第16話『家族の時間を邪魔しないで』

 突進してくるファングランナーの群れに対して、メリルはすかさず右手に黒い直剣を召喚。紅の魔力を剣身に纏わせる。

 数瞬遅れてリョウも右手に銃剣付きの小銃を召喚、左腕でニーナを抱き上げた。


「ググガアアアアアッ!」


 牙を剥き出しにして迫る五体の魔獣目掛けて、メリルが紅の刃を薙ぎ払った。

 リョウですら知覚困難な一撃をファングライナーたちは身を翻して回避。後方へ飛んでメリルとの間合いを開いた。

 メリルの攻撃で一匹も仕留められていない。魔獣たちの練度は相当なものだ。

 常人である客たちは、ようやく異変を認識し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。


「みなさん落ち着いて! こちらに避難をっ!」

「慌てないで!」

「こっちに来てくれ!」


 ブレイブ・ファミリーのキャストの三人は、逃げる客たちを避難誘導しつつ、この場を離れていく。

 あっという間にドリームエリアから人がいなくなり、残されたのはリョウとニーナとメリルの三人と五体のファングランナーだ。そして姿が見えないがもう一人、気配を感じる。


「やはり見事な技ですね」


 女の声と共に空間が人型に歪む。咄嗟に空間魔術かと疑うリョウだが、気配からして違う。恐らく幻影魔術だ。先程ブレイブ・ファミリーのキャストが使ったものと同じである。

 やがて歪みははっきりとした像となり、女が姿を現した。金色の短髪が印象的な美しい女性である。


「キャシーさん……あんたの仕業か」


 リョウが声を掛けるも、キャシーの瞳に映るのはメリルの姿だ。両手に大ぶりな短剣を召喚してキャシーは前傾姿勢で構える。まるで、獲物を狙う肉食獣のような姿だ。

 キャシーの構えに、メリルの顔色が変わる。キャシーの実力は、リョウに匹敵する。加えて彼女が調教したと思しきファングランナー五体。戦力的にメリルが圧倒的に不利だ。

 このままメリルが殺されたら、ニーナを守る立場のリョウにとっては好都合である。


「リョウ、メリルが……」


 しかし泣き出しそうな顔でメリルを見つめるニーナが、リョウに別の選択肢を決断させた。左腕に抱えてきたニーナを地面に下ろし、リョウは小銃でキャシーを狙う。

 キャシーの片眉がピクリと跳ねた。けれどメリルから視線を外さない。


「先生、彼女の正体には気付いているんですよね?」


 やはりキャシーは、メリルの正体に気が付いている。恐らくゲームコーナーでメリルが見せた一撃だ。あれだけの剣技を持つ魔術師は多くない。しかもワイズ帝国人である。

 キャシーほどの魔術師であれば、メリルの正体に辿り着いても不思議はない。


「何のことだ?」

「とぼけるならそれでいいです。邪魔だけはしないでください。ワイズ帝国人を根絶やしにするのが私の役目なんです」


 そう語るキャシーの瞳は、ぞっとするほど冷たかった。ここにいるのは、リョウの知っている子供思いで朗らかに笑う女性ではない。絶対零度の殺意を秘めた殺人者だ。


「根絶やしにするって、あの戦争をまた繰り返すつもりかっ!? また戦争になったらあんたと同じ苦しみを抱えた人間がまた多く生まれるだけだ!!」

「あなたにとってのマリーは大切な生徒でしょ!」

「ああ! あんなに勤勉で心優しい生徒! 俺には勿体ねぇよっ! 俺みてぇな人間がいなけりゃあの子は戦場に行かずに済んだッ!! あんたも同じことを思ったはずだ!!」


 リョウの問いかけに、キャシーの目から涙の雫がはらはらと落ちた。


「……あの子は魔力を持って生まれなかった。私はほっとした。戦わなくていいんだって」

「そうだ。マリーが戦場に行ったのは俺のせいだ。俺のせいなんだよッ!! 俺がルギタニア式魔術を作ったせいで、戦場に行かなくてよかった人間まで送っちまった……」

「違う……あなたは娘の夢をかなえた……あの子は魔力を持って生まれなかったことをずっと嘆いていて……あなたは、あの子の夢をかなえた。あなたは英雄です!」


 英雄などでは決してない。若者を戦場に送った大罪人だ。

 メリルが犯した罪と同じだけの重さの罪がリョウにもある。


「俺は、夢なんか叶えちゃいない。俺は、英雄でもない。俺は、マリーを死地に送った。夢を利用して若者たちを戦場に送った悪魔だ。俺が殺したんだ!」

「違う! 殺したのはあなたじゃないですっ! そこの帝国人です!!」


 キャシーは、激しく首を横に振って両手で短剣を強く握りしめた。

 娘を殺した仇が目の前にいる。どんなに言葉を尽くしてもキャシーは復讐をやめない。

 けれどメリルが死ねばニーナが悲しむ。子供が悲しむ姿は見たくない。ましてそれが自分を慕ってくれる子供なら猶更である。

 己の復讐心に蓋をして怨敵に味方をするには十分な理由だ。

 覚悟を決めたリョウは、小銃のグリップを強く握りしめた。


「あんたとは戦いたくねぇんだ。だがあんたが引かねぇなら、俺はやる」

「私も先生とは戦いたくない。だけど私から家族を奪ったこの女を許しはしませんっ!」


 地面を蹴ったキャシーが低い姿勢でメリルへ切り込んだ。二振りの短剣を踊るように振るい、斬撃が嵐のように繰り出される。

 対するメリルは、紅を纏った剣身で連撃を全て受け止める。キャシーの剣技は達人の領域だ。それを無傷でやすやすと凌ぐメリルの技量は、もはや人間業ではない。

 しかしメリルは反撃に打って出ない。攻撃してこないと見るやキャシーは、両手の短剣を巧みに操り、切れ間のない斬撃を浴びせる。だがメリルは、ひたすら攻撃を受け続ける受動的な立ち回りだ。リョウと戦った時に披露した剛剣は見る影もない。


「こんなものではないでしょう!? それとも家族ごっこのしすぎで剣が鈍りましたか!」


 キャシーの連撃は、勢いを増す。凄まじい密度の斬撃をメリルは剣で受けるだけで攻撃に転じる気配がない。だが防戦一方に見えても、キャシーの攻撃は全て防がれている。

 実力差を肌で感じたのか、キャシーの表情が険しさを増した。


「ぐっ! おいで!」


 キャシーの号令を受けて五体のファングランナーが駆け出した。

 リョウは、小銃のアイアンサイトを覗き込み、ファングランナーの一体に狙いをつける。すると並走していたファングランナーの内の四体が方向を変え、リョウへ襲い掛かった。

 リョウはニーナを自身の後ろにやり、肩幅に開いた両足でどっしり地面を踏みしめる。


「ニーナっ! 俺から離れるなよっ!」

「ん!」


 先程メリルの剣を躱した反射神経と速度を持つ魔獣が四体。攻撃面積が点の貫通弾を命中させるのは至難の業だし、数で押し切られる。

 人差し指に三種の魔術を多重構築、トリガーを四連続で引いた。銃口から飛び出した青い魔弾が四体の魔獣を狙うも、魔獣は軽い身のこなしでこれを躱した。

 魔弾を避けた四体のファングランナーの牙がリョウに迫る。けれど焦燥は微塵もなかった。何故ならリョウの攻撃はまだ終わっていないのだ。

 標的を失った魔弾の軌道が空中で折れ曲がった。光の軌跡が弧を描き、魔獣の背後から襲い掛かる。誘導弾(ストーカー)の奇襲は、ファングランナーに反応の余地を与えない。四発の魔弾が四体の魔獣の背中に着弾、青い炎が爆ぜた。


「グギャアアアッ!?」


 炸裂弾エクスプロージョンの直撃に、四体の魔獣は背中から血を噴き出しながら悶えている。だが、一体も仕留められていない。キャシーが厳選して鍛え抜いた彼らは、あらゆる能力が並の個体を凌駕する。


「多重構築弾だと仕留め切れねぇか……タフな野郎どもだッ!」


 リョウがとどめを刺そうとトリガーに指をかけた瞬間、ファングランナーの一体が起き上がり、飛び掛かって来た。銃撃では迎撃が間に合わない。銃剣を突き出し迎え撃つ。

 銃剣の刃と牙がぶつかり合い、火花を散らす。即座にトリガーを引き、銃口から放たれた貫通弾がファングランナーの上顎を貫いた。


「ギャインッ!」


 悲鳴を上げてファングランナーが後ずさるが、残りの三体が起き上がって仕掛けてくる。

 銃剣で三体のファングランナーに応戦しつつ、メリルとキャシーの様子を窺った。

 キャシーとファングランナー一体による素早い連撃をメリルは剣一つで防いでいる。完璧な連携を取る人と魔獣の連続攻撃でも鉄壁の防御は突き崩せない。


「ふっ!」


 気合を込めたメリルの蹴り足がファングランナーの喉を捉えて吹き飛ばした。

 攻撃終わりの硬直を狙いすましたようにキャシーが切りかかる。しかしメリルの身体の戻しはキャシーの攻撃速度の上を行く。両足で地面をしっかり踏みしめて二振りの短剣による斬撃を直剣で受け止めた。

 直剣と短剣が鍔迫り合いになり、剣身に込められた両者の魔力がスパークを起こす。


 ルギタニアでは数少ない生まれついての魔術師であるキャシーは、ワイズ式魔術の使い手だ。その戦闘能力は、ルギタニアにおいて上位だが、本場のワイズ式魔術師の最強格であるメリルと比較すると明確に劣っている。

 鍔迫り合いも苦悶の表情を浮かべるキャシーに対して、メリルは顔色一つ変えていない。

 押し切ることは難しくないはずなのに、何故かメリルはそうしなかった。表情に現われていなくても行動ではっきり分かる。メリルはキャシーを傷つけることを躊躇している。

 キャシーほどの使い手であればメリルの躊躇を感じ取っているはずだ。額から汗を噴き出して鍔迫り合いを継続しながら破顔した。


「娘を殺したやつを殺すため、ワイズ帝国人は根絶やしにするつもりでした! まさかこんなに早く標的と出会えるなんて!!」


 キャシーの含みのある物言いに、メリルの顔が曇った。


「なるほど。あんたがワイズ帝国人を狙う連続殺人鬼ってわけね」


 最近巷を騒がせている連続殺人事件。被害者は全員人材交流でルギタニアを訪れたワイズ帝国人だ。被害者の遺体の状態は、獣に引き裂かれたようだという。

 キャシーが犯人なら被害者の状態にも説明がつく。


「この仕事は、ファングランナーを調教するにはもってこいの隠れ蓑でした。個人で五体も飼育していたらさすがに目立ちますからね。全てはワイズ帝国人根絶のため。特に紅、あなたを許しませんっ! 私から家族を奪っておいて家族ごっこなんて!」


 キャシーの言葉にメリルの顔色が曇る。剣に込められた魔力の気配がわずかに薄らいだ。

 その隙を見逃さずキャシーが両腕を振るい抜き、メリルの体勢が崩れる。間髪入れずに蹴りで吹き飛ばされたファングランナーが戦線復帰、メリルの懐へ飛び込んだ。

 鋭い牙が喉元に迫る。さすがのメリルもこれは躱せない。リョウは、アイアンサイトでメリルに食らいつかんとするファングランナーを狙い、トリガーを絞る。

 亜光速で飛翔する弾頭がファングランナーのこめかみを撃ち抜いた。脳を破壊されて熊のような巨体がずしゃりと地面に崩れ落ちる。


 メリルは、困惑を露わにしてリョウを見つめた。何を考えているかは想像がつくし、リョウも自分の行動に驚いている。だが余計なことに思考を裂く余裕はない。四体のファングランナーがリョウを噛み千切らんと牙を剥き出しにして襲い掛かって来ていた。

 メリルを助けるために致命的な隙を晒した。迎撃は間に合わない。回避も難しい。

 魔獣の牙の威力は、リョウの身体強化魔術の練度でも防ぐことは難しく重傷は免れない。

 歯を食いしばり、激痛の去来に備えていると、赤黒い突風がファングランナー四体を吹き飛ばした。


「邪魔……しないで」


 赤黒い突風の正体、それはニーナの放った魔力だ。全身から魔力が溢れて渦巻いている。

 しかも単なる魔力の放出ではない。なんらかの魔術の気配を感じる。吹き飛ばされたファングランナーを見やると、四体の体表に赤黒い電流が走っていた。


「私の契約が上書きされたんですか!?」


 驚愕の声を上げたのは、キャシーである。ニーナの放った赤黒い突風には、契約魔術が付与されていたのだ。一つの魔術に二つの性質。まるでルギタニア式魔術の多重構築だ。

 見よう見まねで使いこなすとは、恐ろしいほどの才能である。成長を喜ぶどころか、ニーナの人知を超えた才能に背筋が冷たくなるのを感じた。


「家族のじかん……邪魔しないでっ!」


 怒声と共に放たれた赤黒い魔力は嵐のように吹き荒び、一帯にある建物を次々に薙ぎ倒していく。尋常ならざる魔力の行使だが、キャシーは一切怯まなかった。


「家族!? その女は私の娘を奪ったんです! 家族を奪ったんです! 家族を持つ資格なんてない! それなのに家族ごっこをして、しかもリョウ先生あなたまで!」


 キャシーの怒号に、リョウは反論出来なかった。彼女の怒りは至極まっとうだからだ。


「マリーを殺した女ですよ!? それなのに二人で娘を愛でるなんて! 私にはもう二度と出来ないのになんであなたたちばっかりっ! ずるいですよ! ひどいですよっ!! 家族の時間を邪魔されたのはこっちなんですよ!?」


 キャシーが右手に持った短剣の切っ先でニーナを指した。

 するとニーナは左腕でぬいぐるみを抱きしめ、右手の人差し指でキャシーを指差した。


「おばさん……邪魔」


 呟きと同時に、赤黒い魔力の奔流が指先から踊り出し、キャシーを飲み干した。

 一帯を赤黒く染め上げる出力は、以前演習場で見せた以上の砲撃魔術だ。

 例え一流の魔術師と言えども直撃すればただではすまない。


「ニーナ! よせっ!! 死んじまうぞ!」


 リョウが静止すると、ニーナはすぐさま魔力の放出をやめた。


「契約……完了……」


 絞り出すようにそう呟いたニーナは、その場にへたり込んでしまった。

 慌ててリョウは、ニーナへ駆け寄って抱き起す。

 ニーナの魔術の直撃を受けたキャシーは、立ってはいるものもふらついていた。さらには全身を赤い電撃で蝕まれている。ニーナが契約魔術を強制的に行使したのだ。

 契約魔術の戒めに加えてダメージの色も濃い。普通であれば勝負は決している。けれどキャシーの目は死んでいない。双眸に殺意を溢れさせ、両手の短剣を強く握りしめる。


「う……ぐっ……こんな痛み、あの子を失った痛みに比べたら!」


 戒めの電撃に晒されながらも低い姿勢で構える。彼女が見つめるのはニーナであった。


「紅! 味わいなさい!! 私と同じ苦しみを! 家族を奪われた憎しみをッ!!」


 キャシーが、ニーナを抱きしめるリョウを目掛けて切り込んでくる。

 速い。ニーナを抱いているせいで、迎撃が間に合わない。

 咄嗟にニーナを抱きしめてかばうと、メリルがキャシーの背中を追いかけているのが目に入った。構える刃から紅の光が迸り、それと共に研ぎ澄まされた殺意が放たれる。

 メリルの殺意をキャシーは意にも介さない。背後から迫る敵を気にしていない。彼女の目的は、メリルを殺すことから自分と同じ苦しみを与えることに変化したのだ。

 キャシーが両手の短剣を振るい上げた瞬間――ぐちゅり、と湿った音が鳴った。


「え……」


 突然キャシーの左胸が破裂した。夥しい量の血が傷口から噴き出している。

 傷の形状は、まるで見えない手で握り潰され、肉を抉り取られたようだ。

 想定していなかった事態に、リョウとメリルとニーナの三人は硬直していた。


 一方のキャシーは、潰されて抉られた左胸に視線を落としている。美しい顔を歪めているが痛みによるものではないと理解した。

 悲願を達成出来ない悲哀と憎悪によるものだ。


「あいつの……言う通りです……家族を持って……幸せを感じているなんて……なんておこがましい女なんでしょう……」


 キャシーを蝕む赤い電撃が終息していく。彼女の生命が終わろうとしている証であった。


「マリー……おかあさんが……」


 キャシーは、両の手に短剣を握りしめて立ったまま動かなくなった。


「かならずあなたのかたきを……」


 やがて呼吸が止まり、脈が止まり、けれど倒れることはない。

 命を失って尚残された憎悪が彼女の亡骸に倒れることを許さないように見えた。


「キャシーさん……」


 生徒の遺族の命が失われてしまった。また救うべき人を見殺しにしてしまった。


「……すまんマリー……お前の母さんを助けられなかった……」


 何か出来ることがあったはずだ。何かしなくてはいけなかった。

 マリーへの申し訳なさと無力感が胸中を嵐のように渦巻いている。

 キャシーを助けることが出来なかった自分への怒りで気が狂いそうだった。


 だが、それとは別の感情もリョウの中にある。ある一点のみ、リョウは冷静さを保っていた。それはキャシーが一体誰に殺されたのかということだ。

 キャシーの命を奪った魔術は、空間魔術のように見えた。超高度な魔術故に使い手は限られる。少なくともメリルやニーナが扱うことは出来ない。


「……あいつの言う通りか……」


 リョウは、キャシーの言葉を反芻しながらメリルを見やった。

 彼女はキャシーの亡骸を見つめながら唇を噛んでいる。

 その姿は、ワイズ帝国が誇る英雄ではなく、人の死に心を痛める一人の少女に見えた。

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