第28話『家族』

 旧神になりかけたニーナが笑顔を浮かべている。

 死を覚悟している顔だと、リョウは直感的に理解した。

 怪物になった自分は、世界を滅ぼす前に殺されるべき。ニーナはそう考えているのだろう。

 そんなバッドエンドは絶対ごめんだ。ドリームイリュージョンのアニメのようなハッピーエンドの結末以外はあり得ない。

 絶対ニーナを殺したりしない。まだ間に合うはずだ。

 ニーナの意識がある内に、完全な旧神になってしまう前に、なんとしてでも救わなくてはならない。だがどうすればいいのか。

 リョウが迷っていると、ふらふらとした足取りでメリルが近づいてきた。


「さっきの……煙草……もう一本あるかしら?」

「悪いが……品切れだ」

「品揃え悪いわね……」

「煙草屋じゃねぇんだ……勘弁しろ」


 メリルは、竜騎砲の直撃と触手の刺突で負った重傷に加え、右手もぐしゃぐしゃに潰れている。リョウがメリルに治癒魔術を施してやれればいいのだが、治癒魔術は特殊な才能がないと使うことが出来ない。メリルも自己治癒しない辺り、使えないのだろう。

 しかし満身創痍のメリルから感じる闘志は、いささかも衰えていない。

 左手で持った剣の切っ先で、ニーナの胸元を指し示した。


「リョウ、あの気味の悪い肉塊よ。あれさえどうにかすれば旧神化は止まるはず」

「分かってる。俺がやる」


 シャーロットは、ニーナと血が繋がっている唯一の家族で、メリルにとっても仲間だ。

 ニーナの家族を殺してニーナに恨まれるのは一人だけでいい。こんな汚れ仕事をやるのは自分だけでいい。リョウは、小銃を握りしめて一歩踏み出した。


「この役目は俺一人でいい」

「いいえ。一緒にやりましょう」


 メリルも一歩踏み出してリョウの隣に並び立った。


「シャーロットは戦友なんだろ?」

「ええ……でも行くわ。あたしたちは家族だから、一緒に娘を助けに行きましょう」


 メリルは、覚悟を決めた顔をしていた。ニーナの肉親を奪い、自分の仲間を殺すこと。ニーナに恨まれても仲間殺しの罪を背負ってでも、娘を助ける強い意思はまさに母親だ。


「……まさかお前が俺の嫁さんになるなんてな」

「こっちこそ、あなたがあたしの夫になるなんて思わなかったわ」

「だな……行くぞ!」

「ええ!」


 微笑みながらリョウとメリルは地面を蹴った。稲妻のような俊足で接近する二人に、ニーナは右の掌を向ける。


「リョウ! メリル! 逃げてぇ!!」


 叫ぶニーナの掌から黒い魔力の弾頭が放たれた。数百に及ぶ弾頭が地上へ振り注いだ。リョウとメリルは弾頭と弾頭の隙間を縫うように駆け抜けていく。

 黒い魔弾には一発一発常識外れの魔力が込められている。仮にリョウとメリルが万全でも直撃すれば耐えられない。だが怯むわけにはいかない。速度を緩めず、走り続ける。


「待っててニーナ! 絶対に助けるわ!」

「もう少しだけ頑張れッ! 俺たちが絶対になんとかしてやる!!」

「やめてっ! わたしを殺して!! リョウとメリルを殺したくないっ!」


 ニーナの言葉にリョウはハッとした。例え死んでもニーナを救えればそれでいいと思っていた。だけどリョウとメリルが死んだらニーナは一生消えない傷を心に負ってしまうことになる。それではニーナを救ったことにはならない。

 親も子供にたくさんのことを教わると言うが、それを改めてリョウは実感した。


「大丈夫だニーナ!! お前に絶対俺たちは殺させねぇ!」

「そうよっ! あたしたちはあなたに殺されないし! あなたを絶対に殺さないッ!」


 ニーナを救う。自分たちも生き残る。そうでなければ意味がない。ここでリョウとメリルが死んだら誰がニーナの家族として一緒にいるのか。誰がニーナを育てるのか。

 救うために、生きるために、リョウは弾幕を掻い潜って走り続ける。


「俺たちは家族だ! 三人一緒に帰るんだ!!」

「そうよ!! あたしは、ニーナとずっと一緒にいたいっ! ニーナもそうなんでしょう!? だからあたしたちを頼って! あたしたちは、あなたの家族なんだから!」


 ニーナの放つ弾幕を潜り抜けて、リョウとメリルはニーナの真下に辿り着く。


「リョウ……メリル……」


 ニーナは、地上にいるリョウとメリルを見つめて、両目から涙を流した。


「助けてっ!!」


 その言葉を待っていた。満面の笑みでリョウとメリルは跳躍する。

 二人同時にニーナと同じ高度に辿り着き、メリルの剣が紅の光を纏った。

 リョウもトリガーを引き、銃口の先端に巨人の短剣を展開する。


「シャーロット! あたしたちの娘を返しなさい!」

「ニーナから離れやがれ!」


 紅と青の刃の切っ先がニーナの胸元に取りついた黒い肉塊を突いた。衝突の瞬間、赤黒い光と激しい火花が散り、周囲一帯を照らす。

 黒い肉塊は膨大な魔力を放出して巨人の短剣と紅刃の到達を阻んでいた。ニーナの魔力を吸い上げて放出しているのだ。黒い肉塊の無数の泡に人の顔が浮かび、叫び声を上げる。


『ギィシャアアアアアアア!』


 一層の魔力の放出が巨人の短剣を打ち砕き、メリルの左手から剣を弾き飛ばした。


「なめんなああああああ!」


 メリルの左手が紅の光を纏って黒い肉塊を鷲掴みにした。肉を熱したフライパンに押し当てたような音が響き、メリルの左手が焼け爛れていく。


「ぐううう……ニーナから……離れろおおおおお!」


 叫ぶメリルが思い切り左腕を引くと、ニーナの胸から黒い肉塊が剥がれた。それと同時にニーナの背中に展開されていた紋章が消滅する。

 リョウは、ニーナを抱きとめ、メリルは黒い肉塊を投げ捨てつつ着地。すかさずリョウは、放り投げられた黒い肉塊を一瞥する。肉塊は、中空でどんどんと膨らみ、その体積を二階建ての家よりも大きく膨張させて地面に降り立った。


『ニーナ! 戻ッテッ! 家族ノ所ヘッ!!』


 黒い肉塊の全身から無数の触手が飛び出した。ニーナを取り戻すために戦う気満々といった様子だ。しかしリョウとメリルに、だらだらと戦う余裕はない。


「ニーナ離れてるんだ。一撃で決める」


 抱きしめていたニーナを放して小銃のトリガーを引いた。銃口の先端に長大な魔力の剣が形成される。するとメリルが焼け爛れた左手でリョウの右手に触れてきた。


「悪いけど……もう武器は振れない。だからあなたにありったけを託すわ!」


 右手を通してメリルの魔力が小銃に流れ込んだ。大量の魔力は銃身を通って銃口へとたどり着き、巨人の短剣に注がれていく。

 青い刃は紅が混ざり紫色に変化し、刀身は黒い肉塊の身の丈よりも長く伸びた。

 リョウは、両手で銃身を柄のように持って巨大な魔力剣を振るい上げる。


「てめぇにニーナは渡さねぇ!」

『ニーナノ家族ハ私タチダアアアアア!』


 黒い肉塊が触手を一斉に伸ばしてくる。

 迎え撃つようにリョウは、黒い肉塊目掛けてまっすぐに刃を振り下ろした。


「ニーナの家族は俺たちだッ! 巨人の聖剣ギガント・カリバー!!」


 巨大な魔力剣の描く縦一直線の鋭い剣閃は、触手と共に黒い肉塊を両断した。切断面から黒い液体を噴き出し、肉塊は泡立ちながら溶けていく。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 肉体の断末魔がリョウの耳をつんざいた。それに呼応するかのように、赤黒い空と砂の大地に亀裂が入り、そこから白い光が溢れ出た。

 空間魔術の崩壊は、シャーロットの死を意味する。間もなくこの空間は消滅して、魔術の起点となったニーナの部屋に戻れるだろう。

 勝利を確信したリョウは、猛烈な脱力感に襲われて地面に座り込んだ。

 その瞬間、リョウの懐にニーナが飛び込んできた。


「リョウ!」


 満面の笑みを浮かべてニーナは、リョウを見上げる。瞳には、紋章は浮かんでいない。

 ニーナに続いてメリルがふらふらとした足取りでリョウの前にやってきた。糸が切れた操り人形のように座り込み、ニーナを挟むようにしてリョウの背中に両腕を回してくる。

 リョウもメリルの背中に左手を回して、右手に持つ銃を捨ててニーナを抱いた。

 これでハッピーエンドと行きたいところだが、そうはいかない。

 リョウは、ニーナのたった一人の肉親を殺してしまった。まともな人間ではなかったが、それでもニーナにとって世界に一人の血を分けた肉親である。許されない行いだ。

 きっとこれが最後になるだろうと、右腕でニーナを強く抱きしめた。


「すまんニーナ……俺はお前のたった一人の――」


 リョウの謝罪を断ち切るように、ニーナが頬ずりしてきた。


「あの人は……家族じゃないわ。抱きしめられた時、ぜんぜん優しいって思えなかった。抱きしめられて優しいって思うのはリョウとメリルだけ」

「ニーナ……」

「だからわたしの家族はリョウとメリル……だいすき」


 罪を犯しながらも戦争で生き延びた意味をリョウは悟った。

 ニーナと家族になるために生きてここにいるのだ。

 きっとメリルがここにいる理由も同じに違いない。

 焼け爛れた左手でニーナの頭を撫でながらメリルは、笑顔で涙を流した。


「あたしたちもニーナが大好きよ」

「ああ、俺たちはニーナが大好きだ。だから帰ろう。俺たちの家に、三人でな」

「ん」


 リョウとニーナとメリルは、笑みを交わし合った。

 三人のいる空間は、真っ白な光に包まれてガラスが砕けるような音が鳴った。

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