第三三話 過去の誰かの記憶


「うーん。やっぱり、友達は三人ほしいな。それで昼休みとかに一緒にお弁当を食べて――」



「なーにを、そうぼそぼそ呟いてるんですか?狭間さん?」


 非常にいやな予感とともに顔を上げると、数学の教師が私の机の前に立っていた。


 私と目が合うとにっこりと微笑み、落ち着いた声色でこう言った。


「授業後、私のところまで来るように。ノートは提出ですから、書いてないならお友達に見せてもらいなさい」


「……はい」


 そう言えて満足したのか、先生は授業に戻る。


 私は机の端に寄せられたノートをつまんで眼前まで持ってきた。


 白紙。見事なまでの白紙だ。


「見せてもらえる友達なんていないから困ってるのに」


 小声でつぶやく。


 もしかして、先生はそれがわかった上で嫌味として言ったのだろうか。だとしたら、あの先生かなり性格悪いぞ。




「まあ、これを取られなかっただけましか」


 机の真ん中に鎮座している真っ赤な手帳をパラパラとめくる。


『高校でやりたいこと!!!』


 そう書かれたページに連ねられた駄文の数々。


 中学1年生が書くような内容ではないことはわかっている。


 でも、正直なところこれからの中学生活に希望を持てなかった。


 中学デビューに失敗、もうグループができた中では致命的だ。


 だから、私はまだ見ぬ高校生活に希望を託している。


「もう3時半か、じゃあ、これで授業は終わりにします。宿題は次回提出で」


 号令がかけられ、私は慌てて立ち上がり、礼をする。


 そして、渋々先生のもとへ足を進めた。


「狭間さん、これを休んでいる人の家まで届けてくれない?」


 先生の要件は説教ではなかったらしい。驚きだ。でも……。


「すみません、用事があるので」


 適当な言い訳を頑張って考える。人の家に行くなど、出来るわけがない。


「わかった。じゃあ、いいよ。あと、授業中はちゃんと集中して。せめて休み時間にやったら同級生が声をかけてくれるかもしれないよ」


「へ?」


「あれ、狭間さん、声をかけてもらいたかったんじゃないの?手帳を真ん中に広げて、みんなから見やすいようにしてたし、てっきり」


 私は思わず顔が赤くなっていくのを感じた。なぜなら、先生の言うことを妄想したことはあったし、少し期待もしてたから。誰か声をかけてくれて、そこから友達になれたりするんじゃないかって。


「受け身じゃ、何事も進まないよ」


 そう言いながら、先生は立ち去ろうとする。


「っ待ってください。やります。届け物」


 高校からは自分からたくさん行動しないといけない。今から、ちょっとずつでもその癖をつけないと。


「よし、きた!」


 先生は歓呼した。






「やっぱり失敗だったかな」


 私はズーンとした気持ちになりながらある家の前に立っていた。


 でも、まさか思わなかったのだ。届け先が四有綺羅さんだとは。


 四有さんはクラスで有名だった。


 とても美人で成績優秀、文武両道でありながら、人付き合いをほとんどせず、孤高を貫き通している。


 私とは全くの正反対とも言えた。


「でも、プリントを届けるだけ。それだけ」


 私は深呼吸をしてインターホンに手を伸ばす。


 そのとき、小さい悲鳴が聞こえた。


「え?」


 聞き間違いだろうか。いや、違う。この家から聞こえていた。


 何かあったのかもしれない。私は咄嗟に玄関扉の取っ手を掴む。


 いや、でも何もなかったら……ううん、行動、するんだ。


 私は扉を開ける。


「すみません、何かありました……か?」


 そして、その瞬間凍り付いた。


 玄関前で、一人の女性が少女に刺されていたから。


 少女、いや私は名前を知っている。私の同級生……四有綺羅だ。


「あ、すみませんでした」


 私はそう言って、扉を瞬間的に閉めようとする。が、何かが挟まった。


 私がそれを確認しようと下を向いた瞬間口をふさがれ、そのまま家へ引きづりこまれた。


「失礼」


 そう言いながら彼女は血濡れた包丁を私に突き刺す。


 い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


「えっと、どちら様かおしえてもらっても?」


「……同級生の、は、狭間」


「あ、もしかしてこのプリント持ってきてくれたの?うわ、それは想定してなかったな」


 ブツブツと独り言を言う彼女を前に、私は傷を確認する。血が、あふれていた。


「私、死ぬの?」


「ん?まあその出血量なら2、3時間で死ぬだろうね。まあでもその前に、私がとどめをさすから安心して」


 そう言いながら、包丁を振り上げる彼女に対して、私は咄嗟にこう言った。


「私、アリバイ工作するよ」


「ん?」


「け、警察にばれたらやばいんでしょ?なら私が電話して四有さんはいなかったってことに、どうにかこうにか偽装する。だから殺さないで、あと数時間でもいい。いいから、生きさせて!」


 四有さんは虚をつかれたように驚いた顔で、しばらく黙ったあと、頷いた。


「いいよ、それいいね」








「痛みってなんか許容量を超えると感じなくなるんだな」


 私はその家のリビングの壁にもたれかかりながら座り込む。


 不思議と落ち着いていた。逃げようとか、そういうことも思わない。


 自分が死ぬ、そう聞いて私はなぜか少しほっとした。もう、下らないことで頭を悩ませる必要もないし、自分の惨めさで死にたくなることもないのだ。


「ふう、ありがとね、えっとはざ……さん?」


 彼女が私の隣に座り込む。


「狭間です」


「あ、ごめん」


「いえ、存在感薄いのはわかってますから」


 というか、私を刺した相手となぜこんな会話をしているのだろう。


「いや、私同級生の名前、全員覚えてないから」


「え、なんで」


「面倒だもん。でも、あなたのことは覚えたよ。狭間さん。私は四有綺羅、綺羅とでも呼んで。短い間だけどよろしく。なんか質問でもあったら聞くよ」


 本当に短い間だ。


 でも、もう死ぬのだ。折角だし、聞きたいことは聞いておくか。


「趣味は?」


「それ、死ぬ間際に聞くこと?」


 いや、本当にそれぐらいしか思いつかなかったのだ。


「まあ、いいよ。協力してもらったし、私も暇だしね」



 そう笑って許してもらえたので、私は次々と多分すごく下らないことを思いつく限り聞いた。


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