第五章『家族』
第23話『魔術競技大会』
ルギタニア魔術学院・魔術競技大会。普段関係者以外立ち入り禁止の学院も、この日だけは殆どの施設が一般に開放される。
昼下がりのルギタニア魔術学院は、既に大勢の人でごった返していた。
様々な出店が学院の敷地のいたる所に出店しており、賑わいを見せている。
特に人と出店が多いのは、学院の東側にある円形競技場だ。一万人を収容可能な観客席は満席である。競技の開始を待ち望んでいる観客の熱気が競技場全体を支配していた。
座席のチケットは毎年二百倍の倍率を誇る狭き門であり、ここにいる観客は全員幸運に恵まれた者たちだ。
競技場の中央にはアリーナがあり、それを囲うように教員用の特等席が設置されている。
リョウは、帽子をかぶったメリルとバージスに挟まれ、特等席の最前列に座っていた。
メリルの競技大会参加は、ワイズ帝国人が参加すると不快に思う観客がいるだろうと一部の教師が主張したことで見送られた。
しかしニーナがメリルに競技している姿を見てもらいたいと主張したため、リョウはバージスに直訴。メリルは髪を隠すことを条件に、特等席に座ることが認められた。
メリルからすれば屈辱的な扱いに違いない。しかし彼女は、文句の一つも言わずに学院側の提案を受け入れた。最後に、どうしてもニーナの晴れ姿を見たかったのだろう。
リョウがメリルから視線をアリーナに映すと、右隣に座っていたバージスがアリーナに向かって歩いていく。彼はアリーナの中央に立ち、右手にマイクを召喚して左拳を掲げた。
「みんなノってるかのう!」
『うわあああああああああああああああ!』
観客席から歓声が豪雨の様にアリーナに降り注いだ。適当なことを言ってるだけなのに観客が乗ってくれるのが気持ちいいのか、バージスは恍惚としている。
「それではこれよりルギタニア魔術学院・魔術競技大会を開催する!」
嵐のような歓声を浴びながらバージスは、アリーナの西側にある選手入場口を指差した。
「まずは初等科からだのう!」
選手入場口から初等科の生徒たちが緊張した面持ちでアリーナに入場してくる。幼い子供たちの初々しくも愛らしい姿に、観客はすっかり魅了されているようだった。
バージスは、初等科の生徒の入場に合わせてリョウの隣の席に帰ってきた。
「学院長、ご苦労様です」
「なんのなんの。これが楽しくて学院長やってるようなもんだのう。目立つの楽しい!」
「ここから目立つのは生徒たちですけどね」
「次のわしの見せ場は、閉会式だのう。楽しみ! 早く競技終わらんかのう!」
「生徒の晴れ姿を楽しめよクソジジイ」
バージスを睨みつけてから、リョウはアリーナに目を向けた。
基本的に初等科の競技は、お遊戯会のニュアンスが強い。初等科が使用する練習用の模擬小銃による射撃。身体強化魔術を用いた徒競走。幻影魔術を使った仮装大会などだ。
初等科の生徒の一生懸命な姿を観客たちが微笑ましげな表情で見つめている。初等科の生徒たちの親と思しき観客は、カメラ片手に子供たちの一挙手一投足に歓喜していた。
和気あいあいとした空気のまま初等科の競技が終わり、続いて中等科の生徒たちがアリーナに入場してくる。
中等科の競技は、初等科と比較するとより競技としての色が強く、初等科で行われた競技の他に決闘も種目として入ってくる。
まだまだ未熟ながらも活力に溢れる魔術師たちが行う決闘は、競技大会の目玉だ。中等科の生徒たちが競う姿に、観客席からは絶えず歓声が上がっている。
中等科の競技が終わると、高等科の生徒がアリーナに入場してくる。高等科の競技は、競技大会のメインだ。これを見るために観客たちは倍率二百倍を勝ち抜き、この場にいる。
生徒入場と同時に観客のボルテージは最高潮になった。しかしちらほらと、どよめきの声が聴こえてくる。彼らの困惑の理由はニーナだ。
高等科の生徒の中に、本来初等科に在籍するはずの生徒が混じっているのだ。飛び級制度があるルギタニア魔術学院でも、ニーナほど幼い生徒が高等科に在籍した例は殆どない。
観客からすればどれほどの逸材なのかと、興味を惹かれるのも無理はないだろう。
さすがのニーナも緊張しているようだ。スカートの裾を掴んでもじもじしながら、ちらちらとリョウとメリルを見てくる。
「ニーナがんばれよ!」
「ニーナ! 応援してるわよ!」
リョウとメリルが手を振ると、ニーナは頬を紅潮させて目を背けてしまった。
「ニーナの野郎、珍しく照れてやがる」
「……可愛いわね」
ニーナが出場する契約魔術の競技は、高等科の競技の最初に行われる。
ニーナを入れて合計五名の出場選手を残して、他の生徒はアリーナから退場した。
退場する生徒たちと入れ替わりで、金属製の籠を持った教師が五名アリーナに入場した。
籠の中には灰色のふわふわした毛並みのうさぎが入っている。魔獣ブリッツラビットだ。
リョウの右隣に座るバージス学院長が大きく息を吸い込んでマイクを構えた。
「放て!」
教師たちが五つの籠の扉を開き、アリーナから退場した。
ブリッツラビットは、すぐさま籠から出てきて地面の石畳の匂いを嗅いでいる。
ニーナたち出場選手の生徒は、ブリップラビットにゆっくりと歩み寄っていた。
その様子を見守る観客たちは殆どが声を上げない。契約魔術競技は、地味な魔術なので観客の興奮は冷めてしまうのが常だ。しかし契約魔術は使いこなせば強力な魔術である。魔術に造詣の深い者には人気のある玄人好みの競技だった。
契約魔術競技の第一段階は、アリーナに解き放たれたブリッツラビットとの対話あるいは捕獲だ。契約魔術は相手の同意がなければ成立させるのは難しい。人間であれば身体強化魔術に、契約魔術の防護機能が付与されているし、魔獣も同様の機能を進化の過程で獲得している。
ブリッツラビットも小型ではあるが魔獣だ。通常であれば、いきなり契約魔術を行使するのは不可能であり、契約魔術行使の同意を得なければならない。
どうやってブリッツラビットの同意を得るか。ここが生徒の腕の見せ所だ。
ブリッツラビットは、知能が高くある程度人間の言語を理解可能だ。そのため基本的には対話で説得を試みる場合が多い。実際ニーナ以外の生徒は、野菜や果物を片手にじりじりとブリッツラビットとの距離を詰めている。
一方でブリッツラビットを捕獲して強引に契約魔術に対する同意を取り付けることもある。一見すると野蛮なようにも見えるが、凶暴な魔獣相手であれば力で屈服させた後、契約魔術で縛るのは有効なので、競技大会でも禁止されていない。
ブリッツラビットは臆病な性格なので、捕獲してしまえばほぼ確実に契約魔術の行使に同意をしてくる。もっともこの捕獲が非常に厄介だ。
ニーナは、ブリップラビットを追いかけて走り回っている。だがブリッツラビットとの距離は全く縮まらない。彼らはその名前の通り雷と同じ速度で動くことが出来る。
身体強化魔術の熟練した魔術師ならば捕獲は難しくない。けれどニーナの身体強化は、まだその領域に至っていなかった。
身体強化魔術に求められるのは魔力量よりも魔術構築の練度と魔力操作の技術だ。
まず身体強化魔術で全身の基礎的な身体能力を向上させる。ここまではそこまで難しい技術ではない。だが極めようと思うと、話は別だ。
全身の強化と並行しつつ自分の肉体のどこを強化すればより効果的に身体能力を強化出来るか、これを絶えず意識しながら、その部位に全身強化とは別に身体強化魔術を構築・行使する。例えば殴る時なら肩や腕を強化し、走る場合には足などの部位の強化だ。
全身強化と部位強化を併用するこの方法は連動強化法と呼ばれ、魔術の並列発動の代表例である。高位の魔術師になるには必須の技術であり、リョウとメリルも習得していた。
連動強化法は、天性の魔力量よりも努力と技術に対する熟練度が何よりも重視される。
ニーナは、基礎的な全身の身体強化魔術は行使出来るが、連動強化法は使えない。
さらに身体強化魔術に関して言えば膨大な魔力も宝の持ち腐れだ。あまりに膨大すぎる魔力を身体強化に当てればその分肉体への負担も増してしまう。
ニーナに残された選択肢は、契約魔術の強制行使だけだ。
「ニーナ! 契約魔術だッ!」
リョウが指示を飛ばすと、ニーナがブリッツラビットに右手を向けて契約魔術の構築を始める。掌に赤く光る魔術陣が描かれるも、構築が完成するよりも速くブリッツラビットは射程外に逃れてしまう。魔術構築速度がブリッツラビットの機動力に追いつけていない。
ニーナには、相手の同意なしに契約魔術を成立させる天性の魔力量がある。だからさほど苦労せず契約を結べると考えたが、リョウの予想は大きく外れてしまった。
ニーナの表情に苛立ちと焦りが色濃く滲んでいる。大舞台でリョウとメリルに見守られている緊張のせいか。あるいは観客の前で恥をかきたくない見栄か。
他の生徒たちがブリッツラビットを捕獲し、契約交渉に移行している最中、ニーナは逃げるブリッツラビットに翻弄されるばかりだ。契約魔術の構築も目に見えて乱れている。
「魔術構築が安定してねぇ……ニーナ! 落ち着け! いつもの調子なら大丈夫だ!」
「大丈夫よニーナ! 焦らないで!」
見かねたリョウとメリルが声を上げるも、焦っているのかニーナは契約魔術の構築をやめ、ブリッツラビットを追いかけた。二人の声は、ニーナの耳に届いていないようだ。
ブリッツラビットに弄ばれるニーナとは対照的に、他の生徒たちはブリッツラビットへの餌付けに成功。既に第二段階の契約魔術行使の段階に入っていた。
契約魔術の競技は、契約魔術を最初に成立させた選手の勝利となる。
ニーナの焦燥がどんどんと濃くなっていった。息を切らせて懸命に走っているが、ブリッツラビットとの距離は縮まらない。
リョウが見るに、ブリップラビットはまったく本気を出していない。ニーナとの追いかけっこを楽しんでいる。機動力に差がありすぎるのだ。
今のニーナでは百年追いかけたとして捕まえられない。
それを思い知ったのか、ついにニーナは足を止めてリョウを一瞥してきた。
「ニーナ! 追いかけなくていい! 落ち着いて魔術を構築するんだ! まだ間に合う!」
リョウがアドバイスを送った直後、一人の生徒がブリッツラビットを両手で持って高く掲げた。ブリッツラビットの身体に赤い魔術陣が走り、体内に浸透していく。ブリッツラビットとの契約完了の証だ。
「そこまで!」
リョウの右隣に座るバージスは、マイクに向かって叫んだ。
競技終了の合図とともに客席から拍手と歓声がアリーナに降り注ぐ。
息を切らせたニーナは、がっくり肩を落とした。
「おわっ……ちゃった……」
ニーナがリョウとメリルがいる特等席に顔を向けた。赤い瞳には涙の雫が溜まっている。
以前、リョウとメリルにいいところを見せたいと言っていた。夢が断たれてしまい、ショックなのだろう。
結果は残念だったが、ニーナは一生懸命競技に取り組んでいた。十歳も年上の生徒に混じって競技に参加しただけでも立派なことである。
ニーナを称賛するために、リョウは笑顔を作って椅子から立ち上がった。
「ニーナッ! よくがんばったぞ!」
「ええ! がんばったわね! えらかったわよ!!」
メリルも笑みを浮かべてニーナに手を振っている。だがニーナの表情はどんどん曇っていった。一位になった生徒を睨むように見つめ、悔しそうに唇を強く噛んだ。
「……わたしもっとすごいことできる……」
ぞっとするほど冷たい声で呟くと、ニーナは右手を頭上に掲げた。
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