第9話『ブレイブ・ファミリーに憧れて』

 メリルが教室の後ろで見守る中、リョウは一時限目の魔術構築学の授業でニーナの特別授業参観を開催した。聴講に来た他の生徒たちにも事情を話し、協力してもらっている。

 黒板に問題文を書き終えたリョウは、ニーナに向き直った。


「問題だ。貫通弾と誘導弾ストーカーの発動に必要な最小限度の魔力量は? 分かるやついたら手を上げろ」


 誰一人として手を上げなかった。他の生徒たちはニーナの花を持たせるためにあえて手を上げていない。だが肝心のニーナも手を上げなかった。

 わざとらしくモジモジしながら教室の後ろにいるメリルをチラチラ見てくる。母親が見ているから緊張して手を上げられない、という状況の小芝居をやっているようだ。

 ここは母親役として応じたほうがいいだろう。メリルは微笑みの仮面を被った。


「ニーナ。ほら手を上げて」


 メリルに促されてニーナはようやく手を上げる。

 リョウは、笑顔でニーナを指差した。


「よく手を上げたなニーナ。答えは?」

「三百二十」

「不正解」


 ニーナは、頬をパンパンに膨らませた。まるで餌を頬袋にためすぎたリスのようだ。


「リョウ、問題がむずかしいわ」

「これ初等科の問題だけどな」


 ニーナは、魔力量の関係で高等科に在籍しているが所詮は七歳。地頭はいいが、初等科の授業をまともに受ける前に飛び級させた影響で基礎的な魔術の知識を持っていない。

 これぐらいなら答えられると判断したリョウの見立てが甘いのだ。このままニーナの機嫌が悪くなる事態は避けたい。メリルは、笑顔を維持したまま拍手した。


「すごーい。さすがあたしの娘」


 賞賛の声を送ったのに、ニーナの両頬が破裂しそうなほどに膨らんだ。


「メリル心がこもってない。リョウもう一問!」

「まだやんのかよ。じゃあ一+一は?」


 ニーナは悪魔のような形相でリョウを睨みつけた。


「馬鹿にしないで」

「じゃあ九十四+三十二+五十五は?」

「…………」


 黙り込んだニーナは眉間にしわを寄せ、両手の指を何度も折って数を数えている。

 しばらく待っていると、ニーナが素早く手を上げた。


「三百二十!」

「不正解。それしか数字を知らんのかお前は」

「次の問題!」

「じゃあ十+十」

「馬鹿にしてる!」

「じゃあ、ちょうどよく答えられそうな問題を教えてくれ……」

「それを考えるのは教師の役目」


 ニーナは、胸を張って席から立ち上がった。

 ここまで開き直られると、もう打つ手がないのか、リョウはメリルを一瞥してきた。


「……メリル。俺と役割――」

「いやよ」


 メリルが切り捨てると、リョウは教卓を拳で叩いた。


「くそったれ! 分かったよ! ちょうどいい問題考えるよ! ちょうどいいの!」

「リョウ、早くして授業が終わる」

「じゃあ二百七十+五十!」

「……三百!」

「なめとんのか!?」


 この後もリョウは問題を出し続けたが、ニーナは一問も答えられなかった。

 メリルは、この日初めて怨敵に対してほんの少しだけ同情した。



 * * * * *



 不毛な授業参観を終えたメリルは、ルギタニア魔術学院・第三校舎の中庭を訪れた。

 芝生が敷き詰められ、日差し避けの木々が植えられた中庭は、人気がなく一人の休憩時間には最適である。しかしこの日は先客がいた。


「この怪物!」


 中庭の中央で、ニーナが五人の高等科の生徒に囲まれている。男三人に女が二人。三年生の生徒だ。咄嗟にメリルは気配を断ち、近くに植えられている木の陰に身を隠した。


「怪物風情がッ! ルギタニアの英雄の時間を取るんじゃねぇよ!」

「あの人の時間は、あんたみたいなゴミよりも私たちに割かれるべきなの? 分かる?」

「聞こえねぇのか? 怪物!!」


 男子生徒の一人がニーナの髪を指し掴みにして引っ張った。けれどニーナは顔色一つ変えない。痛みを与えられることに慣れ切っているかのようだった。


「赤い目に白い髪。お前アポカリプス・ドーターなんだろ? カルトの娘なんだろ?」

「旧神の血を引く怪物。お前みたいなのがいると我が校の品位が落ちるんですよ」


 ニーナが他の生徒に絡まれるのは今日が初めてじゃない。メリルが学院に潜入してから定期的に見る光景だ。

 ワイズ帝国同様、ルギタニアでも旧神の血を引く者は蔑視される、だがニーナの場合は戦力として運用する思惑があるのか、殺しはしないようだ。

 しかし生かされている理由はあくまで軍事利用のため。言うなれば道具か兵器としての扱いだ。教師たちがそう扱うから影響を受けた生徒たちもニーナを蔑むようになる。

 だがニーナも負けておらず、普段は持ち前の強大な魔力に任せて制裁する。

 しかし今回の相手は高等科の三年だ。彼らは軍人と遜色ない実力を持つ。強大な魔力があってもそれを活かす技術面でニーナは後れを取っている。

 以前ならニーナの信頼を勝ち取るために、すぐ助けに入ったが今のメリルにそうするメリットはない。なんなら、このままニーナが事故死でもしてほしいぐらいだ。


「なんとか言えよッ! 怪物!!」


 ニーナの髪を掴んだまま男子生徒が殴りかかった。素早く鋭い拳打は、中々のものだ。

 これがクリーンヒットしてあわよくば――。

 そんなことを考えている時、ふと嫌な予感が頭を過ぎった。

 メリルはニーナに契約魔術で家族として縛られている。つまりメリルは母親役だ。子供が暴力を振るわれているのに、無視を決め込む母親は、契約魔術の条件に反するのでは?

 並の契約魔術であれば自身に施された魔術の構築を探れば契約条件と契約期間が分かる。けれどニーナの契約魔術は我流なのか、魔術構築がめちゃくちゃだ。

 何が違反行為か、いつまで契約が続くか読めない。となるとニーナを見殺しにすると契約違反になる可能性は否定出来ない。

 契約違反の戒めに襲われる事態は避けなければ。メリルは木の影から飛び出し、最速で間合いを詰める。男子生徒の拳がニーナの鼻先に触れる寸前、彼の股間を蹴り上げた。


「ふぐっごおおおおおッ!?」


 男子生徒は、ニーナの髪から手を放し、股間を抑えてその場に蹲った。

 ほんのちょっぴり殺意を混ぜてメリルは笑う。


「ごめんなさい。足が滑ったわ」


 悶絶する男子生徒を除く四人は、額から汗を噴き出して顔をしかめている。彼らも相応の魔術師だ。メリルの実力は見抜いているのだろう。


「……お、お、おっ、覚えてろよっ!」


 股間を抑えながら悪態をついた男子生徒を担いで四人の生徒たちは中庭を後にする。

 メリルが退散する生徒たちを見送ると、ニーナがスカートの裾を引っ張ってきた。


「ありがとう」


 メリルの右手をニーナの小さな左手が掴んできた。子供のくせに冷たい手だった。

 ニーナはメリルに対して懐いている。潜入直後から好意的に接してきたが、それは暗殺を成功させるための下準備である。好き好んでニーナの友達をやっていたわけではない。

 今のニーナは、メリルの真意を知っているのに好意は変わらない。それが不気味だ。

 メリルは、手を繋いだまま腰を落としてニーナと視線を合わせた。


「どうしてあたしに懐くの?」

「優しくしてくれたから」


 ニーナの声音から感じるのは、メリルへの信頼だ。ここまで暗殺対象の心に入り込めたのは大成功である。そのはずなのに、心の奥底がチクチクと疼いていた。

 メリルは、立ち上がりながらニーナの手を振り解き、背を向けた。


「……それはあんたを暗殺するため。油断させて隙を作るため、別にあんたが好きってわけじゃないわ」


 ニーナは、とことこと歩いてメリルの正面に回り込んだ。


「それでも優しくしてくれたのはメリルだけ。アメリアみたい」

「アメリア?」

「孤児院で時々映画を見たの。ブレイブ・ファミリー」

「ああ。アニメ映画よね。あたしも一度だけ見たことがあるわ」


 ブレイブ・ファミリーは、勇者の夫婦バートとアメリアと魔王の子供ビーンが家族になる過程を描いた作品だ。

 勇者二人は、魔王の子供の教育方針をめぐって喧嘩ばかりした。

 危険な魔王の子供だから魔王にならないよう厳しくしつけようとする父親と我が子の様に溺愛する母親のぶつかり合いは激化し、夫妻は離婚寸前となる。

 ビーンは、両親の喧嘩は自分のせいだと思って家を飛び出してしまう。すると魔王の子供であるビーンの力を狙う悪い怪物が現れ、ビーンをさらった。

 最後は仲直りした家族三人で怪物を倒し、前よりも家族の絆が強くなって物語は幕を閉じる。正に子供向けの王道な物語だ。捻くれた性格のニーナが好むとは意外である。


「バートとアメリアみたいな父さんと母さんが欲しかった。でもわたしは誰ももらってくれなかった。赤い目と白い髪は、旧神の血を引く怪物のしるしだって」


 そう語るニーナの表情は無だった。怒りも悲しみも苦しみも何もない。どういう育ち方をするとこうなる顔になるのかをメリルは知っている。底なしの絶望を味わうことだ。


「孤児院のみんなは、怪物だって言ってわたしを殴ったわ。たくさん殴った。わたしのおやつも盗られたわ」


 ニーナはアポカリプス・ドーター。世界を滅ぼす存在。暗殺対象に同情はいらない。ニーナの人生を知る必要もない。そのはずなのに、メリルは聞かずにはいられなかった。


「……あんたはどうしたの?」

「泣いた。やめてと叫んだ。助けを呼んだわ。でも大人は誰も助けてくれなかった。そのとき、自分を守れるのは自分だけだと思った。だから自分の身を守るために力を使ったわ」


 淡々と事実を羅列するように、ニーナは言葉を紡ぐ。


「そしたら前よりも怪物あつかいされた。どこへ行ってもみんなが怪物あつかい。どこへ行ってもみんなにいじめられる。わたしのおもちゃもわたしの絵本も全部みんなに盗られちゃった。きっと世界中のどこに行っても、こんな扱いをされるって分かったわ」


 ニーナは笑顔を浮かべた。感情の色が一片もない作り物の笑顔だ。


「それなら本当に怪物になろうと思ったわ。怪物らしくいようと思ったわ。ずっと怪物らしくいたらね、こんな世界いっそ滅んでしまえばいいのに、そう思ったの。だって誰もわたしに優しくしないし、誰もわたしを好きにならない。そんなのなくても同じだわ」


 誰からも愛されない子供は、みんなから言われた通りの存在になることを決めた。それがニーナの選んだ生き方なのだ。問題は、彼女にそれを可能にする力があることである。


「メリル。わたしは世界を滅ぼせるんでしょ。だからわたしを殺すんでしょ」

「そうね。でも今のあたしにあんたを殺す手段はないわ」

「怪物はいつか退治されるわ。あの映画みたいに。でも退治される前に楽しいことがしたいわ。家族らしいこと」

「あたしと魔術師工場にそれをしろって?」

「わたしに優しくしてくれた大人はリョウとメリルだけよ。だから二人がいいわ。家族になるのも、いつかわたしを退治するのも」


 そう言ってニーナは、メリルの右手を両手で握り締めてきた。

 人の愛に飢えて、だけど誰も与えてくれなくて怪物になろうとした少女。どうしてこんな性格に育ったのか理解出来た。だがメリルには関係のないことだ。

 成すべきことは、任務を達成すること。アポカリプス・ドーターをこの世から抹殺すること。ニーナの過去に思いを馳せる必要はない。メリルは、ニーナの手を振り払った。


「あんたも変わってるわね。どうせならリョウに懐いたほうがいいわよ」

「わたし、メリルすき。赤い髪も緑の目も、とてもきれいだと思うわ」


 赤い髪はワイズ帝国人にとって誇りであり、他国では蔑視の象徴だ。

 旧神の脅威から世界を救って魔術を世界に広めたワイズ帝国も、今では世界の盟主を気取った赤髪と揶揄されている。ルギタニアで髪と目の色を褒められたのは初めてだ。


「赤は強い色ね。わたしすき。メリルは紅って呼ばれてるでしょ」

「この国じゃ紅の名は忌み嫌われているわ。あたしがどれだけの人間を殺したか……」

「紅って呼ばれ方、きれいですき。メリルの髪の色。すごくきれい。すごくつよい。すごくやさしい。わたし、メリルもメリルの髪もすき」

「……変わってるわね、あんた」


 味方が殆どいない敵地での任務が続いたせいか、こんな言葉が嬉しく思えてしまう。暗殺対象に感情移入しそうになるなんて非常に危険な状態だ。

 なるべく早く殺すべきだが、今は手が出せない。どうせ手が出せないなら、せめてもの手向けとして家族ごっこに付き合うのもいいだろう。


「……分かったわよ。しばらくあんたの家族ごっこに付き合ってあげるわ。だけどいずれあたしがあんたを殺す」

「約束よ。わたしも退治されるならリョウとメリルがいいわ」


 死を全く恐れないニーナが憐れに思えた。それと同時にニーナへ同情しそうになった自分に驚かされる。これ以上ここにいると余計な感情を抱いてしまいそうだ。

 メリルは、中庭を去ろうと歩き出した。

 先程隠れていた木に差し掛かると、視線を感じてそちらを見やる。

 木に背を預けて腕を組んでいるリョウと目が合った。

 淡褐色の瞳は、まるでメリルの心の奥底を透かして見ようとしているようだった。

 メリルは視線を逸らして、逃げるようにその場から立ち去った。

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