第11話『二つのぬいぐるみ』

 アイスクリームを食べ終えてから三人で向かったのは、魔術学院から徒歩五分の距離にあるルーベリーマートだ。ルギタニア国内最大の規模を誇るスーパーマーケットである。

 メリルも何度か訪れているが、何回来ても豊富すぎる品揃えに圧倒される。

 店内は、休日ということもあって大勢の客でごった返していた。

 人が多いため、ニーナとリョウはスーパーの外で待っている。

 うるさい監視役がいなくなって、メリルは内心ほくそ笑んだ。

 カートを押してまず訪れたのは、肉売り場である。保冷機能付きのショーケースにラップにくるまれた肉がずらりと並んでいた。

 ハンバーグに必要な牛と豚の合い挽き肉を、値札を剥がしてからカートに入れる。更にありとあらゆる種類の肉をカートに放り込んでいく。その一部の値札を外して握り潰した。

 最後に牛の塊肉を手に取ろうとすると、横から細くて白い手が伸びて塊肉を掴んだ。

 視線を横に振ると、少女が立っていた。年頃は十代の半ばか。愛らしい容姿には釣り合わない着古した白いワンピースを着ている。


「あ、すいません! どうぞ!」


 少女は、塊肉から手を離した。とても愛想のよい少女だ。メリルの見た目からワイズ帝国人だと分かるのに、表情に侮蔑の色が浮かんでいない。

 笑顔を作ったメリルは、塊肉を手に取って少女に手渡した。


「あなたが先に取ったんだからあなたのものよ」

「で、でも」

「気にしなくていいわ。あたしは結構買ってるしね」


 そう伝えると、少女は明るい笑顔でぺこりと頭を下げた。


「じゃあお言葉に甘えて。ありがとうございます。えーと……」

「メリルよ。あなたは?」

「ナターシャです。ありがとうございますメリルさん」

「ナターシャ……」


 覚えのある名前だった。二年前、戦場で三十代半ばのルギタニア兵の男女を殺した時だ。彼らの名前はジーンとエリーゼ。二人の最後の言葉がナターシャとベックであった。

 あの年頃の夫妻の子供であればちょうどこれぐらいの歳になるだろう。


「…‥ねぇナターシャ。そのお肉で誰にごちそうを作るの?」

「弟です。ベックっていうんですけど、今日が誕生日なんです! とってもいい子でごちそう作んなきゃって! 普段あんまりいいモノ食べさせてあげられないし」


 服装からしても裕福な暮らしをしていないのは明らかだ。

 何故そんな生活をしているか、理由は一つしかない。


「……そう。ご両親のお手伝い。えらいわね」


 意地の悪い質問だ。けれどメリルは、どうしても己の推測が正しいかを確かめたかった。

 ナターシャは笑顔を浮かべる。泣きたい気持ちを塗り潰すような笑顔だった。


「いいえ……両親は戦争で……」


 やはり間違いない。ナターシャはメリルが殺した軍人の遺族である。

 両親がワイズ帝国人に殺されたのに、ワイズ帝国人に食材を譲ろうとした。ナターシャがどうしてそんな選択をしたのか。その理由をメリルは知りたくなった。


「ワイズ帝国に両親を殺されたのに、あたしに肉を譲ろうとしてくれたわけ?」

「父と母は軍人だったので覚悟してました。そもそも悪いのは戦争です。人じゃありません……でしょ?」


 心根からそう思っていると伝わってきた。こんなに強い子を育てた両親の高潔な人柄が窺える。そんな両親をメリルは殺してしまった。ナターシャから奪ってしまった。

 人殺しは悪だ。メリルはそう思っている。初めて人を殺した時、一晩中吐き続けた。

 こんな苦しい思いを他の誰にもさせたくない。だから自分が人殺しの役を担うと決めた。

 誰よりも強くなって仲間に同じ思いをさせない。そのために魔術の才能を与えられた。

 そう考えたメリルは、多くの敵を殺した。自分の良心を殺して、自分の恐れを殺して、自分の慈悲を殺して、敵を殺して、殺して、殺し続けた。

 いつしか返り血に塗れた姿になぞられ、皇帝から紅の二つ名を拝領した。嬉しくも誇らしくもない二つ名だった。お前は役に立つ人殺しだと言われたのだから。

 ナターシャと向き合っていると、改めて自分の罪を思い知らされる。


「……どうかしら。こんな素敵な女の子からご両親を奪ったやつは悪魔だと思うわ」


 メリルは、ナターシャに背を向けてその場から立ち去った。

 この国に来て、自ら殺めた者の遺族に会うと改めて実感する。敵国と言えど、メリルが殺したのは人間で彼等にも幸せな生活があったのだと。

 学院でもメリルが殺したルギタニア人の遺族に会うことがあった。家族の仇を討つために魔術師になり、次の戦争では誰よりもワイズ帝国人を殺すのだと言っていた。彼らが至った結論を責めるつもりはないし、貶すつもりない。

 ただし敵として立ちはだかったら容赦なく殺す。これまで通り、躊躇はしない。もしもナターシャが敵として立ちはだかってもきっと殺せる。

 相手が子供でも、善人でも関係ない。穢れた二つ名通りの殺人鬼としてこれからも生き続ける。この役割を降りることは許されない。それが紅の生き方だ。

 自分の存在意義を反芻しながらメリルは、カートの持ち手をぎゅっと握り締める。


「ええ、あたしなら出来るわよ」


 そう自分に言い聞かせながらメリルはカートを押してレジに向かう。

 メリルは、橙色の髪をした若い女性がいる三番のレジに並んだ。込み合っているが、女性のレジさばきは達人の域であり、瞬く間に客がはけていく。

 自分の番をメリルが待っていると、ふと視線を感じた。窓の外を見ると、リョウに肩車されたニーナがこちらに手を振っている。

 適当に手を振り返していると、メリルの番になった。レジカウンターを挟んで女性の前に立つ。女性は、カートからひき肉を手に取ってまじまじと眺めた。


「これ値札が貼ってないですね。いくらだったかなぁ? ってあれこっちも!?」

「この店どうなってるのよ。早く会計してちょうだい」


 メリルは、レジの女性を見つめながら意識を集中させ、頭の中で語り掛ける。


『シャーロット聞こえる?』

『メリル聞こえるよ』


 頭の中でレジの女性の声が響いた。ワイズ式魔術で暗号化された思念通信である。

 会計作業を進めるシャーロットの薄緑色の瞳にメリルの姿が映った。


『相変わらず似合ってるじゃん学生服姿。さすがぎりぎり十代』

『お世辞をどうも。十九歳になってこんな格好する羽目になるとはね』

『それで? 定期連絡がなくて心配しちゃった。どうしたの?』

『ニーナの暗殺に失敗。しかも契約魔術を施されたわ。おかげで彼女に攻撃出来ないわ』

『あちゃちゃ、そりゃまずいね。ていうかどうして私を呼ばないかな!?』

『ごめんなさい。急に得られたチャンスだから余裕がなかったのよ』

『まったく……二度と一人でやらないでよ? で、契約内容は?』

『家族になることよ。あたしはあの子の母親ってわけ。さらに最悪なのが父親よ』

『父親?』

『魔術師工場よ』


 シャーロットのレジを打つ指の動きが一瞬止まった。


『えっ!? あいつが出てきたの!? ちょいちょい! やばいじゃん!』

『しかもあたしの正体もばれたわ。今後は、あなたとも簡単に接触出来なくなるわ』


 思念通話は、傍受されないように暗号の強度を上げるほど交信距離が短くなる。

 メリルとシャーロットは、ルギタニア側に思念通話を察知されないため、顔を突き合わせた距離での接触を余儀なくされていた。


『私もここにいるのは潮時かね。あーあ、ここのレジ係、気に入ってたんだけどなぁ』

『ごめんなさい。足を引っ張ったわ』

『気にしないでよ。いつも足引っ張んの私だしさ。ルギタニアの女を愛した愚か者ジェイルの娘、半端者のシャーロットだしね』


 シャーロットの父ジェイル博士は、ワイズ帝国の魔術学の権威だ。彼は、ルギタニア人の女性と恋に落ちて七人の子宝に恵まれた。シャーロットは第一子である。

 しかしワイズ帝国人の多くは純血主義であり、他国の人間の血が混じることを極端に嫌う。ジェイル博士は国内で冷遇された末に心を病み、七年前に一家心中を図った。

 一人生き延びたシャーロットだが、今でもルギタニア人の血が混じった半端者として白い目で見られている。

 メリルは、ワイズ帝国の純血主義を酷くくだらないものだと思っていた。


『自分を卑下するのはやめなさい。悪い癖よ。あなたは素晴らしい人材だわ』

『ルギタニア人の血が混じった私をそう呼ぶのは、帝国ではあんただけだね』

『あたしが見るのは人柄と能力よ。血なんてどうでもいいわ。あなたの空間魔術は右に出る者がいないし、あなたの父のジェイルさんは最高の魔術学者よ』

『……そうだね。父さんも母さんも弟も妹も今も私の中にいて私を見守ってくれてる。私ががんばらないと家族みんなに呆れられちゃうかもね』

『ええ、その通り。だから頼りにしてるわよ』

『なら張り切って〝処刑場〟を構築しますかね。まぁちょいと難しいんだけどさー。中々条件に見合う魔力の濃い場所が見つからんくてね』


 空間魔術は、小規模の世界を構築する高等魔術である。空間の大きさにもよるが、発動と維持には人間一人の持つ魔力では到底足りない。そのため大気や大地から発生する魔力の量が多い場所でしか発動出来ない。近辺で条件に見合うのはルギタニア魔術学院だ。


『この辺りで魔力濃度が濃いのは、ルギタニア魔術学院の敷地内ね』

『それは分かってるけどさ、さすがにあの中に入るのは難しいでしょ』

『ええ。さすがに人材交流を口実に二人も学生として送り込むのは無理だったし、しかも処刑場クラスの空間魔術の場合、魔術構築に発声での詠唱と魔術触媒の設置が不可欠』


 空間魔術は、作用させる空間の周辺に魔術構築を施す必要がある。もっとも効率よくそれを行えるのは声に出しての詠唱と事前に魔術構築を施した触媒だ。


『ま、この私、天才のシャーロット様に任せろ。詠唱と触媒はなんとかするよ。けどさ、問題はやっぱ中に入ることだね。うまく潜り込める手段があればいいんだけどね』


 ルギタニア魔術学院側が一人だけでもワイズ帝国人を受け入れたのが奇跡だ。メリルが内部に潜入している以上、どうにかしてシャーロットを学院内に入れなくてはならない。


『やってみるわ。あと今日別の手段でニーナ暗殺を試してみる』

『平気なの? 契約魔術に引っ掛かったら……』

『それでもやるしかないわ。また連絡する……あ、そうだ。例の連続殺人だけど』

『知ってる。コリンズがやられたね。こっちのスパイを見抜くあたり犯人はプロだ。でもそっちは、このシャーロット様に任せて。実は犯人の目星はつけてあるの』

 思わぬ朗報に、メリルは驚きそうになったが、顔には出さないよう平静を装った。

『さすがね。誰?』

『だから私に任せて。うまく処理するよ』

『一人でやるのは無茶よ。相手はこっちの選りすぐりを仕留めてる。かなりの達人よ』

『いいからあんたは、あの子に集中。アポカリプス・ド―ターを野放しに出来ないでしょ』


 たしかにシャーロットなら、どんな相手でも下手を打つことはないだろう。それに彼女の言う通り、ニーナを野放しには出来ない。メリルは、ニーナ暗殺に注力するのが得策だ。


『……そうね。よろしく頼むわ。でも無茶はしないで。犯人を殺す時はあたしも一緒よ』

『はいよ。そっちもニーナちゃんを殺す時は、絶対に連絡ちょうだいよ』

『ええ。それじゃあまたね』


 会計を終えた肉を紙袋に詰め込んでメリルは、スーパーを後にした。

 外で待っていたニーナは、メリルの下げる紙袋を見て赤い瞳を輝かせた。


「何が入ってるの? 肉?」

「もちろん全部肉よ」


 にっこり笑ってメリルが頷くと、リョウが顔をしかめた。


「そんな大量の肉どうすんだよ?」

「食べるに決まってんでしょ。庭に埋めたら花が咲くとでも? 馬鹿じゃないの」


 頭に浮かんだ言葉をそのままストレートに伝えてみる。

 リョウのこめかみにビキッ! と青筋が走った。


「肉ばっかり食ってっから脳みそが獣並みに凶暴で単純なのか。納得したぜ」


 理性の糸がメリルの中で切れる音がした。


「……誰が獣ですって?」

「悪かったな。てめぇなんかと一緒にしちまったら獣に失礼だったわ」

「お上品なあんたにあたしの料理をとくと味わわせてあげる! 吠え面をかくといいわ!」


 メリルが宣言すると、ニーナがにんまりと破顔する。

 意図の読めない不気味な反応に、メリルはたじろいだ。


「な、なによ?」

「吠え面。昨日の朝、リョウにも同じこと言われた。リョウとメリルは似たもの夫婦」


 似たもの夫婦という単語を聞いた瞬間、メリルの身体を悪寒が走った。


「やめて!」

「やめろ!」


 メリルが抗議の声を上げるのと、同時にリョウも声を荒げていた。

 まるで二人の息が合っているみたいで、まずます苛立ちを加速させた。


「こんなクズと一緒にしないで!」

「こんなカスと一緒にすんな!」

「誰がカスよ!」

「誰がクズだ!」


 メリルとリョウが睨み合う。互いに一歩も引かずに見つめ合うこと十数秒、周囲の人々の視線がチクチクと刺さった。


「……なぁ? いったん休戦にしねぇか?」

「……そうね。賛成してあげる」

「夫婦喧嘩終わったらもう帰ろ」


 ニーナがメリルに左手を、リョウに右手を伸ばした。ブレイブ・ファミリーでも両親と手を繋ぐ魔王の子供のシーンは象徴的に使われていた。あれの真似がしたいのだろう。

 メリルとリョウは、ニーナの手を取って握り締める。小さな手は子供らしからぬ冷たさで血が通っていないかのようだった。

 ニーナは、メリルとリョウの手を掴んだまま引っ張った。石畳の歩道を三人並んで歩き出したが、ニーナがすぐに立ち止まる。彼女の視線の先にあるのは、おもちゃ屋だ。

 ショーウィンドウには、子供が抱きしめるのにちょうどいいサイズのぬいぐるみがたくさん並んでいる。定番の熊に、犬や猫、変わり種で蜘蛛までいた。

 メリルはぬいぐるみが大好きだ。けれど孤児だったから手が届かなかった。

 大人になって金を稼げるようになった頃にはルギタニアとの戦争が始まり、ぬいぐるみを買って愛でる余裕は、精神的にも肉体的にもなかった。

 いつか熊のぬいぐるみを買ってみたい。そんなささやかな夢を今でも持っている。

 ニーナも身の上話を聞く限り、ぬいぐるみを買い与えられた経験はなさそうだ。


「……かわいい」


 ニーナは、ショーウィンドウを見つめて呟いた。ぬいぐるみをかわいいと思う子供らしい一面があったようだ。リョウもメリルと同じことを思ったらしく、目を丸くしていた。


「お前、ぬいぐるみとか好きなのか。なんか買ってやろうか?」

「ぬいぐるみで喜ぶのは子供だけ」


 またも素直じゃない反応だが、本心は手に取るように分かった。それが分かっているからか、リョウはひょいとしゃがみこんでニーナの額を人差し指で突いた。


「でも欲しいんだろ? 好きなの買ってやるから選べよ」

「……しかたない。そんなに買いたいなら買わせてあげる」


 ニーナは、生意気な台詞とは釣り合わない太陽のように眩しい笑みを浮かべる。

 頬を緩ませたリョウは、ニーナの頭を撫で、ショーウィンドウを指差した。


「一個だけだぞ。どれがいいか選べ」

「……じゃああれ」


 ニーナが指差したのは、真っ黒な大きな蜘蛛のぬいぐるみだった。ぬいぐるみらしくデフォルメされているが蜘蛛は蜘蛛だ。だけどニーナのイメージ通りのチョイスでもある。


「あんたらしいっちゃ、あんたらしいわね……」

「二人とも早く! 売り切れる!」

「絶対その心配はないわよ……」


 ニーナに引っ張られる形でメリルとリョウは、おもちゃ屋に入店した。


「いらっしゃい」


 店主は、人のよさそうな壮年の男性だった。けれどメリルの姿を見て一瞬眉をひそめた。

 だが、そんなのはお構いなしだと言わんばかりに、ニーナがショーウィンドウの蜘蛛のぬいぐるみを指差した。


「クモさんください!」


 すると、店主はからからと笑った。


「お嬢ちゃんはお目が高いね。あの蜘蛛はね、この店の守り神なんだよ」


 売れ残りも、物は言いようである。内心で毒づきながらショーウィンドウを眺めた。蜘蛛の隣に真っ白なクマのぬいぐるみがちょこんと座っている。

 かわいい――。思わず口から出しそうになり、すぐに声を飲み込んだ。

 ふと背後から視線を感じる。振り返るとニーナと目線が合った。

 しばしメリルを見つめてからニーナは、白い熊のぬいぐるみを指差した。


「これもちょうだい」

「こら。一つの約束だぞ」


 リョウは、右手でニーナの頭に優しく触れた。


「リョウが買ってくれるのが一つ。これはおこづかいで買う。おこづかいの使い道は自由」

「ったく、口の上手いやつだ。分かったよ。おじさん、この熊も」

「はいよ」


 会計を済ませてぬいぐるみを二つ受け取ったニーナは、メリルに駆け寄ってきた。


「学院長がくれるおこづかい貯めてた。メリルにあげる」


 そう言ってニーナは、白い熊のぬいぐるみを差し出した。

 想定外の展開に、思考が硬直してしまう。自分を殺そうとしている人間にぬいぐるみをプレゼントしようとする動機はなんなのか、理解が及ばなかった。


「……なんでくれるの?」

「メリルが好きだから。あと中庭で助けてくれたお礼」


 いくら家族ごっこがしたいと言っても、どうして自分の命を狙う相手にこんなに懐けるのだろうか。ニーナの底知れなさを畏怖しながら、メリルはぬいぐるみを受け取った。


「……ありがと」


 白い熊のぬいぐるみの手触りは、とてもふかふかしていた。

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