第二四話 課外学習はめんどくさい



 小学3年生のとき、僕はいじめられていた。


「目堂って、ちょっと臭いよな」


 確か始まりはそんな一言だったと思う。まあ、きっとそれは重要ではなかった。


「目堂菌がついた!きったねぇ」


 いじめと言っても小学生がやるようなことだから、無視されて悪口を言われるくらいが精々で暴力的なことはほとんどなかった。


「目堂くんとは話しちゃだめだよ。ひまつかんせん?だっけ。菌が移っちゃう」


 でも、両親が忙しく、家庭や他に居場所のなかった僕にとって、世界の全てだった学校でのいじめは何より辛かった。



 あの日はそれにしても行き過ぎていた、と思う。



「おい。こん中入れよ」


 まさに悪ガキといった感じの少年は掃除用具入れを指して、そう言った。


 その場にいたのは3人ほどだったか。


「そ、そこに入ったら、また仲良くしてくれる?」


 彼らと僕は昔、仲が良かった。まあ、このことを考えれば本当のところはそんなに仲良くなかったのだろうが。


「ああ」


 掃除用具入れは湿気ていて、カビや腐った牛乳のような匂いが充満していた。


「この雑巾でそのくっせぇ体拭いたら、仲間に入れてやんよ」


 ろくに絞られていない濡れ雑巾を投げつけられ、掃除用具入れのドアが閉められる。


「ま、待って!出してくれ!」


 必死で開けようとしたが、机で抑えられたドアはびくともしなかった。


 僅かな隙間から外を見ると、三人は仲良さそうに話をしながら教室から出ようと歩みを進めていた。


 絶望みたいな感情が心を埋め尽くした。

 いや、あれは諦めだったろうか。



 そのとき、教室の扉が開いた。



「うん?お前誰だ?」


 同い年……いや、一つ下くらいだろうか。黒髪の美しい少女がそこに立っていた。


「おにいちゃんたちだけ?」


「ああ。なんの用だよ」


 少女は教室の中に入ると、扉を閉め、鍵をかける。


「お前、何し」


 大柄な少年が声を荒げようとした瞬間、彼の喉にきりが刺さった。


「……え?」


「う、うわあああああ」


 血が噴き出す。その光景は非日常的で、一人は腰を抜かしたように座り込み、一人は教室から出ようと扉を目指す。


 少年は扉を開けようとするが、鍵がかかっていたことに気づく。


 その時点で手遅れだった。


 そんな中、僕は取り憑かれたようにただただ少女を見ていた。


「こ、こっちに来るなあ!」


 座り込んだ少年は後退しながら、そう叫ぶ。


 しかし、彼女の手は無常に……振り下ろされなかった。


 少年が少女の手を押さえる。


「は、こ、これで」


 少女は少年の腕に顔を近づける。


「いっっった!」


 思いっきり腕を噛まれた少年は彼女を押さえていた手を離す。


「きれい……」


 僕はただ、そう呟いた。




 少女は彼らが息をしていないか一人ひとり、確認して顔を上げた。


「よし!三にんもしんだら、遠足なくなるよね!」


 彼女はそう言って、スキップをしながら血濡れの教室を後にする。



 そんな彼女の姿はまるで、まるで――





 ――天使みたいに見えた。






 その後、この惨状は先生によって見つかり、僕は初めて警察署というところに足を踏み入れた。


「お前さん、女の子が殺したとか、なんとかって証言してるんだって?」


 強面の刑事が僕の隣に座った。


「なあ、お前さんだってわかってるんだろう?小学生の女の子があんなことをする訳ないって」


「わかってる、けど」


「お前さん、異能って知ってるか?」


「へ?」


「不思議な力のことだよ。実は俺はお前さんの親戚でね。俺らの家系もそんな力を持ってるんだ」


「それは、僕もってこと?」


「ああ。お前さんは受け継いでないと思ったんだがな。いじめられて、力が暴走しちまったんだろうな」


 男は痛ましそうに僕を見る。


 男は本物の異能力者で、陰陽師というやつだった。


 僕は男の説明に納得し、心の中には深い罪悪感と美しい天使の姿だけが残った。


 そして、両親にも言えぬその理由により僕は彼の養子となった。




 だから、彼女を再び見たとき、わけがわからなくて、僕は呆然と一つの言葉を振り絞った。



「……天使?」



 彼女はあの時から全く変わらず、罪を、悪を知らぬ子供のようだった。


 そして、僕は罪悪感という荷物を下せたことにどうしようもなくほっとした。


 その後は彼女のことをずっと見ていた。彼女が昔と変わらないことはすぐわかった。


 養父のことを思えば、彼女と会った後に報告すべきことだった。


 でも、出来なかった。出来るわけがなかった。


 彼女のどんな行動を見ても、どんな悪行を見ても、一つの感想しか思い浮かばなかったのだから。



「きれい」



 その一言しか。






「なんで、助けてくれたんですか?」


 彼女は本当に不思議そうに僕を見つめる。



 なぜ、なぜかだって?ああ。



 だって、君に僕は救われたんだ。


 だって、君がきれいだとあの時思ったんだ。


 だって、君は僕にとってどこまでも





――天使なんだ。


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