの中に残ればそれでいい。


 いつの日にか、エレノアに代わるその人が現れた時に、この出来事が後押しになればそれで――。


「ご存知ですか? ハルジオンの名前の由来を」


「えっ……?」


 思考が一瞬ショートした。ユーリの問いかけの意図がまるで分からなかったから。


「……さあ? 春に関係のあることかしら?」


「春に咲く紫苑しおんに似た花です」


「……そう」


「由来通り春にしか咲かないはずなんですけどね。あの日は……ポプラの木の紅葉が見頃を迎えるぐらい秋真っ盛りだったっていうのに、なぜか俺の目の前に現れたんです」


「それは素敵なね」


でしょ? おまけに花言葉は『追想の愛』ときたもんだ」


「ふふっ、何だか今日の貴方はとってもロマンチストね」


 これ以上耳を傾けてはいけない。決意が揺らいでしまう。そんな確信にも似た予感がした。


 エレノアは焦りにも似た感情に促されるままユーリに背を向ける。


「伯爵がお待ちです。お屋敷に戻りましょうか――」


「俺は、この村の人達のようには生きられません」


「っ!」


「少なくとも貴方に関して言えば」


 ハッキリと言い切った。胸が震える。嬉しい。許されるのなら、感激から生じたこの涙を解放してしまいたい。


 だが、ダメだ。そんなことをしては足枷あしかせに。この光景は、未来のユーリの決断を鈍らせるものになってしまう。


「ここは『追想の勇者』らしく、過去に思いを馳せてみましょうか」


「後にしましょう。今は――」


「あの日、俺は貴方に一目惚れをしました」


 遮る間もなく出会いの日の記憶がよみがえる。


 10歳のユーリが、エレノアと目が合うなり頬を色付かせて、栗色の瞳をじんわりととろけさせていく。


「貴方は本当に綺麗だった。目も、髪も、纏う雰囲気まで全部」


 ユーリは言いながらゆっくりと目を閉じた。まるでそうあの日の光景を思い起こすように。


「気付けば俺は貴方のとりこに。心を奪われていた」


 ユーリは小さく笑った。彼の視線は変わらず牧場に向いたまま。開かれた瞳に夕日が乗る。


(綺麗……)


 その輝きには当時のような初心さはなかったが、途方もなくまぶしく清らかで。


「……っ」


 直視することが出来なくなる。エレノアは堪らず目を伏せた。


 ユーリはそんな彼女を一瞥いちべつしつつ、自身の剣の柄頭つかがしらに右手を置く。


「だけど、貴方はただ綺麗なだけの人ではなかった。自身の正義を貫くためなら、死すらいとわない。そんな強くて儚い人であると知りました」


 魔王・アイザックとの決死の交渉、反抗のことを指しているのだろう。


(そんな立派なものじゃないわ)


 村は守れず、残せた寿命も2年足らず。を通しただけで、結果にはまるで結びついていない。


「厄介な人を好きになってしまったと、何度となく後悔しました。けど、それでも俺は貴方を諦めることが出来なかった」


 靴が土をなぞる音がした。ユーリは多分――こちらを見ている。


 エレノアの背に緊張が走る。その反面、無性にユーリの顔が見たくて堪らなくなる。


「会えないと分かっていても、俺の心は貴方でいっぱいで。……視線の先にはいつも貴方がいたんです」


(これから先も? わたくしがいなくなったとしても、それでも貴方は……)


 唇を噛み締めて、一層顔をうつむかせる。漏れかけた願望を、胸の奥に押し込めるように。


(分をわきまえなさい。わたくしは去り行く人間。ユーリの足枷になっては――)


「俺の心は永遠に貴方のものです」


「……っ」


 胸が震える。ユーリはきっとあの目をしているのだろう。挑発的でありながら悪戯っぽいあの目を。


(見てはダメ。目が合ったら最後、わたくしは貴方に魅せられてしまう。貴方に夢を見てしまうから)


 エレノアは顔を俯かせたまま首を左右に振った。溢れかけた涙を目尻で散らす。


「気持ちはありがたいけど、遠慮しておきます」


「…………」


「貴方の人生はこれから先も10年、50年と続いていく。様々な出会いと別れが待っているはずですから」


「それでも俺は貴方を思い続けますよ」


「そんなの、……辛すぎるわ」


「易いもんですよ。再び貴方と巡り合えるのなら」


「巡り……合う……?」


 突風を正面から受けたような、そんな衝撃を受けた。


(めぐりあう? ……巡り合う。誰と? ……貴方とわたくしが……?)


「先生が教えてくれたんです。使命やくそくを果たせばきっとまた巡り合えるはずだと」


「素敵……」


 思わず口をついてしまった。考えもしなかったからだ。


 エレノアが信仰している聖教では、死後は天使に導かれて『神の世界』に向かうとされている。


 しかしながら、その世界が具体的にどういったものであるのか、どういったことが出来るのかについては、想像することを固く禁じられているのだ。身の程を弁えない不敬な行為であるとして。


(でも、もし……もしも本当に再会が叶うのなら)


 胸が高鳴り、口角は自然と持ち上がっていく。そんな彼女を見て、ユーリは――。


「へへっ」


 勝ち誇ったように笑った。息が苦しい。背は甘く痺れて。


(望んでもいいのかしら? 貴方からの永久とわの愛を。わたくしが永久に貴方を愛することを)


 顔が持ち上がっていく。心が求めて止まないのだと実感した。ユーリを。この愛おしい人を。


「……っ」


 茶色がかった金色の瞳と目が合う。案の定、彼は挑発的で悪戯っぽいあの目をしていた。


 喉の渇きにも似た激情が思考を塗り潰していく。


(貴方が好き。どうしようもないぐらいに貴方が。誰にも、誰にも渡したくない……っ)


 エレノアの白い頬を、光を帯びた涙がつたっていく。せきを切ったように溢れ出して、もう――止まらない。


「お返事は結構ですよ。難しいでしょうし、何より……その表情だけで、答えとしては十分ですから」


 ユーリが歯を出して笑った。その表情は20歳の青年らしくあどけなくもあって。


「待っていてください。必ず俺が迎えに行きますから」


 エレノアが小さく頷いたのと同時に――2つの唇が重なり合う。木枯らしが吹いたが、まるで寒さを感じなかった。


(ユーリ……)


 エレノアは震える手を持ち上げて、彼を力いっぱい抱き締めた。隠しきれなくなったその思いを体現するかのように。



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