第10話『アイスクリーム』

 放課後になり、夕刻の光がルギタニア魔術学院を赤く染めている。

 メリルとニーナとリョウが教員寮に帰えるため、学院の校庭を歩いていた。


「ニーナ、家に帰る前に魔術の練習だ」


 そう言ってリョウは、ニーナの頭に右手をポンと置いた。


「はぁ!? あんた何考えてんの!?」


 メリルは、リョウの提案に声を荒げた。

 今ならどうとでも出来るニーナをこれ以上強く鍛えるとは、正気の沙汰とは思えない。だがルギタニアは、旧神の王の骨を兵器転用しようとした悪辣非道な国家である。

 学院が問題児のニーナをここまで厚遇するのは、そういう狙いがあるからだ。

 ルギタニア式魔術の創始者にして最強格の魔術師に数えられるリョウは、ニーナの護衛兼師匠役としてこれ以上ない適任である。この暴挙を黙って見過ごすつもりはない。


「どういう脳みそしてんのよ! 子供たちを戦場に送り込んだ反省ってのは所詮建前?」


 痛いところ突かれたのか、リョウの淡褐色の瞳が殺意を滾らせた。


「強大な力だからこそ扱い方を学ぶ必要があるんだろうがッ! 剣振るしか能がない単細胞には理解出来ねぇか!?」

「単細胞!? あんた殺される覚悟はあるんでしょうね!」

「上等だ! 今すぐかかってこい!!」


 今ここで殺してやる。剣を召喚しようとしてメリルだったが、すぐに思いとどまる。

 契約魔術の影響でリョウにも手を出すことは出来ない。斬ろうとするか、あるいは攻撃の意思を見せた時点でアウトだ。

 リョウも同じことを考えているのか小銃を召喚する気配がない。

 膠着状態となったメリルとリョウをニーナは微笑ましげに眺めていた。


「子供の教育方針をめぐって争う父親と母親。これも家族のだいごみね」


 メリルとリョウが喧嘩してもニーナを喜ばせるだけで何の解決にもならない。

 ブレイブ・ファミリーのように喧嘩で家族の絆が生まれると錯覚しているのだ。

 この状況を打開するために必要なのは、ニーナとの関係構築である。

 暗殺の機会を伺う過程でメリルは、ニーナと友達として接してきた。彼女の趣味嗜好はある程度把握している。情報戦という観点でメリルは優位なのだ。


「とにかくあたしはニーナに魔術を教えるのは反対。今日は外へ遊びに行くわよ」


 メリルの提案に、リョウは眉間に深いしわを作った。


「てめぇが勝手に決めんじゃねぇ。俺は教師としてこいつが正しく力を使えるように指導する義務があるんだ。今から魔術の訓練をする。譲らねぇぞ」

「ニーナ本人にやる気がなきゃ、いくら指導しても無意味でしょ? ニーナ、聞き分けの悪いパパなんかほっておいてママと一緒に遊びに行くわよ」


 甘い声を出しながら笑顔を作る。母親に飢えている子供相手にこれは効果てきめんのはず。その予想とは裏腹に、ニーナは舌を打ちした。


「距離感の詰め方が露骨すぎ。わたしを馬鹿にしてる?」


 ニーナの底意地の悪さは、育ちの問題以上に生来のものかもしれない。

 顔面をぶん殴りたい衝動が湧いたが、めげるわけにはいかない。この一ヶ月こんなことの連続だった。とにかくニーナをこちらの味方にしなくてはならない。


「あたしと遊びに行ったらアイスクリームが食べられるわよ。あとお夕飯はごちそう作ったげる」

「……ごちそう? どんな?」


 ニーナの顔色が変わった。意外と食い意地が張っているから食べ物の話題は効果抜群だ。

 このまま畳みかければいける。メリルは、とどめの一撃を繰り出すことにした。


「肉よ」

「……わたしメリルと遊びに行く」


 メリルが勝ち誇った笑みをリョウにぶつけると、彼はニーナの両肩を掴んで揺すった。


「こらニーナ! 食い物につられんじゃねぇ!」

「メリルと遊びにいく。リョウも一緒にいこう」

「だめだ! お前、俺たちに契約魔術使ったり、無茶苦茶やってる自覚あんのか!?」

「もうやらない。約束する。だから遊びにいく」


 ニーナは一度決めたことは絶対曲げない。ニーナの鉄のような意思を悟ったのか、リョウは後頭部をガシガシかきながらメリルを睨んできた。


「……分かったよ。今から学院長に外出許可取ってくる。ただしッ! 明日から授業以外でも魔術の訓練をするぞ。いいな?」

「ん」


 ニーナの気のない返事に、リョウはがっくり肩を落として教員棟のある方向へ歩き出した。メリルとニーナがその場で待っていると。三十分後、リョウが戻ってきた。

 突然の外出ということで交渉が難航したのか、顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。


「なんとか許可は取れた。行くぞ……」


 三人で黄昏の光を浴びながら東門を目指して学院を歩き出した。

 すると、すれ違う教員や生徒たちから次々にリョウへ声を掛けてくる。


「ご結婚おめでとうございます!」

「昨日の夜はどうでした?」

「生徒に手を出す変態教師……」

「ロリコン教師!」


 冷やかしや中傷の声を浴びせられるリョウは、絶えずこめかみに青筋を浮かべている。

 敵の哀れな姿を見るのは気分がいい。自然と足取りが軽くなる。

 メリルの喜ぶ姿が珍しいのか、ニーナは不思議そうに眺めてきた。


「メリル機嫌よさそう」

「そうかしら?」


 小さな勝利の愉悦に浸りながらブーツ越しに伝わる芝生のサクサクした感触を楽しんでいると東門の前に着いた。

 それと同時にリョウは、しゃがみこんでニーナと視線を合わせる。


「ニーナ。一つ聞かせてくれ。契約魔術使うの初めてじゃねぇだろ?」


 リョウの問いにニーナは答えない。この沈黙は認めるのと同じだ。


「使ったんだな? 誰に使った?」


 誰に契約魔術を行使したのか、メリルも気になるところである。

 しかしニーナは、黙り込んでしまった。どうしても答えたくないらしい。

 リョウもそれ以上の追及はせず、ニーナの頭をポンポンと撫でた。


「……二度とやるなよ。分かったか?」

「分かった」


 意外にも素直な反応だ。いかにも反省した子供という感じである。少なくともメリルの目には、ニーナが殊勝な態度を装いながら心の中で舌を出しているようには見えなかった。


「じゃあ行くか」


 立ち上がったリョウは、東門の鉄扉を両手で押し開いた。

 メリルの目に飛び込んでくるのは、人々が行き交う活気あふれる煉瓦造りの街並みだ。

 空を網目状に電線が駆け巡り、背の高い煉瓦造りの建物が所狭しと並んでいる。

 地面は石畳で舗装されており、雑踏の鳴らす靴音が小気味よい音楽のように聞こえた。

 道行く人々を背中に小銃を背負った警察の竜騎隊員が、ねじれた二本の角を生やした馬型魔獣ドラグーンホ―スに跨って見守っていた。

 道路には車と路面汽車が行き交い、魔力の混じった青い蒸気が街のあちらこちらで立ち上っている。

 電気・蒸気機関・魔動力。ルギタニアはこの三つの動力を用いる機械の製造と輸出によって世界で一、二を争う経済大国となった。


 またルギタニアは百年前、民主主義を世界で初めて取り入れた国でもある。すれ違う人全員がワイズ帝国の民よりも幸せそうな顔をしていた。

 民が為政者を選び、民が収める国。憧れがないと言えば嘘になる。

 ワイズ帝国は皇帝が絶対であり、人権が認められるのは強い魔力を持つ貴族までだ。

 魔力の少ない平民は皇帝と貴族のためなら、戦場の汚泥にはいつくばり、敵兵の血をすすって飢えを凌ぎ、笑顔で命を捧げる。それが帝国人の矜持であり、人生だ。

 もしもワイズ帝国がルギタニアのような国だったら多くの民が幸せになれたのかもしれない。そんなことを考えていると、ニーナが両手でメリルの右手を掴んできた。


「メリル、こっち」


 ニーナに、ぐいぐいと引っ張られてつんのめりそうになる。

 連れていかれたのはアイスクリームを売っている移動式の屋台だ。子供たちが屋台を囲んでおり、店主のふくよかな男性が子供たちを見て満面の笑みを浮かべている。


「アイスクリームのやくそく。メリルも食べよ」


 ニーナの提案に、メリルは思わず唾を飲み込んだ。ワイズ帝国にもアイスクリームはある。しかし皇帝と貴族以外は口にすることはない。

 贅沢品は国民を堕落させると皇帝直々のお触れが出ている。だからアイスクリームどころか甘いものを一度も食べずに生涯を終える帝国人も多い。

 紅の二つ名を皇帝から授かり、世界を救った英雄と称されるメリルですらアイスクリームを食べたことは一度もない。常々どんな味か食べてみたいと思っていた。

 敵地で贅沢品にうつつを抜かしている場合ではないが、好奇心には逆らえなかった。

 任務にあたって帝国から相当額の軍資金を支給されている。アイスクリームであっても一つや二つ購入する程度なら任務遂行に支障はないだろう。


「すいません。アイスクリーム二つください」


 メリルが屋台に近づくと、子供たちは凍り付いた。ワイズ帝国人を歓迎していないのは明らかである。しかし店主は、子供たちとは対照的に笑顔のままだった。


「二つね。二つで四百ダエドだよ」

「四百ダエド!?」


 メリルの悲鳴に周囲の人々は凍り付いたように動かなくなった。

 それからしばらくして最初に解凍して口を開いたのは店主である。


「た、高いかい?」

「安すぎるわよっ! 一つ二百ダエドって子供のお小遣いじゃない!? 帝国じゃアイスクリームなんてっ!!」

「そ、そりゃ子供相手に商売してるからね……子供が買える値段じゃないと」

「失礼だけどいい? 儲け出るのかしら?」

「アイスクリーム御殿が建つ程度には……」

「儲かるのね……」


 ワイズ帝国では貴族しか食べられない高級品が子供の小遣いで手に入る。これがルギタニアなのだ。底の見えない国力に、戦慄させられる。

 慄くメリルを見て苦笑する店主に、リョウが千ダエド紙幣二枚を店主に差し出した。


「三つくれ。チョコとバニラのダブルにチョココーティングのワッフルコーンで頼むよ」

「少々お待ちを」


 千ダエド紙幣二枚を受け取った店主は、手慣れた手つきで三つのワッフルコーンに茶色と白のアイスを乗せてニーナ、メリル、リョウの順番で渡した。


「お待たせしました」

「ありがとう。釣りは取っといてくれ」


 リョウは、店主に手を振ってから歩道に設置されたベンチを指差した。


「座ってゆっくり食おうや」

「ん」


 ニーナは、アイスクリームを両手で持ってとことことベンチに走っていく。真ん中にニーナが座り、リョウが左隣に座った。

 メリルは、アイスクリームを落とさないよう慎重にベンチまで歩いて、ニーナの右隣に腰かけた。

 白いアイスクリームからは甘い芳香が漂ってくる。茶色いアイスクリームの香りも甘いが、白いものよりも深みを感じた。舌先でぺろりと、白いアイスクリームを舐めた。


「んっ!?」


 冷たくて、だけどまったりとした甘みが口の中に広がっていく。茶色いアイスクリームを舐めてみると、今度はコクのあるずっしりとした甘さが舌を楽しませた。


「これがアイスクリーム……」


 感動すら覚える美味だ。皇帝や貴族が独占する気持ちも理解出来る。

 こんな美味しいものが子供のお小遣いで買えるとは、何度考えても信じがたい。

 大事にちょっとずつ味わうメリルとは対照的に、リョウは大きく口を開け、がぶりと白いアイスクリームをかじった。ニーナもパクパクと白いアイスクリームを食べ進めている。

 二人ともアイスクリームへのありがたみが感じられない。表情を見れば美味しいと思っているのは間違いないが、ごちそうを食べている感動はない。

 ルギタニア人にとってこれはなんら特別ではない、日常に溶け込んだ食べ物なのだ。

 ギャップについて行けずニーナとリョウを呆然と見つめていると、ニーナが首を傾げた。


「メリルなに?」

「別に……これ食べたら食材の買い出し行くわよ。肉料理をごちそうするわ」

「肉祭り!」

「そうよ。不足してるたんぱく質を摂取するわよ。おー!」

「おー」


 メリルが拳を突き上げると、ニーナも小さな拳を突き上げた。

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