第18話『深夜の語らい』

 深夜、リョウは学院長室を訪れていた。

 ライトスタンドが一つ灯っているだけで部屋は薄暗い。

 バージスは、グラスにウィスキーを注いでリョウに差し出した。リョウは首を横に振る。


「今は飲まないことにしてるんです」

「懸命だのう。それにしてもニーナは派手にやったもんだのう。ドリームイリュージョンパークから損害の補填をするよう学院に通達が来てのう」

「支払いはよろしく」


 額と眉間に深いしわを寄せてバージスはジト目で睨んできた。


「外出許可を出したわしの身にもなってくれんかのう……お前さんがいながら制御出来なかったのかのう」

「相手は、あのキャシー・ランドーに軍用レベルに調教されたファングランナー五体ですよ。周辺の被害を気にして戦える相手じゃないのは分かるでしょ」

「だがのう、今回の一件は、ルギタニア政府の耳にも入ってのう……連中もあまりよくは思っておらんのでのう」


 ニーナの好意を政府は危険視しているのは間違いない。

 こちらもなんとかしなくてはならないが、今優先すべき事項は他にあった。


「政治家と官僚連中のご機嫌より、俺が依頼した件はどうなんですか?」


 そう尋ねると、バージスは剥げた頭を右手の人差し指でかいた。


「……追跡は失敗だのう」


 ニーナの部屋の模様替えをした直後、リョウは思念通話でバージス学院長にメッセージを送った。模様替えをした業者の女シャーロットを追って欲しいと。

 彼女が持ち込んだインテリアに空気の読めないミュージカルが引っ掛かったのである。

 あの時、巧妙に隠してはいたがインテリアからは微かな魔術の気配を感じた。

 さらに歌からも魔術構築の気配がほんのわずかに漏れていたのである。

 故にリョウは、シャーロットが空間魔術の構築をしていたのだと察した。

 彼女を捕えられれば御の字だったが、そう甘い相手ではなかった。


「さすがにあれだけの使い手相手だと難しいですか」

「うむ。うまく撒かれたようだのう」

「隠れる場所はいろいろと用意してるってわけだ。教員寮で仕留めるべきだった……」


 キャシーは、空間魔術で心臓を潰された。犯人は十中八九、シャーロットであろう。

 シャーロットを殺していればキャシーが殺されることはなかっただろう。

 強い後悔と深い怒りが沸き上がり、両の拳を握り締めた。


「あそこで仕留めていればキャシーさんは……」

「出来たかのう?」


 バージスから探りを入れるような視線を感じる。

 リョウの見立てでは、シャーロットは仕留められる相手であった。

 しかしシャーロットを殺そうとすればメリルが止めたはずだ。

 シャーロットは、ほぼ確実にメリルの協力者だ。似たような気配の女を以前見かけたことがある。メリルが毒入りの肉料理を作った日、スーパーでレジ係をしていた女だ。

 窓越しにスーパーの中を確認した時、レジ係の女は、他の客の時には手際よく客を捌いていた。なのに、メリルの番になると、やたらともたついていたのが印象に残っている。

 恐らく暗号強度の高い短射程の思念通信でメリルとレジ係の女が話していたのだろう。


 業者のシャーロットとして教員寮を訪れた時には、濃い化粧で変装して顔立ちを誤魔化していた。だが強者が纏う特有の雰囲気や気配までは、別人に偽装出来ていなかった。

 レジ係の女とシャーロットが同一人物だとすれば、彼女の正体もおのずと見えてくる。ワイズ帝国がメリルの補佐役に送り込んだ軍の人間だ。

 あの場でリョウがシャーロットを攻撃しても、メリルは確実にシャーロットを庇う。

 リョウとメリルは、お互いに傷つけることが出来ないが、シャーロットを逃がすためにリョウの攻撃を防ぐぐらいなら、メリルは条件に当てはまらない可能性が高い。となると、シャーロットをあの場で仕留めるのは難しかった。


 ただしこれをバージスに話すと、メリルの正体を明かすことになる。

 故意にメリルを陥れたと判定されて契約魔術の戒めの対象になる可能性が高い。

 リョウとしては、ぼかして話すしかなかった。


「……それは難しかったでしょう。で、頼んでたやつはどうなりました?」

「……ふむ。言われた通りお前たちが出かけている間に、空間魔術の腕がいいのをニーナの部屋によこしたんだがのう」


 三人揃ってドリームイリュージョンパークに出かけたのは、ニーナを喜ばせるためだけじゃない。シャーロットが仕掛けた空間魔術の改竄をメリルに見られないためだ。


「お前さんの見立て通りだのう。この国一番の使い手ですら小規模の改竄が限界だった」


 バージスはグラスを右手の人差し指でコツコツ叩き、苦い丸薬を噛んだような顔をした。


「曰く、空間魔術の魔術構築を改ざんした際、震えるほどの感動と気がおかしくなるほどの嫉妬をしたと言っておったのう。これほど繊細な構築が出来る魔術師は、世界で五指に入る天才であると断言しておった。一応空間魔術起動時にニーナと一緒に空間魔術内にお前さんも侵入するように設定はしたが……ねじ込めたのはお前さん一人だけのう」

「出来れば援軍も欲しいですが、贅沢は言えねぇか」

「いずれにしても、術者さえ殺せば空間魔術は短時間で崩壊するはずだのう」


 バージスはグラスのウィスキーを煽り、アルコールで焼けた熱い呼気を吐き出した。


「ふぅ……ところでリョウ。本当に単独犯かのう? 協力者はおらんのかのう?」


 まるで探るような口調と視線である。

 バージスは勘がいい。リョウが隠し事をしているのは気付いているはずだ。

 それでもメリルの存在を明かすつもりはない。リョウは肩をすくめた。


「協力者ですか?」

「例えば紅だのう。あやつは先日以降、一度も襲撃してきておらんが……」


 やはり核心を突いてくる。リョウは、表情を変えずに平静を装った。


「可能性はありますが、もしも組んでるなら最初から二人で襲ってくるのでは?」

「たしかにのう……協力しているなら単独で動く理由がないか」

「いずれにしても厄介なのは空間魔術師の方です。尚のこと手配よろしくお願いします」

「うむ……分かったのう」


 バージスは、ひとまず納得した様子だった。

 彼の推理を否定したのは、メリルを守るためではない。契約魔術の契約違反で戒めを受けるのはごめんだ。理由はそれだけである。そう自分に言い聞かせた。

 これ以上、話し続けるとボロが出かねない。話題を変えるべきだろう。


「あ、そういえば話は変わるんですが。ニーナの魔術競技大会参加ですが」

「そうか……やっぱり出すのかのう……」


 バージスは、眉間にしわを寄せながら腕を組んで椅子に深く腰掛けた。


「うーぬ……本当に大丈夫かのう? 出さんわけにはいかんかのう?」

「そりゃ出したほうがいいでしょう。本人もやる気なんです。なんだかんだ言っても普通の子供ですよあいつは。いざとなれば俺が面倒は見ます。今度は失敗しません」

「まぁ、お前さんがそこまで言うなら……許可しよう」


 いかにも不承不承だという態度でバージスは頷いた。


「じゃあ諸々よろしくお願いします」


 リョウは、バージスにひらりと手を振って学院長室を後にした。



 * * * * *



 灯りの消えた教員寮のリビングに窓から深更の月明かりが差し込んでいる。

 月の光を浴びながらメリルは、食卓に頬杖をついていた。

 昼間、色々ありすぎたせいか眠気が全くない。

 ルギタニア人に復讐心をぶつけられることは、ここに来てから幾度もあった。

 メリルが殺した兵士の遺族に出くわすのも初めてではない。

 しかし正体がばれたことは、さすがに今までなかった。


「あいつの言う通り……ね」


 メリルは、キャシーの最後の言葉が引っ掛かっていた。あいつの言う通り。家族を持って幸せを感じている。そう語った人物がメリルの正体をキャシーに教えたのだろう。

 ルギタニアでメリルの正体を知っている人間はほとんどいない。誰がメリルの正体を掴み、誰かがキャシーに教えたのか。

 シャーロットがキャシーを殺して事なきを得たが、メリルの正体を知る黒幕が存在している以上、安心は出来ない。だがメリルの心にあるのは、黒幕に対する興味ではない。

 ニーナに攻撃するキャシーを見た瞬間、助けようとして自然と身体が動いたことだ。


 帰宅して以降、ずっとニーナを助けようとした理由を考えないようにしている。もしも考えてしまえば気づいてはいけない感情に気づく確信があった。だけどどうしても気になってしまう。考えずにはいられない。

 それでも思考を真っ白にしようと務めていると、小さな足音が階段を下りてくる。


「メリル……」


 リビングに姿を現した黒いパジャマ姿のニーナは、スパイダコと蜘蛛のぬいぐるみを抱きしめている。


「メリル……いっしょにねて」


 灯りはついていなくとも魔力で視力を補強した瞳でニーナの表情をはっきりと視認出来る。今にも泣き出しそうな顔をしていた。その姿は、ありふれた七歳の子供であった。


「……どうかしたの?」

「こわいゆめみた。いっしょにねて」


 下手に逆らって戒めを食らうのも馬鹿らしい。メリルは椅子から立ち上がった。


「分かったわ。一緒に寝てあげる」


 ニーナを抱き上げて階段を上り、二階のニーナの部屋に入った。

 ベッドにニーナを寝かせて、メリルはベッドの縁に腰かけた。


「ほら。ここにいてあげるからさっさと寝なさい」

「手、つないで」


 ニーナは抱きしめていた二つのぬいぐるみを枕元に置き、右腕を伸ばしてきた。

 仕方なく右手でそっと握り返す。子供らしい小さな手だ。キャシーほどの熟達した魔術師を驚愕させた人間の手とはとても思えない。

 あの時、ニーナとリョウの援護がなければ勝負は分からなかった。仮に殺す気で戦ったとしても分のいい勝負ではないし、シャーロットの援護も間に合わなかったかもしれない。

 キャシーと五体の魔獣を相手に無傷で生き残れたのはリョウとニーナのおかげだ。

 けれど二人のおかげで繋いだ命で、メリルはニーナを殺すことになる。

 自分がどれほど罪深い存在か、メリルは否応なく自覚させられた。


「ねぇ、なんであたしを助けたの?」


 メリルの問いに、ニーナはこくりと首を傾げた。


「なんで?」

「ニーナ。あたしはあんたを殺すのよ。あんたはあたしを助けたせいで死ぬの。なのにどうして助けたの。あたしを見殺しにすればあんたとリョウは無事に暮らせたのに」

「リョウとメリルがいなくなっちゃうのが怖かった。二人がいないといや」

「……なんであたしなんか好きになるのよ」

「わたし、メリルみたいなおかあさんがほしかった。優しくてきれいで強くてアメリアみたいなおかあさん。だからメリルにおかあさんになってほしかった」

「あんたが強引にそうしたんでしょ……あたしの意思でなったわけじゃない」

「……ごめんなさい」


 しゅんとしてしまったニーナの姿に、メリルは動揺した。いつもみたいに生意気な口を聞くと思っていた。自分勝手な台詞を吐くのだと。


「なんで謝るのよッ!」


 気が付けば声を荒げていた。


「いつもみたいに滅ぼすとか殺すとかっ、めちゃくちゃなこと言えばいいじゃない!」


 世界を滅ぼしたがる悪辣非道な子供でいてほしかった。そうすれば殺すことへの躊躇が幾分か和らぐのに。だけど、今のニーナは愛情に飢えた子供にしか見えない。

 母親と父親の存在を望み、両親から愛されたいだけの子供。

 旧神の王の血を引く怪物だとはとても思えない。


「あんたはどうしてこういうときにだけッ!! そうやってぇ!! そう……やって……」


 愛おしくなるようなことばかり言うの?

 愛おしくなるようなことばかりするの?

 ニーナの些細な言葉がメリルの心の天秤を激しく揺さぶった。

 だが自分の感情と任務への忠義、選ぶべき道は一つだけ。迷うことは許されない。

 感情を殺して任務に徹する道具となれ。罪悪感は、歯を食いしばって嚙み潰せ。

 世界を滅ぼす脅威となる前に、ニーナを殺す。それがメリルに課せられた任務だ。


「ニーナ、分かってるでしょ。あたしはあんたを……」

「メリルがわたしを好きじゃないのは知ってるわ」


 違う。好きじゃないなんて言っていない。嫌いだなんて思っていない。だけど個人の感情なんか関係ないのだ。どれほどニーナを思っていてもメリルは任務を果たすしかない。


「でもわたしはメリルが好き」


 メリルの手をキュッと握り締めてニーナは、瞼を閉じる。安堵した顔を見ているとニーナがどれほどメリルを好いてくれているのか、否応なしに思い知らされた。

 ニーナと繋いでいる右手に信頼が伝わってくる。

 握られている右手をそっと抜いて見つめた。

 シャーロットが施してくれた空間魔術を完成させる魔術。リョウがいない今はこれを仕掛ける絶好の機会だ。

 けれど監視の目は常にある。寮の外には相当数の魔術師がいるのだ。下手に魔術を行使すればなだれ込んでくる可能性もある。危険を冒すべきではない。

 メリルは、ニーナの右手に右手を重ねた。この決断はニーナに絆されたからではない。危険だからやらないだけ。自分にそう言い聞かせ、メリルはニーナの右手を優しく握った。

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