アポカリプス・ドーター ~世界を救った英雄は、世界を滅ぼす少女と契約魔術で強制的に家族になる~
澤松那函(なはこ)
第一章『世界を救った英雄と世界を滅ぼす少女』
第1話『戦争』
美しかった煉瓦造りの街並みは、地平線まで続く廃墟と変わっていた。
血の匂いと腐敗臭が激しい雨でも洗い流せず、蔓延している。
無残な姿の街を黒髪の青年と黄金色の髪の少女が並んで走っていた。二人共、黒い軍服を身に纏い、手には銃剣付きの小銃を持っている。
「あ」
声を上げた少女がふいに立ち止まる。青年も足を止めて少女の視線の先を追った。
倒壊した家屋の傍で、幼い少女の亡骸に覆い被さるように男と女が絶命している。
遺体を見つめる少女は、悔しそうに小銃を握りしめた。
「この人たち家族だよね? 可愛そうに……」
少女は、腰まで伸びた黄金色の髪とくりっとした青い瞳が特徴的な愛くるしい面立ちをしている。体格も十代中頃の少女らしい華奢なものだ。青年と同じルギタニア軍の軍服と小銃を身に着けていなければありふれた子供にしか見えない。
だが、どれだけ武装してもまだ十代中頃の少女だ。凄惨な光景に心を痛めているのが手に取るように分かる。青年は少女の頭をそっと撫でた。
「マリー大丈夫か?」
「うん……ありがとリョウ先生」
マリーは、無邪気に笑った。
「リョウ先生は、いい父親になれるね。いっつも私たちを守ってくれるもん」
「それが俺の仕事……いや、責任だ」
マリーの笑顔がリョウの心を締め付けて罪悪感をにじませた。
「……そうだ。これは、お前たち生徒を戦場に駆り立てた俺の――」
リョウが家族の亡骸に背を向けると同時に、遠方で青い炎が爆ぜた。
無数の瓦礫が爆圧で中空に巻き上げられている。距離は約一キロ。そこにはリョウの所属するルギタニア共和国軍の第三小隊がいる。
リョウとマリーは同時に駆け出した。歯を食いしばり、銃剣付きの小銃を握り締め、速くもっと速くと己の両足を鼓舞する。
爆心地に近づくにつれ、黒い軍服を着たルギタニア兵の亡骸が増えていく。彼らは四肢を失い、頭を潰され、臓物をまき散らしている。
この光景を作り上げたのは、数百メートル前方にいる四人の白い軍服を着た者たちである。全員が血で染めたような赤い髪と緑色の瞳をしているのが印象的だ。
彼らが持つのは銃ではない。剣や槍や杖である。特に目を引くのは、身の丈よりも巨大な戦斧を肩に担いだ男だ。
「ルギタニアの雑兵どもを逃がすなっ!」
「ワイズ帝国の魔術師部隊だッ! う、撃てぇ!」
数十名のルギタニア兵は後退しながら小銃を撃つ。弾丸は戦斧の男に着弾すると同時に砕けた。戦斧の男は無傷である。
「ひぃっ!? 化け物ッ!!」
怯えるルギタニア兵を蔑むように見つめる戦斧の男は、得物を振るい上げた。腕を振り上げた勢いだけで数十人のルギタニア兵の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ふはっ! これが魔力という才覚を持って生まれた選ばれた人間、魔術師の力!! 貴様らルギタニアの魔力なしが億集まろうとも小指でくびり殺せるわッ!!」
戦斧の男がルギタニア兵たちに斧を振り下ろす直前、リョウがトリガーを引いた。
銃口から発射された青い光の弾頭は戦斧の男の右腕を千切り飛ばした。
「うぐっあああああッ!? じ、銃なんかで!?」
怯んだ戦斧の男の懐へリョウは飛び込み、左胸へ銃剣を突き刺した。ズブリと、刃が肉を貫く感触が両手に伝わってくる。
銃剣を捻って傷口に空気を送り込みつつ、残りのワイズ帝国兵の様子をうかがった。
「分隊長っ!!」
戦斧の男を助けようと剣・槍・杖を持つワイズ帝国兵の三人がリョウに迫った。
三人共に、意識がリョウに集中して視野が狭くなっている。
マリーは、この隙を見逃さない。三度素早くトリガーを引き、三人の額を撃ち抜いた。
生徒が人を殺す様を見る度、己への怒りがこみ上げる。けれど平静を装った。
感情の発露は、戦場で命取りになる。だから心の奥底に押し込めて表には出さない。
リョウが銃剣を引き抜くと、戦斧の男は、どしゃり! と地面に両膝をついた。
「ごはっ!! 淡褐色の瞳……黒い髪」
戦斧の男は、緑の瞳に怯えの色を浮かべてリョウを見上げた。
「貴様がルギタニアの
リョウは、答える代わりにトリガーを絞った。銃口から放たれた青い弾丸が戦斧の男の頭を吹き飛ばす。硝煙と脳漿と鮮血が散らばり、また戦場に死体が増えた。
リョウが死体を見つめていると、マリーとルギタニア兵が集まってくる。
リョウの前に集まったルギタニア兵たちは、一斉に敬礼をした。
「リョウ少佐!! ありがとうございます!」
「いや、助けに来るのが遅れてすまねぇ。もっと早く来れば他のやつらだって助け――」
突然、雨粒と一緒に殺意が降ってきた。頭上を仰ぐと紅の閃光が隕石のように落下してきている。咄嗟に後方へ飛びのくと、光が地面に衝突した。
周囲を紅に染めながら瓦礫と廃墟が薙ぎ倒されていく。紅の光は竜巻のように渦を巻きながら空へ昇り、雨雲を打ち払った。
強大な爆圧がリョウの全身を打ち付け、内臓が揺らされる。特に脳の揺れが深刻だ。運動機能の一切が麻痺して立っていられず、地面に倒れ伏した。
紅の光が焼き付き、目が眩んでいる。爆音で鼓膜がやられ、音も聞き取れない。痛みのせいで触覚も機能不全を起こし、頼りになるのは嗅覚だけだ。
鼻を刺激するのは血と硝煙の香り。どんとん二つの匂いが増していく。硝煙はマリーや他のルギタニア兵のものか。だが血に関しては、一体誰の血の匂いなのか分からない。
たしかなのは仲間が敵と戦っていることだ。寝ているわけにはいかない。自分も戦わなくては。リョウは、もがこうとするが指一本動かせない。
紅一色の世界の中で過ごす時間は、永遠にも感じられる。
どれほどの時が過ぎたのか。次第に脳の揺れが収まってきた。
リョウは、力を振り絞って顔を動かし、周囲を見た。
眩んだままの目ではっきり見えないが、一帯に無数の人影が横たっていた。
たった一人だけが剣らしき物を右手に持って立っている。男か女かはっきりしない。
剣を持った人影から視線を感じる。数瞬すると、人影は凄まじい速度で駆け出した。
人影がいなくなり、ようやく光で眩んだ視界が正常に戻ってきた。地面に横たわる人々を見ると、全員がルギタニア兵だ。傷の状態から全員が絶命しているのを理解する。
たった一人息をしているのは、地面に仰向けに倒れるマリーだけであった。
「マリー!!」
リョウはマリーに駆け寄り、息を呑んだ。上半身と下半身がほぼ両断されている。右脇腹の皮一枚で辛うじて繋がっている状態だ。
助からない。頭に浮かんだ不吉な言葉を追い出すように首を横に振る。
絶対に助ける。助けなくてはいけない。
大切な生徒を死なせない。そのためにリョウはここにいるのだから。
「マリーッ! 聞こえるか!? 俺だ!!」
マリーは、開いた瞳孔にリョウの姿を映して微笑んだ。
「先生……ワイズ帝国の英雄……
「ああ! そんな野郎相手によく頑張った! 今傷を治すからな。俺の煙草を――」
リョウが軍服の左胸のポケットに手を入れようとすると、マリーは首を横に振った。
「無理だよ……この傷は治らない……母さんにあいしてるってつたえ……て……」
「馬鹿言うなッ! 自分で言え!!」
「せんせ、わたし、まじゅつし……してくれ……夢……かな……た……ありが……とう」
「マリーッ! 死ぬな!!」
「……おかあさん……ごめんね……おかあさーん……どこぉ……おか……あ……さん」
マリーは動かなくなった。命も魂もここにはない。理性が理解しても感情が納得出来ない。こんな現実を受け入れるわけにはいかない。
リョウは、マリーの亡骸にすがりついた。
「違う……俺はっ! こんなことのために魔術を教えたんじゃ……うわああああッ!!」
リョウの叫びは、戦場に空しく響き渡った。
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