第26話『リョウ対メリル』
赤黒い空と地平線まで続く砂漠に、リョウは銃剣付きの小銃を構えて立っていた。
小銃で狙う先にニーナとシャーロットがいた。ニーナは呆然とした顔でリョウを見ており、シャーロットは血だまりの中に倒れ伏している。
リョウは、腰のベルトに取り付けた弾薬ポーチから魔力封入弾十発がはめられた金属製クリップを取り出した。小銃にクリップを装填してシャーロットに銃口を向けつつニーナに近づく。
「ニーナ! 大丈夫か!?」
「……なんで?」
ニーナは呆気に取られた顔をしている。あれだけ叱った直後に、助けに来たのが信じられないのだろう。
たしかにこれからニーナとどう接していけばいいか、答えは出ていない。ニーナの力を危険に思っているのも事実だ。だけどニーナを守る責任を放棄するつもりはない。
リョウは、小銃でシャーロットを狙いつつニーナを一瞥して微笑んだ。
「お前を守るのが俺の役目だ」
「……わたしのこと嫌いでも?」
「お前のことが嫌いなわけじゃねぇんだ。悪かったな。あんな風な怒り方して」
「……悪いのはわたし……」
感情に任せて怒鳴ったのは失態だった。大人として恥ずべき行為だった。あの時は混乱してしまってどうすればいいか分からなくなったのだ。
しかし今は釈明をしている場合ではない。敵の始末が最優先だ。
リョウは、トリガーにかけた人差し指に魔術を構築した。
「ニーナ、あとでちゃんと話そう。今はこいつを始末する」
シャーロットの身体には十箇所、弾痕が穿たれている。側頭部に三発。心臓を含めた胴体の各急所に七発。間違いなく弾痕がある。普通であれば致命傷だ。
しかしシャーロットのか細い呼吸音をリョウは聞き逃さなかった。
「起きろよシャーロット。また趣味の悪い詠唱ダンス見せてくれや」
リョウが皮肉っぽく笑むと、地面に横たわるシャーロットが薄緑色の瞳で睨んできた。
「気づいてたんだ……私の魔術構築……」
「隠ぺいも完璧で見事だったが、てめぇを一目見て分かった。紛れもない達人だってな」
強者とは特有の気配がある。例えるなら研ぎ澄まされた刃だ。触れたらただではすまないと、立ち姿だけで相手に直感させる。シャーロットはうまくごまかしていたが、それでも達人特有の気配がわずかに香っていた。だからリョウは、こうして対抗策を打ったのだ。
「お前ほどじゃねぇが、この国にも腕のいい空間魔術師がいるんでね。ニーナが空間に引きずり込まれた時、俺も引きずり込まれるようにさせてもらったぜ」
空間魔術から脱出するには術者であるシャーロットを殺すしかないが、この空間でのシャーロットはリョウが足元にも及ばないほどに強い。彼女を倒すには、不意を打つ以外の手はリョウにはなかった。それ故、シャーロットがニーナに攻撃する瞬間を狙ったのだ。
実際、奇襲自体は成功した。ここまでは作戦通りである。
けれどシャーロットのタフネスは、リョウの想定を上回っていた。いや、もはやタフだとかそういう次元じゃない。急所を撃ち抜かれて生きているのは人間ではない。
嫌な予感がする。一刻も早くとどめを刺さなくてはならない。だがどうしても聞きたいことがあった。リョウは銃口でシャーロットの額を狙い、トリガーに軽く指をかけた。
「殺す前に聞く。何故キャシーを殺した? どうしてキャシーを利用してメリルを消そうとした? キャシーはメリルの詳しい情報を持っていた。お前が教えたんだろ?」
「……鋭いね……メリルが裏切ってるかどうか確かめたくてね。あの子は優しいからさ」
「……そうか。結果はどうだった?」
「すぐに分かるよ」
シャーロットが微笑む。それと同時に、リョウは頭上から魔力の気配を感じた。赤黒い空を見上げると中空の空間が歪んで黒い穴が生じ、そこからメリルが姿を現した。
メリルは、リョウとシャーロットの間に着地し、直剣の切っ先をリョウに向けてくる。
「シャーロット。あとはあたしがやるわ。あなたは休んでて」
「そうさせてもらうよ……紅」
リョウは、小銃を構えてメリルを狙う。最初に戦った時と違ってこちらも万全の状態だ。
しかしリョウとメリルの戦力差は大きい。正面から戦ったら十回に一回勝てるかどうかだ。この場に仲間がいないのは痛い。
バージスが手配した魔術師が空間魔術を改竄した際、シャーロットの高度すぎる魔術構築のせいでリョウ一人が入れるようにしか改竄出来なかった。
しかもこの空間内では、リョウの召喚魔術は全く機能していない。引きずり込まれる直前、小銃と持てるだけの弾丸を召喚したが、いざという時、補給が出来ないのは痛い。
それでもニーナを守るために戦うしかない。
リョウは自身の体内に意識を集中させる。ニーナの施した契約魔術の構築は完全に破綻し、消滅していた。
メリルも同様の状態であろう。つまり本気で殺し合える。
「リョウ……メリル……」
リョウとメリルの殺意を感じたのか、ニーナが不安げな声を上げる。また契約魔術でリョウとメリルを縛ろうとするかもしれない。そうなると不利になるのはリョウだ。
「ニーナ、絶対に契約魔術は使うなよ。俺とメリルが殺し合えなくなって得するのはシャーロットだ。俺もお前も殺されるぞ」
「で、でも……」
メリルは剣を両手で握り、腰を落として下段に構えた。
「ニーナ。あたしの邪魔をしないで。今度はあなたの契約魔術は食らわない。魔術を起動しようとした時点であなたを殺すわ」
「ニーナ。俺たちがその気になったらお前の魔術は食らわない。援護もいらねぇ」
正直に言えばニーナの援護が欲しい状況だ。無尽蔵の魔力にものを言わせて魔術を連射してくれれば相当助かる。だがニーナにメリルと戦う苦痛を与えることは出来ない。
リョウ一人で格上のメリルを相手にしつつ、シャーロットにも気を配らねばならない。
実質的な二対一。ならまずは頭数を減らす。
地面に横たわるシャーロットを狙い、リョウはトリガーに指をかけた。その刹那、メリルがリョウの懐へ飛び込んできた。速すぎてトリガーを引く間がない。
銃床を薙ぐように振るい、メリルの顔面を狙った。並の使い手であれば直撃不可避の一撃をメリルは剣を翻して受け止める。渾身の一撃に、表情一つ変えていない。この間合いでは分が悪すぎる。接近しすぎて小銃の銃身の長さが仇になり、メリルを狙えない。
人差し指に構築した魔術構築を改竄し、トリガーを引いた。銃口から飛び出した魔力封入弾は白い閃光に姿を変えて一帯を照らす。
間を置かずに一歩下がって銃剣を横一閃。しかし手に伝わるのは空を切る感触のみだ。
メリルは、銃剣の間合いのぎりぎり外まで後退していた。距離が離れた好機を逃すわけにはいかない。トリガーを連続で引き、銃口から青白い発射炎と共に魔弾が放たれた。
亜光速の領域で飛翔する貫通弾をメリルは稲妻のような軌跡を描いて大半を回避。どうしても避け切れない貫通弾のみ刃で弾き落して突っ込んでくる。
メリルの剣速や走る速度は、亜光速よりもはるかに遅い。だが熟練した魔術師は、光速にも先読みで対処可能だ。リョウの魔術が躱されるのは、メリルがリョウの思考を読み切っている証である。
接近を阻もうと貫通弾を連続で放つが、メリルを掠めることすら出来ず、あるものは空を切り、あるものは地面の砂に着弾した。最後の十発目の貫通弾を放ち終えると ピィーンッ! と甲高い金属音を鳴らして小銃から薬莢と共にクリップが排出される。
腰の弾薬ポーチに左手を伸ばす間に、メリルの剣がリョウを射程に収めた。
メリルが剣を振り上げた瞬間、リョウはメリルに弾かれたり、避けられて地面に埋まった全ての貫通弾に意識を送る。地面と空中で一切に青く細い無数の光が花開いた。
全ての貫通弾にリョウは、多重構築を施していた。
背後から迫る誘導弾の軍勢にメリルの意識がリョウから逸れた。すかさずリョウは、メリルの右肩を狙って銃剣を突き出す。しかしメリルは上半身を翻して銃剣を回避、後方へ飛んだ。その直後、メリルの立っていた地面を数百の魔弾が食い荒らす。
リョウは、クリップを再装填。今度は通常構築の誘導弾を撃ち放つ。先程の三重構築誘導弾よりはるかに高い誘導性・精密動作性・速度の弾頭がメリルへ襲い掛かる。
これに対してメリルは足を止めてどっしりと構えた。漆黒の刃を紅の魔力の輝きが染めて薙ぎ払らわれる。剣の動きに合わせて紅の魔力の波動が放たれて誘導弾を撃ち据えた。
直撃を受けた誘導弾は、まるで蚊蜻蛉をあしらうかのように砕かれて霧散した。
点での攻撃ではメリルに防がれる。リョウは、人差し指に散弾の魔術を構築。トリガーを絞った。銃口から飛び出した九粒の魔力散弾をメリルは右方向へ飛んで逃れた。
やはりこの数を剣で防ぐのは難しいようだ。しかも散弾故に大きく動いて避けなければならない。必然的に動作が大きくなり、そこに隙が生じるはずだ。
リョウが次弾を放つ直前、メリルの剣が紅の力場に包まれた。
何か仕掛けてくるとリョウは直感する。先手を取るべく散弾を撃つと、メリルは剣を振るい上げた。紅の力場の軌跡が描かれる様は、燃え盛る炎を剣に纏ったかのようだ。
散弾が直撃する寸前、紅の軌跡がメリルを覆い隠した。散弾は紅の軌跡と衝突、砕け散って青白い光の粒子となる。高圧縮の魔力から生じる紅の軌跡は、さながら強固な城壁だ。
剣に紅を纏ったままメリルが地面を蹴った。
迎撃すべくリョウは散弾を発砲するも、剣の振りに合わせて発生する紅の軌跡によって全て防がれている。紅を全身に纏って躍動する姿は、ベールを纏った踊り子のようだ。
散弾の連射でもメリルの接近を押し留められない。剣を届く間合いまであと三歩。リョウはトリガーを引き、銃口の先端に巨大な魔力の剣を形成する。
「巨人の短剣!」
リョウは、メリル目掛けて巨人の短剣を振るい落とした。
対するメリルは、紅の輝きを一層増した剣でリョウの一撃を迎え撃つ。
青白い魔力刃と紅の刃がぶつかり合い、紫色の火花を散らした。どちらも魔力を極限まで圧縮したことで生み出された刃だ。より精度の高いほうが勝利する。
「はっ!」
メリルが一声を放ちながら紅の刃を薙ぎ払うと、巨人の短剣の刃が中程で切断される。
ブラッドトゥースを切り裂いた魔術をいとも簡単に破壊せしめた。驚嘆の感情を抱く間もなく、メリルの剣が襲い掛かる。咄嗟に銃剣の刃で受けると、銃剣に亀裂が走った。
「ぐっ!?」
「はああああッ!!」
メリルが雄叫びと共に繰り出す嵐のような連撃を防御する度、銃剣の刃が欠け、押し潰される。防御に徹して懸命に凌ぐも、上段からの打ち下ろしを受け止めた瞬間、銃剣が根元からへし折られた。
接近戦での武器を失った。この好機を逃さずにメリルは、剣を振り上げつつ大きく一歩踏み込んでくる――この瞬間をリョウは待っていた。
踏み込みと合わせてバックステップし、メリルの左胸に銃口を向けてトリガーに指をかける。魔力封入弾に多重構築を施してリョウは、トリガーを引いた。
撃ち出されたのは貫通弾だ。亜光速弾頭を手を伸ばせば届く距離で発砲。普通であれば躱せない。しかしメリルは、トリガーを引くより速く左胸を剣でガードしていた。
リョウの攻撃を読み切った上での防御の選択。リョウは、この行動を待ち望んでいた。
貫通弾が剣の刃に阻まれて砕け散る、それと同時に青白い煙幕をまき散らした。
煙幕で視界が塞がれた中、リョウはトリガーを絞って最後の一発を発射する。クリップの射出と同時に銃口から細く鋭い光が踊り出し、煙幕を吹き飛ばしながらメリルを襲った。
「
魔力剣の刺突をメリルは紅に輝く剣の腹で受け止めた。しかし伸長の強烈な勢いは受け止めきれず、巨人の細剣の切っ先を剣で防ぎながら大きく後退した。
巨人の細剣は、約十メートルの刃渡りを持つ魔術剣で敵を刺し貫く中距離魔術だ。魔力を一点集中したその威力は、リョウの扱う魔術では最強の貫通力を誇る。
しかしメリルの魔力を付与された剣は、巨人の細剣でも貫けない。
ここまでは想定内、リョウの目的はメリルとの距離を離すことだ。
細剣が伸び切ると同時に弾丸を装填。リョウは、自らメリルの懐に飛び込んだ。メリルは戸惑いを露わにしている。遠距離戦を徹底していたリョウの選択に驚いたのだろう。
紅と称された伝説の英雄に生じた極小の隙。リョウはセレクターレバーを操作して小銃をフルオートに切り替えると、トリガーを引きながらメリル目掛けて振り落とした。
「
クリップの排出と共に十発の魔弾が一斉に放たれて青い爆炎を生み出した。凄まじい爆圧はさしものメリルも受け止めきれないのか、体勢を崩して吹き飛ばされる。
リョウは、弾丸を再装填。トリガーをぎゅっと引き絞り、九発分の魔力封入弾を連射して指を放した。魔弾は飛ぶことなく銃口に留まり、極大の魔力球を形成する。
「
最後に残った一発を撃つと、青白い光の奔流がクリップの排出を合図に放たれた。渾身の魔力を込めたこの一撃は山脈をも消滅させる、リョウにとっての最大火力だ。
竜騎砲の光が吹き飛ばされているメリルを飲み込む。受け身も取れず、防御も間に合わない。いかにメリルでもこの一撃には耐えられないはずだ。
そんなリョウの確信を打ち砕くように、紅の光が竜騎砲の青い輝きを打ち払うように迸った。光の砲撃を内側から切り裂きながら紅の光が接近してくる。
このままでは押し切られる。リョウがクリップを装填しようとした瞬間、紅の光が竜騎砲の魔力を吹き飛ばした。
眼前で血塗れのメリルが紅に輝く剣を振り上げている。ダメージの色は濃いが、目の輝きは死んでいない。弾丸を装填して迎え撃とうとした瞬間、リョウの左肩に熱が走った。
「ぐっ!?」
回避の間もなく紅の剣閃が左肩から右脇腹まで駆け巡り、鮮血がリョウの視界を埋め尽くした。血と一緒に全身から急速に力が抜けていく。立っていれず、たまらず両膝をつくと、メリルの剣が跪いたリョウの首筋にあてがわれた。
「強いわねリョウ……本当に強かった……」
最大火力を真正面から打ち破られ、銃剣も折れて、小銃には弾丸が装填されていない。
もはや打つ手はない。完全敗北だ。リョウがメリルを見上げると、彼女は剣を振り上げた。両手で柄をぎゅっと握り締める音がリョウの耳に届いた。
「リョウ……さようなら」
切なそうな声で呟き、メリルが剣を振り下ろそうとする。
その直後、両手を広げたニーナがリョウとメリルの間に割って入ってきた。
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