40.糸
「ヴェールをかぶせていきますね」
「ええ。お願いするわ」
頭の上に白いヴェールが乗る。
目を開けると、鏡の中には白いカソックに身を包んだ自身の姿があった。
(見納めね)
途端に膨らみ出す。胸の奥に秘めたはずの未練が。
(ダメよ。趣旨を見失はないで。貴方は
膨らみ出した未練を再び胸の奥へと押し込んでいく。
『これでいいのよ』と何度となく自身に言い聞かせながら。
「へへっ、喜んでますね。カソックもヴェールも」
「あら? ふふっ、そう?」
不思議な物言いをするこのメイドの名はアンナ。
小柄で華奢な体型、栗色の髪、黒い猫目が印象的な17歳の少女で、母・クレメンスからの猛プッシュを受けてエレノアの専属メイドに就任した。
そんな彼女の右手にはとある特徴がある。端的に言えば
元は母の気に入りの仕立て屋で針子として活躍をしていたのだが、同僚達からの嫉妬を買い指を切断。退職を余儀なくされてしまう。
不憫に思った母は彼女をメイドとして雇用。キャリアも3年目、母
(流石はお母様ね)
アンナは寡黙で表情が乏しい。これは生来の気質であるらしく、不幸にも元同僚達からの嫉妬を買う要因ともなってしまった。
当人であるアンナも猛省し、彼女なりに改善を試みているそうだが、未だ成果を出せずにいる。
……などと聞かされて、お節介焼きなエレノアが食いつかないはずもなかった。
つまりは、母の目論見通りであったというわけだ。
(なるほど。お裁縫の話になると
確かな手ごたえを胸に、もう一歩踏み込んでみる。
「変わらず針を握っているそうですね」
「はい。あくまで趣味で。前みたいに早くもないし、綺麗でもないけど……でも、やっぱり好きだから……」
アンナは照れ臭そうに、それでいて愛おし気に語った。
過去の失敗を重く受け止めながらも、裁縫への思いは捨てきれずにいる。
裁縫はアンナにとって欠かすことの出来ないライフワークであるのだろう。
(……羨ましいわ)
隙あらば未練が顔を出す。悪い癖だ。エレノアは苦笑一つに本題に入っていく。
「折を見て指南をいただけないかしら?」
「ごめんなさい。自信、ないです。アタシ……話すの……下手だから。イライラさせたり……きっと嫌な思いを――」
「あら? ふふっ、これでも
「……っ! ……申し訳ございません。口答えなんてして。がっ、がんばります」
返事自体は前向きではあるものの、その声は重く沈んでいた。
(建前ではなく本心から罪悪感を抱いていらっしゃるのね)
これについてはエレノアにも通じるものがある。
彼女もまた被害者の立場でありながら、加害者である魔王アイザックを憎み切れずにいる。
母はこういった側面も鑑みて、エレノアとアンナを引き合わせたのかもしれない。
(期待にお応えしなくてはね)
魔王アイザックに対する同情の念は正しいのか、それとも誤りなのか。
この問いについては、未だ明確な答えは出せていない。
だが、それでもエレノアは歩みを止めず進み続けている。
一方のアンナはといえば、あの日から立ち止まったまま。新天地に移ってもなお後悔に暮れている。
そんな彼女を目の当たりにした母は、エレノアのように思い悩みながらも前進するべきだと思い至ったのだろう。
(アンナ。誠に勝手ながら貴方の背を押させてもらいます。……急かすような真似をしてごめんなさいね)
口には出さずに内心でこっそりと詫びる。
何も知らないアンナは満足気にうんうんと頷いた。
「準備、出来ました」
「ありがとう。さぁ、参りましょうか」
エレノアはアンナと共に邸を出た。
ユーリは急用が入ったとのことで別行動に。
護衛役は長兄・ミシェルの直属の部下である王国騎士団・聖教支部の面々が務めてくれた。
無事にパレードの出発点である王城に辿り着いたエレノアは、アンナと共に集合場所である城内の広場へと向かう。
「っ!!! エレノア様! うわぁ~……超綺麗……!!!」
二階建てのフロート車の前には、ビル、ミラ、ルイス、ジュリオ、リリィの姿があった。
いずれも正装。剣聖であるビルとルイスは深紅、治癒術師であるミラは深緑の軍服姿。付与術師であるジュリオとリリィは空色のローブ姿……と何とも色鮮やかだった。
「そうだ! エレノア様、これ忘れない内に」
ミラが駆け寄ってくる。その手には見覚えのあるハンカチがあった。
右端にEのアルファベットと
これは10年前、母から贈られた物。エレノアの旅の無事を祈って手作りされた物だった。
「遅くなっちゃってすみません。本当にありがとうございました」
エレノアは促されるままハンカチを受け取った。
それと同時に彼女の夫であるルイスが目を伏せる。
(ご安心ください。おそらくは……わたくしも貴方と同じ思いです)
エレノアはルイスを一瞥した後でミラに向き直り――受け取ったばかりのハンカチを差し出した。
「あっ、ははっ……もしかして忘れちゃいました? これは――」
「勿論覚えていますよ。あの日……わたくしはこのハンカチと共に貴方に患者様を託しましたね」
「じゃあ――」
「今度はわたくしの夢を」
ミラが息を呑んだ。濃緑の瞳がじんわりと歪んでいく。
「叶うことなら一人でも多くの患者様をお救いください」
「……、…………っ……」
ミラの濃緑の瞳から大粒の涙が零れ出す。彼女なりに必死に言葉を紡ごうとしているようだが、思う通りにならないらしい。もどかし気にきつく唇を噛み締めている。
「
彼女の夫であるルイスが、ミラの細い肩をそっと抱く。やはり彼もまた同じ思いであるようだ。
ミラには変わらず癒し手として
ただ、彼女は癒し手であるのと同時にフォーサイスの人間。
一族の待望である『勇者』の母となる使命も背負わされる立場にあるのだ。
状況によっては、妻としての役割を優先するよう強く求められることになるだろう。
(そこでこのハンカチの出番というわけですね)
このハンカチは大いに役立つはずだ。
何せミラの師であり、『救国の勇者』の妻でもあるエレノアの願い――その結晶であるのだから。
「っ、励みます!! エレノア様の分も、~~っ、全力で……っ」
「ありがとう。頼みましたよ、ミラ」
(夢は無事にミラに託された。……もういい加減この未練ともおさらばしなくてはね)
出来そうにもないが励んでいかなくては。エレノアは小さくそれでいて重く頷いた。
「……ハンカチ、なるほど。ハンカチなら……」
背後でアンナがぶつぶつと呟き出す。
裁縫教室の課題としてハンカチを検討してくれているのだろう。
ちらりと背後に目を向けると、彼女は失われたはずの右手人差し指を顎にそえて思案していた。
今の彼女は執事がするような白い手袋を装着している。
当該箇所に詰め物をすることで、指があるように見せているのだ。
彼女なりの配慮と自衛のための選択であるのだが、残念なことに裏目に出てしまっている。
王国におけるメイドは手袋をしない、というのが通例であるから。
ようは、誤魔化しているつもりが逆に注目を集めてしまう⇒秘密が露呈してしまっているというわけだ。
(欠損した指を治して差し上げられたらいいのに……)
彼女の指が落とされたのは3年前。
言わずもがな、落とされた指は行方知らずだ。
現存していたとしても既に骨の状態。再生させることは出来ない。
(回復魔法の限界……ね)
祈りでも治癒魔法でも治すことが出来ない。これは認めざるを得ない事実だ。
だからこそ、それに代わる幸福をアンナにと切に願うのだ。
「あっ……そういえば……賢者・レイモンド様は?」
「レイは私用により欠席です」
アンナからの問いに答えてくれたのはビルだった。
エレノアは苦い表情を浮かべてやれやれと首を左右に振る。
「
「まったく! もう何も恐れるものなどない。むしろ王国女子からは熱視線を送られているのにぃ~~~!!!」
「
「っは、チビスケが知ったような口利くんじゃないわよ」
「あ゛?」
「ふっ、二人とも落ち着いて……」
一触即発状態のジュリオとリリィをルイスが宥めにかかる。
ユーリが不在の折には、彼が調停役として奔走することになるようだ。
とはいえ、ルイスはかなりの気にしいだが性格は気弱。
彼の気苦労を思うと、見ているこちらの胃まで痛くなってくる。
「まぁでも、何だかんだ言って見に来ているとは思いますよ。エレノア様とユーリの晴れ舞台でもあるので」
条件反射的に頭に浮かんだのは、物陰からそわそわとした様子でパレードを見守るレイの姿だった。
「ぶっ……!」
「レイ……っ、ああ……そうよね。貴方はそうあるべきよ……!!」
どうやらジュリオ、リリィも似たようなイメージを膨らませているらしい。先程までの怒りは何処へやらだ。
(流石ね、ビル)
ルイスもアイコンタクトで感謝の念を送っている。半ば涙目だ。
対するビルはと言えば、穏やかな眼差しで応えていた。
――亡き兄・アーサーの親友
――亡き親友・アーサーの弟
それはきっと、アーサーにとってどちらも欠かすことの出来ない大切な存在であるからなのだろう。
(熱く、それでいて尊い関係ね)
エレノアは微笑まし気に頬を緩める。すると――。
「すみません! 遅くなりました」
ユーリが一瞬にして姿を現した。剣技の一種である
服装は馴染みの上下白の勇者専用の軍服姿だ。
「ご苦労様でした。間に合って良かったわ」
「まぁ……何とか……っ!」
顔を上げたユーリと目が合う。彼の色白な頬はほんのりと赤く色付き、金色がかった栗色の瞳はじんわりと
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