第二章『偽りの家族』

第8話『最悪の目覚め』

 メリルの十九年間の人生において、最悪の朝が訪れた。

 ベッドの右隣には、すやすやと寝息を立てるニーナ。その向こう側には殺意を込めた視線をぶつけてくるリョウがいる。

 メリルとリョウは、お互いベッドに体を横たえているが、一睡もせずに一晩中睨み合っていた。メリルにとってリョウは怨敵だし、リョウにとってのメリルも怨敵だろう。

 契約魔術で強引に家族にされても、憎悪が消えるわけではない。

 なんとしてでもこの状況を脱する必要があるが、簡単じゃないのも事実だ。


 メリル一人の力で、ニーナにかけられた契約魔術を解除するのは困難である。ニーナがどれだけの契約期間を設定したのかは不明だが、期限が来るまで待つしかない。

 それに契約魔術の存在は悪いことばかりでもない。契約があるからリョウは、メリルの正体と目的を他の人間に話せない。

 契約魔術が解除されたらリョウは、すぐさまメリルの正体を軍に報告するだろう。

 一対一ならメリルはリョウに九割方勝利することが可能だ。しかしルギタニア軍の精鋭が複数人襲撃して来たら確実に捕縛される。

 捕まれば待っているのは、拷問と死。どうせ契約魔術に縛られるなら、この状況を利用して任務を達成するしかない。

 メリルがニーナを睨みつけると、ニーナがぱちりと目を開けた。


「ん……」


 背伸びをしたニーナは、首を左右に振ってメリルとリョウを見た。


「おはよう……二人ともひどい顔」

「誰のせいよ」

「誰のせいだ」


 メリルとリョウは、上体を起こしながら同時に呟いた。憎い敵と似たような突っ込みを入れた事実が腹立たしい。思考回路が似ているみたいに感じてしまう。

 けれどこんな細かいことで腹を立てていたら任務の達成なんか出来ない。気を落ち着けようとメリルが深呼吸していると、突然ニーナが抱きついてきた。


「お腹空いたわ。朝ごはん、メリル作って」

「なんであたしが!?」

「親が子供にご飯を作る。それが家族」


 暗殺対象に朝食を提供するのは、ごめんこうむりたい。だが拒絶し続けると、契約魔術の戒めが発動するかもしれない。あの激痛は、メリルが経験した痛みの中で間違いなく頂点だ。あれをもう一度味わう事態だけはなんとしても避けたい。

 メリルは、すがりつくニーナを引きはがしてベッドから降りた。


「分かったわよ……作ればいいんでしょ、作れば……」


 渋々メリルは、二階の寝室から一階のリビングに降りた。それと同時に玄関扉がノックされた。扉を開けると、新聞紙の入った籠を背負うブリッツラビットが立っていた。


「チチッ! キュイ!」


 籠から新聞紙を一部取り、百ダエド硬貨を三枚取り出して籠に入れる。

 余分な支払いにブリッツラビットは首を傾げた。


「キュイ?」

「チップよ。好きなおやつでも買いなさい。ご苦労様」

「キュイッ!!」


 ブリッツラビットは嬉々とした鳴き声を上げ、雷速に匹敵する俊足で去っていった。

 その姿を見送ってから新聞の一面に目を通す。昨晩人材交流でルギタニアを訪れたワイズ帝国人コリンズ・エイガスが殺された事件が大きく報じられている。

 被害者名を目にしたメリルは、嘆息を漏らした。今ルギタニアを騒がせる連続殺人事件は、人材交流で訪れたワイズ帝国人が十三人殺されている。問題は殺されたのが全員、人材交流を名目に帝国が送り込んだスパイであることだ。

 偶然ではありえない。ワイズ帝国のスパイを見抜く能力を持つ犯人。明らかに相当な実力者であり、軍隊経験のあるプロだ。


「こっちもなんとかしないとね」


 新聞を食卓の上に置き、キッチンの冷蔵庫を開けた。中からひんやりとした冷気が漏れてくる。ルギタニアを心底嫌悪しているが、この国の科学技術は認めざるを得ない。

 電気やガスなどのインフラと各種生活家電が一般家庭にまで普及しているのは、世界でもルギタニアだけである。ワイズ帝国ですら冷蔵庫を持つのは、貴族階級のみだ。


「確かに便利よね、これ」


 ルギタニアに潜入してから一ヶ月。この国の豊かさを嫌というほど思い知らされた。工業製品の輸出で得た財力に裏打ちされた国力は、ワイズ帝国と肩を並べる。

 唯一の欠点であった魔術師の少なさもリョウによって克服した。

 次にワイズ帝国とルギタニアが戦争になれば帝国が負ける可能性も否定出来ない。それでなくとも戦争は二度と起こしてはいけない悲劇だ。

 だからメリルは、慎重に事を運んできた。学院内での暗殺は教師陣に止められるリスクから決行が難しかった。そのためニーナと関係性を構築し、確実な暗殺の機会を伺った。

 当然メリルの行動は、学院の教師やルギタニア軍から派遣された人員によって監視している。強大な魔力を持つ生徒に近づく帝国の人間をルギタニアが警戒するのも当然だ。

 さらにニーナ自体も強大な魔力故か、常に数名の教師に監視されていた。


 潜入から一ヶ月が経過してようやく訪れたのが、あの夜である。ニーナが夜中に学校を抜け出したいから一緒に来てほしいと誘われたのだ。

 もちろんメリルは快諾したが、メリルとニーナが一緒に学院を抜け出すところを見られたらまずい。加えて二人が一緒に行動すると、メリルの監視役とニーナの監視役を同時に相手する羽目になる。

 だからメリルは、ニーナに「二人別々に監視を撒いて学院を出て現地集合しよう」と提案。ニーナはこれを受け入れた。

 メリルは、自分一人なら監視を撒く自信があった。ニーナがどうなるかが唯一の懸念点であったが、彼女も上手く監視を掻い潜り、学院の外へ出ることに成功した。

 暗殺の準備は整ったが、リョウが居合わせるという想定外の事態が起こり計画は破綻。

 おまけにニーナの警備体制が強化され、リョウがニーナの護衛を務めることになった。

 任務達成のために強引な手段に打って出るしかなくなったのである。

 その結果、メリルは暗殺対象に剣の一撃ではなく朝食を振舞うこととなった。


「あたしなにやってんだろなぁ……」


 ぼやきながら改めて冷蔵庫の中身を確認する。

 入っているのは主食のパンとパスタと米、あとは野菜がぎっしりだ。タンパク質は卵とチーズが主体で、肉はハムの切れ端が三枚あるぐらいだ。

 ドアポケットには調味料の詰まった瓶が整然と並んでいる。


「あの男、お肉食べないのかしら。菜食主義?」


 昨日の夕食はリョウが作っていたが、ナスとトマトソースのパスタだった。タンパク質はパスタにかけたすり下ろしたチーズだけである。


「……いいわね、菜食主義が出来る豊かなお国様は」


 毒づきながらメリルは、鍋に水を張って卵を四個入れて火にかける。

 パンを薄く四枚に切り、これでもかとすり下ろしたチーズをトッピングした。


「贅沢よ。どうせならとことん贅沢するわよ」


 ハム二枚をメリルの分のパンに乗せて、一枚をニーナの分に乗せる。

 半熟に茹でた卵の殻をむき、刻んだ玉ねぎと一緒にマヨネーズで和えた。卵をたっぷりとパンに塗ってサンドして出来上がり。本当ならここにチキンソテーとベーコンを挟むのだが、わざわざ学食へ取りに行くのも面倒なので、これで我慢することにした。

 メリルは、出来上がったサンドイッチにかじりついた。味は申し分なし。だが暗殺対象に食事を作る自分への苛立ちで、サンドイッチの美味しさも半減だ。

 メリルは、さっさと自分の分を食べ終え、二階に聞こえるように声を張り上げた。


「ニーナ出来たわよ! 早く食べなさい!」


 ニーナは、リョウと手を繋いでリビングにやってきた。

 メリルがサンドイッチを渡すと、ニーナは小さな口でパクリ。赤い瞳を宝石のように輝かせた。


「……うん。まぁまぁ」


 嬉しそうな顔をしていた割にコメントはシビアだった。

 暗殺の機会を伺い、友達を演じていた時からそうだ。ニーナは、表情と言葉がちぐはぐになる時がある。何を考えているのか分からない不気味さがあった。

 旧神の血が濃いから人間離れしているのかもしれない。

 メリルがニーナを分析していると、リョウが不満げな顔をして睨んできた。


「おい暗殺者。俺の分はどこだ?」


 何故敵に食事を用意してもらえるという発想になるのか。きっと菜食主義のせいで脳を作るたんぱく質が不足しているのだろう。そう結論付けたメリルは冷笑を送った。


「あるわけないでしょ、馬鹿じゃないの」

「おい! 昨日俺は、お前の分作ってやったろうが!!」

「頼んでないわよ。勝手にやって恩着せがましいこと言わないでくれる?」


 メリルとリョウが口論を見るニーナは、笑みをほころばせた。


「夫婦げんか。これこそ家族のだいご味」

「あんた、家族の定義がおかしいわよ。普通嫌でしょ。父親と母親が喧嘩してたら」

「わたしは楽しいわ。家族同士の憎悪のぶつけあい。最高」


 ニーナがにたりと笑った。性根がねじ曲がった人間特有の笑顔だ。

 リョウもニーナの発言には、眉をひそめていた。


「お前ってやつは、本当に末恐ろしいやつだな……」

「悔しいけどあたしも同感ね。普通家族って和気あいあいとしてるものでしょ」

「メリルの家族はそうだったの?」


 メリルは孤児だ。家族がどういうものか分からない。親が誰かも知らなかった。

 ただ平均的な魔術師の五倍超の魔力を持つから貴族の血を引く可能性は高い。

 ワイズ帝国は、強い魔力を持つ者に貴族階級の身分を与え、貴族同士で結婚する。強い魔術師の結婚によってワイズ帝国は、世界でも有数の魔術師の数と質を確保していた。

 仮に平民の出でも魔力さえ多ければ出世の機会を得られる。

 メリルも類まれな才覚を見込まれ、孤児院から軍に引き取られた。

 毎日訓練場と戦場を往復する、常に血と死が寄り添う人生を過ごした。


 だけどメリルには、苦楽を共にする大勢の仲間がいた。彼等の殆どは家族がおり、メリルのような孤児ではない。仲間たちからたくさん家族の話を聞かされた。彼等の話を元にして、自分に家族がいたらどうだろうと空想するのが好きだった。

 仲間と過ごす日々は、家族と過ごす日々と似ているのでは? と思うこともあった。

 そんな仲間たちも今はもういない。全員が戦争で命を散らしてしまった。きっと彼らの家族は今でも泣いている。同じ戦場にいながら救えなかった自分が腹立たしい。


 魔術師工場がいなければワイズ帝国人の多くの命が失われずに済んだ。

 一度だけ戦場でリョウの命を奪う機会に恵まれたが、マリーという名の魔術師に邪魔された。とても強い魔術師で、勇猛果敢に戦う姿は今でも鮮明に覚えている。

 なんとかマリーは殺したもののメリルも相当の消耗を強いられ、撤退を余儀なくされた。

 仲間の仇が、しとめ損ねた怨敵が、剣の届く場所にいるのに手を出せない。

 メリルは、両拳を握り締めて、殺意と悔しさと歯痒さを潰した。


「……家族はいないわ。仲間はいたけど大勢死んだわ」

「メリルは仲間となかよしだったの?」

「これ以上あんたの疑問に答える義理はないわ。早く朝食を食べちゃいなさい」


 ニーナは肩をすくめながら首を横に振った。


「最近の大人は、子供の疑問にもちゃんと答えられない。こんな世界滅べばいいのに」

「あんたのその口癖しゃれになってないからやめなさい。自分の強さを考えなさい」

「残念だけど、わたしはまだそこまで強くない。魔力は多いけど二人には勝てないわ」


 ニーナの見立ては正しい。ニーナは魔力量こそ圧倒的だが、魔術の精度がまだ甘い。昨日受けた契約魔術もメリルとニーナが一対一なら躱せた。恐らくリョウも同じである。

 メリルにとってのリョウは格下だが、それでも油断やよそ見が出来る相手ではない。結局メリルとリョウが互いに意識を裂かざる得ない状況になり、二人揃って虚を突かれた。

 敵の術中にはまってしまった以上、しばらくは家族ごっこに付き合うしかない。

 ニーナは、サンドイッチの最後の一口を放り込み、もきゅもきゅ頬を動かしている。しばらく咀嚼してから、ごっくんと喉を鳴らして飲み込んで両手を上げた。


「リョウ。メリル。お願いがある。授業参観をしてみたいわ」


 ニーナの唐突な提案に、リョウは首をひねった。


「授業参観?」

「リョウとメリルにいいところ見せたい」

「いいところって言われてもなぁ……あ、でも十日後に魔術競技大会が始まるぞ」


 ワイズ帝国でもルギタニア魔術学院の魔術競技大会は有名だ。

 保護者はもちろん一般の観客も入れて行う大規模なもので、国の恒例行事となっている。

 基本的に生徒は全員参加が原則らしく、ニーナにも参加資格はあるだろう。

 リョウは、ニーナの前にしゃがみこんで頭を撫でた。


「お前、契約魔術は得意!! だろうから、その部門はどうだ?」


 契約魔術部門は、学院が用意した小型の魔獣との契約までにかかる時間を競うらしい。

 ワイズ帝国でも魔獣は軍用に使われるため、同様の課題が軍の訓練で行われる。

 魔獣の性質を見抜く観察力。人の言語を魔獣に理解させる意思疎通力。素早い契約魔術構築の技術。この三点が試される。

 リョウの提案に、ニーナは力強く頷いた。


「出る。いいところ見せられる?」

「そりゃお前次第だな」

「分かった。でも普通の授業参観もしたい。家族になったから家族らしいことがしたいわ」


 折角ではなく強引にだろ。と突っ込みたいのをメリルは堪えた。

 契約魔術で縛られた以上、メリルとリョウに選択肢はない。おまけに一度こうなるとニーナは聞かない性格だ。実現が難しいおねだりでもないし、突っぱねるより叶えてやったほうが角は立たないだろう。


「こうなると言うこと聞かないし、やってあげれば? あたし教室の後ろに立ってるから」

「まったくしょうがねぇな……」


 リョウは、後頭部をかきながら深いため息をついた。

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