第7話『偽りの家族』

 剣を抜き放ったメリルをニーナは、首を傾げながら見つめていた。


「メリル……暗殺者なの?」


 ニーナが聞いた途端、メリルから笑みは消え、代わりに白刃が如き殺意が姿を現した。


「そうよ。あたしはあなたを暗殺するためにここにいる」

「暗殺者……」


 友達だと思っていた相手が自分を暗殺するために送り込まれた暗殺者だった。子供の心では受け止めきれない事実だろう。


「かっこいいわ! さすがわたしのともだち!」


 ニーナは、瞳を星空のように輝かせている。リョウが見た中で一番子供らしいニーナの表情であった。この反応はさすがに想定出来ず、リョウは面食らっていた。


「お前マジか……神経図太いな」


 片やメリルもニーナを喜ばせるとは思っていたかったのか、呆れ顔である。


「本当に調子が狂う子ね……まぁいいわ。こほんっ!」


 咳払いをしたメリルは、右手に持った剣の切っ先をリョウに向けた。


「あたしの正体にいつ気づいたのかしら?」

「実技の授業の時だ。左肩を負傷してるのが動きで分かったからな。それとこれでも教師だからな、手抜きしたやつはすぐに分かるんだ」

「そう……あたしもまだまだ鍛錬が足りないわね」


 メリルの目つきが鋭さを増す。それと同時に手にした古びた剣に紅の閃光が走り、漆黒の刃を持つ剣へと変じた。凄まじい業物である。魔術で剣の真の姿を隠していたのだ。


「あんたみたいな薄汚い魔術師かぶれにあっさり見抜かれるなんてね」

「てめぇは俺と同じ匂いがするからな。戦場で染みついた血と汚泥の匂い。どんなに洗っても落ちはしねぇよ」

「あたしも大概匂うけど、あんたには負けるわ。魔術師工場マギアファクトリー


 ワイズ帝国でリョウは魔術師工場と呼ばれていたという。

 ルギタニア式魔術の開発と普及によってワイズ帝国は勝利して当たり前の戦争で苦戦を強いられた。大勢の魔術師が命を落とし、リョウは帝国人に相当恨まれたと聞く。

 メリルも恐らくリョウが編み出したルギタニア式を操る魔術師に多くの同胞を殺されたのだろう。しかし大切な人の命を奪われたのは、リョウにとっても同じことだ。


 リョウがルギタニア式を開発したせいで生徒たちは戦場に送り込まれた。

 自分の罪から目を背けるつもりはない。だがワイズ帝国がルギタニアに戦争を仕掛けなければ誰も死なずに済んだ。生徒の手前、メリルへの罵倒は収めたが、紅やワイズ帝国人に対する怒りを失ったわけではない。

 目の前でマリーが殺された。救える距離にいたのに何も出来なかった。マリーだけではない。紅が現れたとされる戦場で多くの生徒たちや兵士たちが無数の命を散らした。


 今度は役立たずでは終わらない。道連れにしてでも紅を殺す。

 復讐心に囚われるなと生徒に偉そうなことを言った。大層な理想を語った。あれから数時間で復讐心の虜になった自分を嘲笑しながらも、憤怒を押さえることは出来なかった。

 だがある一つの疑問がリョウに最低限の理性を保たせている。それはメリルがニーナを暗殺する理由だ。たしかにニーナの魔力は強大だが、暗殺の事実が明るみに出れば再び戦争が起こるリスクがある。そんなリスクを冒してでもニーナを殺す理由は――。


「まさか……また帝国は……」


 ニーナの強大すぎる魔力は、人間という生物の枠組みではありえない。

 しかし人間を超越した魔力を持つ者が世界には存在する。


「ニーナは旧神の王の末裔……アポカリプス・ドーターか?」

「そうよ。その子は世界を滅ぼす力を秘めている。旧神の血が混ざると身体の色素が薄くなる。白い髪と肌、赤い瞳。その子は、相当血が濃いようね」

「てめぇらはまた旧神か! あの時の戦争と同じことを繰り返しやがるのか!?」

「被害者面はやめてくれる!? あんたたちが王の骨の兵器利用なんて考えなければあんなことにはならなかったのよ! あの骨がどんな危険か知らないわけじゃないはずよ!」


 ルギタニアとワイズ帝国の戦争の理由、それはルギタニアで発掘された旧神の王の骨だ。

 千七百年前、初代ワイズ皇帝と彼の率いる魔術師たちが世界中で旧神を討伐していた。

 最後に残った旧神の王が討伐された地がここルギタニアである。

 しかし旧神の王の遺体は死して尚、膨大な魔力を発生させ続けていた。初代ワイズ帝国皇帝は生き残った部下と協力して旧神の王の遺体に封印魔術を施して地中深くに封じた。

 それが八年前、長い歳月を経たことによって封印魔術が崩壊。ルギタニアは旧神の王の骨を発掘する。魔術師の数で劣るルギタニアは、旧神の王の骨を用いた兵器を研究した。

 その動きを察知したワイズ帝国は、様々な妨害工作をルギタニアに仕掛けたのだ。


「たしかにこの国は、王の骨の兵器として利用しようとした。だがなっ! お前たちも同じだ! 帝国が戦争に乗じて王の骨の一部を持ち帰ったことを忘れたとは言わせねぇ!」

「陛下があれの回収を命じたのは、あんたたちに兵器利用させないためよ!! 全てを回収して封印するはずが、ルギタニアに邪魔されて一部しか回収できなかった!」

「邪魔だと!? 他国に先制攻撃を仕掛けたてめぇらに対して、こっちは防衛しただけだ! てめぇらの国際法違反の侵略行為と混同すんじゃねぇ!」

「あたしたちワイズ帝国は世界を旧神の脅威から守るために動いてるのよ! あんたたちみたいに王の骨の兵器利用や旧神の末裔に魔術を仕込んで軍人にするやつは許さないわ!」


 メリルが剣を下段で構えた。リョウもその動きに反応してトリガーに指をかける。

 メリルの構えは、さすが堂に入っている。付け入る隙が全く見えない。

 初弾で仕留められなければ次を撃つ前に、間合いを詰められて首を切り落とされる。そんな予感が背筋を冷たくした。

 メリルは、リョウよりも格上の魔術師だ。万全の状態で戦っても勝率は一割あるかないかだろう。リョウから動けばやられる。メリルから動くのを待つほうがいい。

 メリルにとってここは敵地だ。リョウがいるのに仕掛けてきたのもニーナの警備体制が今よりも強化される前に決着を急いだからである。追い詰められているのは彼女のほうだ。

 戦闘能力で劣っていても状況は有利。だからリョウは待つ。

 だがメリルもこの状況にあって動かない。リョウが先に動くのを待っているのだ。

 先に動けばやられる。しかし強者特有のプレッシャーがリョウの焦燥を煽る。それでも焦れたら負ける。耐えて機会を待て。そう己に言い聞かせていると――。


「リョウ! メリル!」


 突然ニーナが声を上げた。思わずメリルから視線を外してしまう。

 しまった、やられる――リョウは死を覚悟するも、痛みは訪れない。

 困惑してメリルを横目で確認すると、彼女もニーナを見つめていた。何故リョウとメリルの名前を呼んだのか。彼女も気になったのだろう。

 リョウとメリルがニーナをじっと見守っていると、ニーナの小さな唇が開かれた。


「ねぇお腹空いたわ。早くご飯食べたい」


 リョウは、我が耳を疑い呆然とした。

 メリルは、どうかと横眼で確認する。彼女も口をあんぐりと開けて立ち尽くしていた。


「二人とも、早く食べよう」

「そういう空気じゃねぇだろ!」

「そういう空気じゃないでしょ!」


 リョウとメリルが同時に叫んだ。まさか憎い敵と意見が一致するとは思わなかったが、今回ばかりは仕方がない。命のやり取りの最中だ。食事の心配をしている場合じゃない。


「ニーナ、この状況分かってんのか?」

「ええ、夫婦喧嘩はだいすき」

「誰が夫婦じゃ!」

「誰が夫婦よ!」


 再びリョウとメリルが同時に叫ぶと、ニーナはにんまりと微笑んだ。


「二人よ。わたしたちは家族だから」


 突然ニーナを起点に巨大な魔術陣が地面に展開された。リョウが足元を見やると、魔術陣の範囲内に入っている。メリルも魔術陣の上に立っていた。

 魔術陣の構築を見たリョウは、ニーナが起動した魔術の正体を悟った。


「契約魔術!?」


 ニーナの言葉と契約魔術の発動。彼女のやろうとしていることを理解した瞬間、足元の魔術陣から膨大な魔力と魔術がリョウの体内に流れ込んだ。


「ぐっ!?」


 防壁魔術の出力を上げるも、ニーナの魔術の侵入を阻めない。

 魔力の桁が違う。リョウの百倍や千倍ではすまない。その数万倍の魔力によって行使された魔術が防壁を貫通して全身を侵食していく。


「ううっ!?」


 メリルが苦悶の声を上げた。彼女も契約魔術に侵されているのだ。

 リョウがニーナを一瞥すると、彼女はぞっとするような笑顔を浮かべた。


「ニーナの名において命じる。リョウ、メリル、ニーナ、この三名の間において家族の契約を行使する」


 完全に虚を突かれてしまった。ニーナ一人に意識を集中出来る状況だったら魔術構築を察知して回避することは造作もない。

 けれどメリルに意識を裂かなくてはいけない状況だったため反応が遅れた。こうなってしまってはもう打つ手がない。リョウはメリルに向けていた小銃を下ろした。

 対するメリルはまだ諦めていないのか、ニーナへ殺意を剥き出しにしている。


「これ以上はさせないわよ!」


 メリルが剣を振るい上げた瞬間、赤黒い電流がメリルの全身を駆け巡った。


「きゃああああああ!?」


 歴戦の魔術師らしからぬ悲鳴を上げて、メリルは倒れ伏した。それと同時に契約魔術の魔術陣が消え失せた。


「契約……完了」


 幸せそうな微笑みを浮かべてニーナが仰向けに倒れ込んだ。


「ニーナ!」


 リョウは、ニーナに駆け寄り、小さな身体を抱き起した。膨大な魔力を行使した反動であろう。すやすやと寝息を立てている。魔力量は強大でも身体は子供だ。授業での砲撃級魔術行使の後に、契約魔術の強引な行使。身体が負担に耐えられなかったのだ。

 ニーナを抱いたまま立ち上がろうとすると、黒い刃が鼻先に突き付けられた。顔を上げると、肩で息をしているメリルが剣の切っ先を向けていた。


「はぁ……はぁ……その子の危険性が分かった? この魔力、やっぱりアポカリプス・ド―ターよ。旧神の王の血を引く存在。世界を滅ぶ存在になるわ! あの口癖みたいに!!」

「ただの口癖だろ。子供は、よく殺すとか死ねとか物騒な言葉を言うもんだ」

「普通の子供にそんな力はないわ。でもこの子は違う! 旧神の王に匹敵する力が覚醒したら世界が破壊されかねない! 多くの人が犠牲になる!! 今ここで殺さないとっ!」

「出来ねぇがな。俺たちは契約魔術で縛られた。家族なんだとよ」

「あんたみたいなクズと家族!? 笑わせないでっ!」

「俺も子供を殺すカスと家族なんてごめんだ!!」


 リョウとメリルが睨み合っていると、人の気配が近づいてきた。

 バージス学院長を先頭に教師と生徒たちがこちらへ走ってきている。

 メリルは、剣を鞘に納めた。さすがに、この数相手では分が悪いと判断したようだ。


「一体なんなんだのう! あの強大な魔力は!!」


 バージスの問いに、リョウは逡巡した。契約魔術でリョウとニーナとメリルは、家族関係になっている。メリルがニーナに切りかかった時、契約違反の戒めが発動したことを考えると、互いに危害を加えようとすることが発動条件だろう。

 リョウがメリルの正体を明かすのは簡単だ。しかしそうすればメリルは尋問と称した拷問の後、殺される。そうなることを知っているリョウがメリルの正体を明かせば契約違反になる可能性が高い。

 何処まで話すべきか。リョウが思案していると、腕に抱いたニーナが瞼を開いた。


「リョウがメリルに婚約を申し込んだ。魔力はどっちの籍に入るかを決める決闘のせい。リョウが勝ったわ。わたしは二人の娘になる。」


 先程の疲労はどこへやら、ニーナはすらすらと嘘を並びたてた。

 荒唐無稽な話を誰が信じるものかと、リョウはたかをくくっていたが、


「本当にお前は女好きだのう……」


 リョウを見るバージス学院長と生徒たちの視線が、変態教師を見る目に変わっていた。

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