第24話『ブラッドトゥース』

 ニーナは、空中に右手を掲げながらぽつりと呟いた。


「おいで」


 中空に巨大な魔術陣が形成される。魔術陣の構築を見るに召喚魔術だ。

 嫌な予感が過ぎり、リョウはニーナの元へ行こうと足を踏み出した。それと同時に魔術陣から巨大な影が飛び出し、アリーナに着地する。

 姿を現したのは、巨大な魔獣だ。黒い毛に覆われた巨体は、獅子と犬の中間のような姿である。犬に似た耳が左右に三つずつついており、大きく裂けた口には大型のナイフのような牙がずらりと並んでいる。

 魔獣の正体に気づいた観客たちの顔が強張り、闘技場中に恐怖が伝播していった。


「ブラッドトゥースだッ!!」


 一人の観客から悲鳴が上がったのを合図に、観客たちが一斉に走り出した。一万人の人々が闘技場から逃げ出そうと、もみくちゃになっている。

 混沌とした闘技場でリョウは、ブラッドトゥースではなくニーナを見つめて震えた。


「ニーナのやつ……なんてことをやりやがる」


 通常召喚魔術で一度に召喚出来る物体の重さは、人間の魔力では数十キロが限界だ。しかしブラッドトゥースの体重は五十トンを超える。

 さらに召喚する物の構造が複雑であればあるほど消費する魔力が跳ね上がるのだ。

 武器や弾薬程度あれば召喚は難しくないが、生物の召喚は生物の大小に関わらず人間一人の魔力では不可能とされている。体重五十トンの魔獣召喚は、並の魔術師であれば途方もない人数が力を合わせなければ成し得ない奇跡だ。

 ニーナは、召喚したブラッドトゥースを見上げ、にたりと破顔した。


「おすわり」


 ニーナの指示にブラッドトゥースが大きく口を開いた。ブラッドトゥースは非常に獰猛な魔獣で人間の言うことは絶対に聞かない。このままではニーナが食い殺される。

 リョウとメリルは、それぞれ銃剣付きの小銃と直剣を手元に召喚しつつ、同時に特等席を飛び出した。二人がニーナとブラッドトゥースの間に立つと、ブラッドトゥースの全身を赤黒い電流が迸る。


「ギギギャアアアアアア!」


 ガラスをひっかく音のような不快な咆哮を上げてブラッドトゥ―スは、その場に腰を落とした。まさに犬がお座りをするような格好である。

 赤黒い電流による戒め。契約魔術が施されている証だ。ブラッドトゥース相手に契約魔術を成立させるとはニーナの魔力はやはり規格外である。

 問題は、ブラッドトゥースにいつ頃、契約魔術を行使したのかだ。召喚した後、契約魔術を行使したわけではない。これは明らかである。

 つまりニーナは、競技大会より前にブラッドトゥースに契約魔術を施したことになる。

 ではいつ頃契約魔術を施したのか?

 リョウとニーナは、知り合ってからずっと一緒にいた。そんなことをする暇はないはず。


 だが思い当たることはある。ニーナと初めて会った日、バージスが言っていた。ニーナが魔獣の生息地アガイスの森に行ったことがあると。

 ルギタニア中の魔獣を集めて隔離したあそこには、ブラッドトゥースも生息している。

 ニーナが契約魔術をブラッドトゥースに行使したのは、リョウとメリルに契約魔術を行使する前しかない。だとしたらすでにブラッドトゥースの契約魔術は切れかけている。


「ニーナ! 今すぐその魔獣を元いた場所に送り返せ!」


 リョウが叫ぶと同時に、ブラッドトゥースを蝕んでいた赤黒い電流が消え失せた。その瞬間、鮮血で塗ったような真っ赤な瞳がニーナの姿を映した。


「ギギギャアアアア!」


 ブラッドトゥースが大きな口を開いた。白刃の如き鋭い牙でニーナに食らいつかんとしている。リョウが迎撃しようと小銃を構えるより速く、メリルが大きく一歩踏み込んだ。


「はッ!!」


 紅の魔力を纏った鋭い剣閃がブラッドトゥースの牙を切りつけた。金属同士がぶつかり合うような甲高い音を鳴らして巨大な牙に亀裂が入る。


「ギギギギャアアアッ!?」


 悲鳴を上げたブラッドトゥースが大きく退いた。ブラッドトゥースの牙は、魔獣の中でも最高の硬度を誇る。これを咄嗟の一撃で破壊するとは、さすがは紅だ。

 この好機を無駄にはしない。ブラッドトゥ―スの巨体に対しては点よりも線や面での攻撃が有効だ。リョウは右手の人差し指に魔術を構築して小銃のトリガーを引いた。

 トリガーを通して弾丸に魔術構築が刻まれ、薬室から放たれる。魔力封入弾は、銃口が飛び出ると同時に青白い輝きを放った。

 劫火のように猛る魔力が瞬時に剣の形へ圧縮され、小銃の銃口にリョウの身の丈よりも巨大な魔力刃が形成された。


巨人の短剣ギガントダガー!」


 リョウは、ブラッドトゥースの懐へ飛び込み、魔力刃が伸びる小銃を振るい上げた。輝く刃は鋼よりも強固な毛皮に守られた胸部を容易く切り裂き、夥しい鮮血を溢れさせる。


「ギギギギャガガガアアアアアアア!!」


 血を噴き出しながらブラッドトゥースがもんどりを打って倒れた。

 巨人の短剣は、対大型魔獣用の近接魔術だ。高圧縮の魔力剣は、一振るいの間にしか持続出来ないものの、切れ味は紅の剣技にも劣らない。

 のたうち回るブラッドトゥースだったが、しばらくすると力尽きたかのように動かなくなった。大きな口からだらりと舌を垂らして呼吸もかなり粗い。

 通常の生物なら放っておいても死ぬが相手は魔獣である。数分もすれば息を吹き返す。

 リョウは、右手の人差し指に魔術を構築し、トリガーに指をかけた。


「だめっ!」


 声を荒げたニーナが両手を広げ、ブラッドトゥースの前に立ちはだかる。


「ニーナ退け!」

「いやっ! この子は元の場所に返す! お願いリョウ!!」


 たしかに召喚が出来たのだから送還も難しくはない。ブラッドトゥースは凶暴な魔獣だが、アガイスの森で暮らしていたところをニーナの勝手な都合で呼び出された被害者だ。

 殺さずに事を収められるならそれが最善である。リョウは、小銃を下ろした。


「……分かった。早くやれ」


 ニーナは、ブラッドトゥースのほうを向き、左手をかざした。ブラッドトゥースの身体の下に巨大な魔術陣が展開される。


「元の場所におかえり」


 横たわったままのブラッドトゥースは、魔術陣に飲み込まれ、アリーナから姿を消した。

 重傷を負ってはいるが、強靭な生命力を持った魔獣だ。数日もすればアガイスの森を駆け回れるようになる。一先ずこれで問題は一つ片付いた。だが残る問題がもう一つある。

 リョウが送還魔術を起動すると、小銃が青い光に包まれて手元から消え失せた。


「ニーナ」


 固い声で名前を呼ぶと、ニーナは恐る恐るリョウの顔を見上げてきた。


「この馬鹿野郎ッ!!」


 二十三年の人生でもっとも大きな怒声をぶつけると、ニーナは両肩をびくりとさせて俯いた。するとメリルがニーナに駆け寄って庇うように抱きしめた。


「リョウ! そんなに怒鳴らないで!! 怖がってるわっ!」

「こいつが何をやったか分かってんのかッ!? 下手したら何人も死んでたんだぞ!」

「それはそうだけど! だからって!!」

「そいつを怒鳴るな? はっ! メリル。お前が言えた義理か?」

「っ!? ぐ……」


 わざとメリルの痛いところを突いた。今回ばかりは横槍を入れられたくない。

 リョウは、あえてニーナと視線の高さを合わせず、立ったまま彼女を見下ろした。赤い瞳には怯えの感情が色濃く浮き出ている。こういう目をするニーナは初めて見た。

 かわいそうに思う気持ちがないわけではない。それでもリョウは、心の中からニーナに対する甘さを強引に追い出し、険しい顔を作った。


「ニーナ、少し前にお前に聞いたな。俺とメリル以外に契約魔術を使ったかって。あの時お前ははぐらかしたが、あの魔獣に使ったんだな?」


 リョウの問いかけに、ニーナは口を固く閉ざして俯いた。視線を合わせることを拒んでいるようだ。

 教職者であるから子供の態度を見ればある程度考えていることは分かる。今回の件をニーナは相当反省している。単なるいたずら程度ならこの時点で許していた。

 でも許してはいけない。甘やかしてはいけない。リョウは、奥歯を噛んで己を律した。


「ニーナ答えろ!!」


 リョウの詰問に、ニーナは震えながらこくりと頷いた。


「つ……使ったわ……」

「お前、安易な魔獣の使役がどれだけ危険な行為か! 暴走のリスクが常に付きまとうんだぞ!」


 魔獣の暴走。自分で言った言葉にリョウはハッとした。今回と似た事例が最近起きている。ニーナとメリルに出会った廃墟でバルデアオックスが暴れた事件だ。

 翌日のニーナとメリルの会話から推測するに、二人は一緒にあの場所に行く約束をしていた。メリルは、あそこにニーナを誘い出して暗殺を決行する予定だったが、そもそもあの場所に何をしに行く予定だったのか。

 リョウがメリルを見ると、彼女は明らかに動揺していた。

 態度から察するに彼女もリョウと同じ答えに辿り着いたのだろう。


「メリル。お前は知らなかったんだな?」

「……ええ。ニーナから友達があそこで亡くなったって聞いて……死者が出てないのに不自然だとは思ったけど……」

「自分の目的に利用出来るから、深くは気にしなかったか」

「……ええ……その通りよ……」


 一目でメリルが嘘をついていないと分かった。

 ニーナがバルデアオックスに契約魔術を施していたことを本当に知らなかったのだ。


「ニーナ。バルデアオックスもお前の仕業だな?」


 リョウの質問に、ニーナはゆっくりと頷いた。


「お前は、アガイスの森で契約魔術をかけたバルデアオックスを街中に召喚した。なんでそんなことをした?」

「……学院でやると、魔術の気配でばれると思ったから……あそこ廃墟だし、隠れる場所いっぱいあるし……」


 たしかに魔術学院内で召喚魔術を使えば誰かしらが魔術構築の気配を察知して様子を見に来る。ニーナは、教師に見とがめられないように学院の外で魔獣を召喚して遊んでいたのだろう。だが、それが最悪の結果を生んでしまった。


「あの廃墟で契約魔術が切れたんだな。そして巨大化して暴れ出した。バルデアオックスが巨大化することは?」

「知らなかった……かわいい魔獣だと思ってた」


 バルデアオックスは成体でも普段は子犬ほどの大きさだ。気性も大人しく自ら人間に危害を加えることもない。だが自分の身に危険が迫ると魔力を解放して、四十メートルもの巨体となる。先程のブラッドトゥースですら獲物に選ばない強大な力を持つ魔獣だ。

 ニーナに契約魔術をかけられたことでバルデアオックスは身の危険を感じ、多大なストレスを抱えた。それが契約魔術から解き放たれると同時に爆発したのだろう。

 バルデアオックスの生態を知らず、契約魔術をかけてペットにした。

 何故ニーナがこんな危険な行為をしたのか、リョウには理解が出来なかった。


「ニーナ、なんでだ? なんで魔獣に契約魔術なんかかけた?」


 ニーナがリョウを見上げてくる。紅玉のような瞳から涙の雫が流れ落ちた。


「……ともだちが……ほしかった……でもわたしは怪物だから人間のともだちはできない。だから魔獣ならともだちになってくれると思った」


 強大な魔力を持ち、両親もいない。ニーナの人生は、ずっと孤独だった。

 リョウもそんなニーナをかわいそうだと思ったし、だからこそ面倒を見ようと思った。

 しかしニーナの心には、歪みがある。孤独だから歪んだのか。歪んでいるから孤独なのか。孤児院で問題を起こし、転々としていた事実を考えると後者なのかもしれない。

 濃すぎる旧神の王の血が影響しているのか、ニーナは同世代の子供たちと比較しても明らかに凶暴で分別がない。おまけに家族や友達は契約魔術によって支配して作るものだと誤解している。

 ニーナの心の歪みをどう矯正すればいいか。これからどうやってニーナと接すればいいか。答えが出ない。分からない。だからリョウは、心に浮かんだ言葉をそのまま吐き出す。


「友達も家族も魔術で縛り付けて作るもんじゃねぇんだよっ!! 相手を思いやらないやつに家族も友達も作る資格なんかねぇんだ!!」

「やめてリョウ! ニーナは分かってるわよ!」

「メリル、なんで庇うんだ?」


 リョウには、メリルの行動の意図が読めなかった。最近ニーナ暗殺を迷うそぶりを見せていたが、昨日の様子から彼女が暗殺を決断したことは間違いない。何が決意を固めさせたのかは分からないが、そう決めた以上、メリルはやり遂げるはずだ。

 それなのにブラッドトゥースから反射的にニーナを庇ったのが解せない。放っておけばニーナが死んだかもしれない状況だった。暗殺達成の好機をむざむざ捨てたのだ。

 あんなに世界を滅ぼす存在だとニーナを危険視していたのに、どうして庇う。

 人々を危険にさらしたニーナを何故庇える。なんで今更母親面をする。

 メリルへの苛立ちとニーナの恐怖がリョウの理性をかき乱した。


「ニーナ! お前自分がどれだけ危険な存在か分かってんのか!? お前が力の使い方を誤ったら本当に世界が滅びちまうぞ!」

「だからやめてよッ! なんでそんなに怒鳴るの!? いつものあなたはどうしたのよ!」

「てめぇこそらしくねぇな。ニーナが食われそうになった時、なんで庇った? そのまま食われてりゃお前の任務は――」

「うるさいっ!!」


 メリルは、悔しさを露わにして顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


「……あんたの言う通りよ……分かってるわよ……そんなこと……だけど……」


 そう語るメリルの表情はあまりに痛々しく、直視するのを躊躇わせるほどであった。使命感と愛情に板挟みになった心痛がはっきりと伝わってくる。

 リョウも同じだ。ニーナを大切に思う気持ちと危うく思う気持ちがせめぎ合っている。

 迷いを晴らせないままニーナを見つめると、彼女は顔を背けた。まるでリョウと視線が合うことを拒絶するようだった。


「……リョウ、メリル、ごめんなさい」


 ニーナは、リョウとメリルに背中を向けて走り出した。

 リョウとメリルが追いかけようとすると、バージスが二人の肩を同時に掴んだ。


「リョウ……それにメリル。少し話があるのだがのう……今回の件、どういうことだのうッ!? わしの出番がめちゃくちゃだのうッ!!」


 ニーナを追いかけたいところだが、今回の事態を引き起こしたのはニーナの出場を強く主張したリョウにある。さすがになんの釈明もしないわけにはいかないだろう。

 リョウは、走り去るニーナの背中を見送ってからバージスに向き直った。

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