第27話『覚醒』

 ニーナは、両手を広げてメリルからリョウを庇うように立っている。


「メリル。リョウを殺さないで。わたしを殺して。リョウには死んでほしくない」


 何を馬鹿なことを! 早く逃げろッ!

 そう伝えたいのに喉が震えない。舌が回らない。口が開かない。

 ニーナを守る立場でありながら庇われる己の情けなさに、はらわたが煮えくり返る。

 このままではニーナが殺される。マリーに守ってもらったあの時と同じになってしまう。

 あの時の二の舞は二度とごめんだ。今度こそ大切な子供を守ってみせる。

 何の役にも立たないと理解しながらも少しでも抑止力になればとメリルを睨みつけた。

 メリルは、唇を噛み締めてリョウを庇い続けるニーナを見つめている。


「メリル、おねがい。リョウを殺さないで。わたし、リョウが大好きなの」

「ニーナ……退きなさい……」

「わたしは、リョウとメリルが自分をまもってくれる強い人だってわかってた。優しい人だってわかってた。だから二人にパパとママになってほしかった。そしたらリョウとメリルは、たくさん楽しいことしてくれた。家族っぽいこといっぱいできた。夢がかなった」


 ニーナがリョウに振り返る。安らかな笑みを浮かべる姿は、自分の死を受け入れているようだ。こんな顔は絶対させちゃいけない。リョウは奥歯を噛み締めて活力を振り絞った。


「ニーナ……退けっ。俺は大丈夫だ……」

「どかないわ。わたしは、リョウとメリルには死んでほしくない。二人には生きていてほしい。わたしが死んで二人が生きていられるなら死ぬ。二人が生きていられるなら……死んでいい。わたしは怪物だから、悪い子だから、死んでいい」


 リョウは、残された全身の力をかき集めてニーナに両手を伸ばした。

 ニーナの性格には歪んだ部分がある。これから先どんな大人になるのかも見通せない。だけどそれは普通の子供だって同じことだ。

 けれど分かることが一つある。こんな穏やかな表情で自分を犠牲に出来るのは、誰よりも優しい心を持っている証拠だ。守られるべき子供を大人一人の命のために犠牲には出来ない。リョウは、ニーナを左腕で抱きしめて右手で頭を撫でた。


「……ニーナ。お前は怪物なんかじゃない」


 リョウは、飛びそうになる意識を繋ぎ留めながら全身全霊で言葉を紡ぎ出す。


「子供が大人に守ってもらいたいって思うのは当たり前のことなんだ……悪い子じゃないし、ずるい子でもないっ。お前は普通の子だ。何処にでもいる普通の子供なんだよ……」


 この世界に親の理想通りの子供なんかいない。親の役目は、その子がその子らしく幸せに生きられるように導くことで、親の望み通りの人生を歩ませることじゃない。

 そんな当たり前のことに、ようやくリョウは気が付けた。

 ニーナの人生は始まったばかりだ。こんなところで終わらせるわけにはいかない。命にかけても子供の未来を守る。そのために動かなければならない。

 それがニーナの父親としての責務だ。


「メリル……まだ勝負は終わってねぇ! ニーナ逃げろ……俺が時間を稼ぐ……」

「無理なの分かる。いいから寝てて」


 ニーナは、リョウの腕の中からすり抜け、右手でリョウの傷口をバンッ! と叩いた。

 凄まじい痛みが全身に走り、反射的に傷口を抑えて蹲ってしまった。


「何すんだ……お前……」

「リョウは優しい。死んでほしくないわ。今まで守ってくれたから、わたしが守る」


 ニーナは、ゆっくりと歩いてメリルの前に立った。

 メリルは、歩み寄ってきたニーナの首筋に、剣の切っ先を突きつける。


「メリル、わたしを殺す?」


 メリルは、眉間にしわを寄せて瞼を閉じた。


「……ええ。殺すわ」

「じゃあ、どうして魔獣からわたしを助けたの?」


 ニーナの問いかけに、メリルは瞼を開いた。けれどニーナと視線を合わせることを拒絶するかのように顔を背ける。


「魔獣に食べられるなんて苦しい死に方をさせたくなかったの……せめて最後は安らかに、苦しまないように……出来るだけ綺麗な死に顔で……」

「メリルが殺したら痛くない?」

「……ええ、痛くないようにあなたを殺すわ」


 メリルは、剣の柄を両手で握って上段に構えた。刃が紅の魔力を纏う。

 リョウは、這いずってニーナの元へ行こうとするが、身体が上手く動いてくれない。血を流しすぎたせいか、強烈な寒気とめまいが襲ってくる。

 ニーナは、メリルに殺されることを受け入れているのか、その場から逃げようとしない。

 逃げ出さないニーナに、メリルの浮かべる苦悶の表情は一層色濃くなっていった。


「……ごめんね。あたしのこと恨んでいいからね」

「ううん。うらまない。楽しかった」


 メリルが歯を食いしばる。歯ぎしりの音がリョウの鼓膜を揺らした。


「……あたしのことなんか嫌いでしょ」


 メリルの問いにニーナはしばし沈黙を貫き、やがてこっくりと頷いた。


「……うん。大嫌い」


 ニーナがそう言うと、メリルの頬を涙一筋伝い落ちた。


「ありがとうニーナ。そう言えばあたしが殺しやすくなると思ってそう言ってくれたのよね……あなたと一緒にいてあなたが何考えてるから分かっちゃった……嘘ついてくれてる」


 メリルの指摘に、ニーナははにかんだように微笑んだ。


「……メリル。本当はだいすき」

「分かってるわ」


 メリルの両手が剣の柄を一層強く握りしめた。刃が纏う紅の魔力がさらに激しくなる。


「あたしもニーナが大好きよ」


 紅の剣閃がニーナの首元を振り落とされた――。


「ぐ……うぅ!!」


 メリル振るった剣は、ニーナに触れる寸前で止まっている。翠玉のような緑色の双眸から大粒の涙がボロボロと零れた。


「ぐ……う……出来ないっ! 殺せない!」


 メリルは、剣を地面に投げ捨ててニーナを抱きしめた。呆気に取られたニーナを抱きしめてメリルは泣きじゃくっている。その姿は、我が子に詫びる母親そのものであった。


「ごめんねニーナッ!!」


 メリルは、力強くニーナを抱きしめながらニーナの柔らかい頬に頬ずりをする。


「怖い思いをさせてごめんなさいっ!! 本当にごめん!」


 目を細めたニーナは、メリルに抱きしめられながらメリルの頭をそっと撫でた。


「怖くないわ。メリル優しい。リョウも優しい。二人ともだいすき」

「あたしもニーナが大好き! だから……殺せないっ……殺せないよ!!」


 ニーナを抱きしめたままメリルがリョウを一瞥した。メリルからは先程まで溢れていた殺意や敵意がすっかり抜け落ちているように見えた。


「リョウ痛いでしょう。本当にごめんなさい」

「痛いで済むか……ほとんど致命傷だ、致命傷」


 リョウはやっとの思いで上体を起こし、懐から緑色の煙草を取り出してくわえた。火を点けると緑色の煙が出てくる。肺一杯に煙を吸い込むと、煙草が一気に燃え尽きた。

 さわやかで甘い風味の煙と共に多量の魔力が流れ込み、全身に浸透していった。

 治癒魔術を施した特別製の煙草だ。以前、ルギタニア式を開発する際、魔力封入用素材として試作したものである。戦場にも持っていき、生徒の傷の応急処置のためにも使った。

 だが非常に高コストで量産が難しく、今残っているのはこれ一本きりだ。

 煙を吸っている内に、メリルから受けた傷の出血が止まった。傷口も塞がり、痛みも徐々に薄らいでくる。なんとか動ける状態まで回復し、小銃を支えにして立ち上がった。


「さぁ……家に帰って飯でも食うか。今日はお前が作れよメリル」


 メリルは、抱きしめていたニーナを放して、小さな手を右手で握り締めた。


「……ええ。飛び切り美味しいレバー料理を作るわよ」

「なんでレバー……」

「たくさん出血したでしょ。血を補給しなくちゃ。ニーナも手伝ってくれる?」

「ん」


 ニーナは、微笑みながら頷いた。

 これで一件落着した、わけではない。敵が一人残っている。

 リョウは、小銃に弾丸を装填しつつシャーロットを確認した。動く気配はない。だが死んでいないのはたしかだ。空間魔術を解除するならいいが、そのつもりがないのなら殺すしかない。

 リョウは「場合によってはシャーロットを倒すぞ?」と確認の意を込めてメリルに目配せをする。だがメリルは、首を横に振って地面に落ちていた剣を左手で拾い上げた。


「リョウ。シャーロットはニーナのお姉さんなの」

「なにッ!?」


 想定していなかった事態にめまいがする。本当のことなのかと、リョウは一瞬疑った。

 しかしメリルがニーナに対して、そんな嘘をつくはずがない。どんなに信じがたくてもこれが真実なのだ。

 メリルは、ニーナの頭を撫でながらじっと目を見つめた。


「シャーロットは、世界でたった一人のニーナの血の繋がった家族なの」


 ニーナは、地面に横たわるシャーロットに顔を向けて赤い瞳を揺らしていた。


「あの人が……わたしの家族?」


 世界でたった一人きりだと思っていたのに、血の繋がった家族が見つかった。

 どんなに夢見ていたことか。どんなに嬉しいことだろうか。

 リョウも孤児だから気持ちは分かる。メリルも孤児だからきっと理解している。

 しかしメリルは、ニーナと繋いだ手を放さなかった。

 本当の家族との出会いを祝福したいがメリルも気づいているのだ。横たわるシャーロットから感じるのは家族と再会した喜びではない。もっと別のどす黒い感情である。

 リョウは、小銃の引き陰に人差し指をかけた瞬間、地面から砂塵を巻き上げて光の触手が十本飛び出した。触手がリョウとメリル、そしてニーナを狙って突っ込んでくる。

 リョウは、倦怠感と脱力感を押し殺して後方へ飛び、触手から逃れる。

 メリルとニーナを横目で確認すると、メリルがニーナを抱きかかえてバックステップ。触手を避けていた。

 メリルは着地と同時にリョウに駆け寄り、抱えていたニーナを渡してくる。


「あたしが止めるから、あなたはニーナをお願い!」


 竜騎砲の直撃を受けたメリルもかなりの重傷だ。おまけに仲間と戦うのはメリルの性格を考えると苦痛なはず。出来れば変わってやりたいが、空間魔術の中にいるシャーロットは、万全のリョウでも歯が立たない相手だ。今の状態では足手まといにしかならない。

 リョウは、左手で小銃を持ち、右手でしっかりとニーナを抱えた。


「メリル頼むぞ」


 リョウは、ニーナを抱えてシャーロットの様子を窺いつつ走った。

 一方メリルは、右手で剣を持ち直してシャーロットへ真正面からの突撃を敢行する。

 急接近するメリルにシャーロットの繰り出す光の触手が次々に襲い掛かった。触手を躱し、剣で打ち落とし、メリルはシャーロットとの距離を詰めていく。

 シャーロットも手負いの状態故か、触手攻撃の精度が落ちているようだ。


「シャーロット! やめて! ニーナを殺す必要なんてない!」


 あと一歩踏み込めば剣が届く間合いまでメリルが接近した。


「家族のあなたがこんなことしないで!」


 剣を振るい上げた瞬間、メリルの右手の周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。その刹那、メリルの右手が赤く染まる。指はあらぬ方向に折れ曲がり、皮と肉は裂けてズタズタだ。


「ぐうっ!?」


 メリルの悲鳴と共に、ぐちゅり、と肉の潰れる不快な音が響き渡る。

 捻り潰された右手から剣を落としたメリルは、その場に膝をついた。


「メリル!」


 リョウが小銃を構えてシャーロットを狙うと、背後から殺気を感じる。振り返ると光の触手が眼前に迫っていた。回避しようとするが、意識に反して肉体の可動が遅れる。出血のせいで思うように動けない。触手は鞭のようにしなり、リョウの左脇腹を打ち据えた。


「がはっ!?」


 凄まじい衝撃が全身を駆け巡る。雷に打たれたかのように身体が硬直してしまって動けない。その間に触手は、ニーナを絡め取ってリョウの腕から奪い去った。


「リョウ!」


 ニーナを縛った触手は、シャーロットを目指して伸びている。ニーナをシャーロットの元に運ぶつもりのようだ。


「ぐっ……ニーナ!!」


 絶対にニーナを助ける。その信念を糧に魂を奮い立たせ、傷ついた肉体を強引に動かしてリョウは立ち上がった。かすむ眼を擦りながらシャーロットに照準を合わせる。触手を撃ち落としても次の触手が出てくるだけで意味はない。狙うなら術者だ。

 ニーナの姉を殺したくない。彼女がニーナと一緒に幸せに暮らすことを望んでいるのならこのまま見逃す。だが嫌な予感がする。恐らくシャーロットの望みは、それではない。

 リョウがトリガーに指をかけると、足元から害意を感じた。前方に転がりながらその場を逃れると、白い魔力が爆ぜて赤黒い空を突くように爆風が立ち上った。山をも吹き飛ばせるであろう爆圧が直撃せずともリョウの肉体にダメージを刻み付ける。


「ぐぅぅぅッ!! く、くそったれぇ!!」


 悪態をつきながら己を鼓舞して、リョウは走り出した。触手に爆発、足を止めればいずれかの餌食になる。小銃を構えてシャーロットに走り寄りながら彼女を狙う。


「食らえっ!!」


 トリガーを三度引き、誘導弾を連射する。地面から無数に伸びる触手が誘導弾を迎撃しようと振り下ろされた。触手が弾頭を打ち落とす寸前、多重構築で施した散弾魔術によって誘導弾は散弾へ分裂、触手の迎撃を回避した。

 三十を超える誘導弾がシャーロットに襲い掛かると、彼女の背後の空間が歪んだ。そこから百を超える糸のように細い光の触手が飛び出し、誘導弾が一発残らず叩き落される。

 シャーロットは、ほくそ笑みながら光の触手の一本を愛でるように撫でた。


「さすがルギタニア伝説の英雄、魔術師工場。指導者としてだけじゃなく魔術師としても相当の力量があるね」

「余裕こいてんじゃねぇ! この触手野郎ッ!!」


 誘導弾がダメなら素早い魔術で一気に射貫く。リョウが貫通弾の魔術を右手の人差し指に構築すると、周囲の地面から触手が次々と飛び出して襲ってくる。

 凄まじい連撃にリョウは回避で精一杯だ。とてもシャーロットに攻撃を加える隙がない。

 おまけにニーナを拘束している触手がシャーロットの元に辿り着いた。

 このままだとニーナが――。リョウの焦燥が頂点に達した時、紅の輝きが翻った。


「シャーロット!」


 メリルが左手一本で紅を纏った剣を振るい、シャーロットに切りかかった。鋭い斬撃をシャーロットの背中の空間から延びる細い光の触手が受け止める。魔力同士の衝突で火花が激しく散った。剣を防ぐシャーロットは尚も余裕を崩さず、皮肉っぽく笑んでいる。


「さすがの紅も空間ごと圧縮されたら防御出来ないか。でも骨折だけで原型留めるとかすごいね。手首から先で肉のスープ作るつもりだったのに」

「なるほど……あたしの右手に仕込んだ空間魔術は……このためね」

「そ。この空間の構築が出来なかったっていうのは嘘。あんたは私と敵対すると思ったからね。その保険なんだ」


 メリルとシャーロットの鍔迫り合いが続いている。しかし形勢は、片手しか使えないメリルの不利だ。リョウも加勢したいが、触手の攻撃が激しすぎて援護する間がない。


「二人ともいい加減うっとうしいな。そろそろ死んでくれない?」


 シャーロットが指を鳴らすと、背中の空間からさらに無数の触手が現れ、メリルの身体を一斉に貫いた。


「ごふっ! あ……がッ……」


 メリルが口から血を噴き出し、シャーロットの前に跪くかのように両膝をついた。


「メリル!」


 メリルに気を取られた瞬間、リョウの全身を無数の触手が打ち据え、地面に叩き伏せられた。全身の骨がメキメキと軋みを上げている。指先を動かした刺激だけで骨格が粉々に砕けてしまいそうだ。意識はあるが、神経が寸断されたかのように肉体が動かない。

 リョウを嘲笑うように笑うシャーロットは、触手からニーナを受け取って抱きしめた。


「はなして!」


 シャーロットの腕の中でニーナは暴れているが、シャーロットは意にも介していない。

 身体強化魔術の練度が違い、逃れられないのだ。

 それでも何とか逃げようとしてニーナは、もがき続けている。


「おまえなんか家族じゃない!」

「そんなこと言わないでよ。私は……ううん。私たちは、あんたの家族だよ」

「ちがうっ! わたしの家族はリョウとメリル!! おまえはちがう! 二人みたいに優しくない! こわいかんじしかしない! おまえなんか家族じゃない!」

「苦労したんだよ、ここ作るの。ここは処刑場じゃない。あんたのために作った儀式場」


 シャーロットは、左腕だけでニーナを抱きしめ、自身の右手首に噛みついた。傷口からじゅるりじゅるりと血を吸い上げる。口を開けると血とよだれが混ざりあい、糸を引いた。

 シャーロットが右手でニーナの顎を鷲掴みにする。強引に口をこじ開けると、シャーロットの舌先で魔術構築の気配がした。すると口内の血が生き物のように飛び出し、ニーナの口に飛び込んだ。


「むぐぅっ!?」


 ニーナは、えずいたり首を振ったりして吐き出そうとしているが、一向に血の塊は出てこない。抵抗するニーナの口と鼻をシャーロットは右手で覆った。


「さぁ飲んでニーナ。大丈夫、怖くない」


 呼吸を塞がれたニーナは観念したかのように、ごきゅりと小さな喉を鳴らした。


「覚醒の時だよ」


 シャーロットは、満面の笑みを浮かべてニーナを解放して地面に下ろした。


「あ……あっ……あっ……」


 苦悶の声を上げながらニーナは、制服の上から胸をかきむしっている。やがて小さな身体が重力の枷から解き放たれたかのように、ふわりと宙に浮かんだ。


「あああああああああああッ!!」


 悲鳴を上げるニーナの赤い瞳が禍々しい光を宿した。右目の虹彩を囲うように幾何学模様の文様が刻み込まれる。背中からは白い光が滲み出し、右目と同じ文様を浮かべながら四方八方へ広がっていく。その様相はまるで、光の翼のようであった。

 ニーナを助けに行かねばならないのに、リョウの身体はぴくりとも動かなかった。

 一方でメリルは、潰された右手を抑えながらシャーロットを睨みつけている。


「あの子に……何をッ!?」

「メリル。ニーナはアポカリプス・ドーターじゃないって言ったよね。あれは本当なの」


 シャーロットは、勝ち誇ったように笑みを浮かべた。


「アポカリプス・ドーターは私」

「えっ!?」


 想定していなかったであろう仲間の正体に、メリルは動揺を露わにしていた。

 確かにシャーロットは、ワイズ帝国人なのに、オレンジ色の髪と薄緑色の瞳だ。身体の色素が薄くなるアポカリプス・ドーターの特徴と当てはまる。


「あなたがっ……アポカリプス……ドーター? じゃあジェイル博士やあなたの母親も?」

「そう、旧神の王の血を引くアポカリプスの幹部だった。だからチャンスだったんだ。皇帝から五型特生兵器の開発を命じられたのは」

「まさか旧神の王の……骨……それがあなたたち家族の手に?」

「そういうこと。貴重な王の骨を自爆兵器に使うなんて愚かなことは、父さんはしなかった。王の再来を果たすために使うことにしたの。そして検査の結果、王の骨の移植に耐えられるのは、ニーナだけだった」


 シャーロットが宙に浮かぶニーナを見て微笑んだ。だが妹への愛情は微塵も感じない。


「この子の役目は王の骨を宿す器……王の肉になること。でもニーナは、家族で一番王の血が薄かった。だから父さんは考えた。家族全員の血を濃縮して一人に移植することで王の血を極限まで濃くすることを。生前の王の血に匹敵するぐらいね」

「全員分って……まさかあなたの家族はっ!?」

「そう、無理心中なんて嘘。家族全員の血を使って濃縮王血を作るためだったの。全員望んでやったこと。そしてみんなの血と魂は、私の中を流れてる。アポカリプス・ドーターの私がこの役目を与えられた。私の命は一つじゃない。みんなが私の中にいるんだよ」


 シャーロットが急所を全て撃ち抜かれても死ななかった理由が分かった。彼女はとっくに人間の領域にはいない。旧神になりかけているのだ。


「メリル。あんたがクッキーを食べさせてくれると楽だったんだけどね」


 昨日ニーナは、メリルにクッキーを食べようとしたらぶたれたと言っていた。そのクッキーにシャーロットの血と魔術が練り込まれていたのだろう。


「これで旧神の王の骨っ! ニーナという肉! 私という血が揃ったっ!! 失われた旧神の王の力が再び解放される……父さん!! 母さん! みんな!」


 歓喜の笑みを浮かべたシャーロットは、赤黒い空を見上げて涙を流した。


「私やったよ! みんなの願い叶えたよ! みんなの夢を受け継いだよ! 私たちの祖先マリディアの願いが叶うんだよ!」


 シャーロットは、右手を手刀の形にして、自身の左胸にずぶりと刺し込んだ。


「これが私の役目!!」


 シャーロットが自らの心臓を体外に抉り出し、握り潰した。それと同時に肉体は瞬く間に崩壊していき、黒い液体へと変化していく。


「これで家族が一つになる……私は、このために生まれて……来た――」


 シャーロットから生じた黒い液体は、宙を漂いながら空に浮かぶニーナの元へ行く。

 ニーナの胸元に黒い液体が集まると、やがてそれは固体となり、表面が煮えたように泡立つ黒い肉塊となった。肉塊は脈を打つように規則的に鼓動している。まるで心臓のようだ。

 肉塊の表面の泡の一つ一つが人間の顔のように見え、それぞれの顔立ちが違う。血を濃くするために犠牲になった者たちの顔が泡となって生じているかのようだ。

 背中に展開された白い紋章が結晶と同じ黒に染め上げられていく。

 このままではニーナがニーナではなくなってしまう。リョウは、歯を食いしばって肉体を鼓舞する。ここで命が終わってもいい。ニーナのためなら全てを失っていい。その代わりにニーナの心は失わせない。リョウは、小銃を支えにして、震える両足で立ち上がった。


「ニーナ! 戻ってこい!!」

「お願いニーナ! 旧神の王になんか負けないで!」


 メリルも苦悶の表情を浮かべながら立ち上がり、宙に浮かぶニーナへ叫んだ。

 空に浮かびながらニーナは、地上にいるリョウとメリルを見下ろしている。


「リョウ……メリル……」


 ニーナは、ニッコリと微笑んだ。だけどその笑顔は、とても空っぽに見えた。


「わたしを……殺して」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る