第19話『心臓』

 ルギタニア魔術学院・高等科一年一組が使用している演習場で午後の射撃魔術の実技が行われていた。リョウが見守る中、ニーナとメリルを除く生徒が小銃で的を撃っている。

 今日の課題は魔術の多重構築で、小銃を撃つ生徒たちは苦悶の表情を浮かべていた。

 リョウは、銃剣付きの小銃を手元に召喚して的を狙った。


「魔術の多重構築は、高位のルギタニア式魔術師になるのは必須の技術だ」


 解説を始めると、生徒たちは射撃の手を止めた。

 リョウがトリガーを引くと、青い魔術弾が発射され、的にめり込んだ。しかし貫通には至っていない。間を置かず魔力弾の青い輝きが橙色の輝きへと変じ、爆風となる。

 爆圧に耐え切れず、的は粉みじんに砕かれ、破片が床に散らばった。


「多重構築は有用な技術だが欠点もある。二つの性質の魔術を付与するなら当然弾丸に封入された魔力を二等分しなくちゃならないってことだ。つまりは魔術の威力と精度が落ちる。実用性を考えると三重構築がせいぜいってことは覚えとけ。よし、続けろ」


 リョウの号令と共に、生徒たちは一斉に射撃を始めた。

 しかし二つの魔術構築を一発の弾丸に付与にすることは、かなり難易度が高い。生徒たちも相当苦戦しており、大半の生徒がただの貫通弾を撃っているだけだ。


「慣れないうちは構築が似てる貫通弾と誘導弾の多重構築からやっていろ。そうするとコツが掴みやすいぞ」


 リョウのアドバイスを受けた生徒たちは、貫通弾を誘導弾の多重構築を始めた。だが貫通弾しか発動しなかったり、逆に誘導弾だけが発動したりとうまくいかない。

 開発者であるリョウ自身も理論を構築してから使いこなせるようになるまで二年を要した。いきなり使いこなせと言うのは酷であろう。だが生徒たちは相当熱が入っている。明日はルギタニア魔術学院の競技大会なのだから当然だ。

 若者がやる気に満ちた姿を見てくれるのは、教師冥利に尽きる。リョウは、生徒たちを横目で見つつ、的の前で立ち尽くすニーナとメリルの元へ向かった。


「ニーナ、契約魔術の構築の練習はどうした? 明日は本番なんだぞ」


 ニーナは、一目で不満だと分かる顔で睨んできた。


「リョウ。契約魔術飽きた。わたしも多重構築したいわ。このまえできたのよ」

「だから多重構築はニーナには必要ねぇんだって。そうだな。お前の場合は、魔術の並列発動を覚えたほうがいいな」

「へいれつはつどう?」


 魔術の並列発動は、体内で二つの魔術を同時に構築・発動する技術である。高い集中力と魔術構築の練度を要する技術で、実戦で使いこなせる魔術師は多くない。


「並列発動の代表例は、身体強化魔術の連動強化法だな」

「れんどう? きょうか?」


 連動強化法は、高位の魔術になるための入口のような技術だ。おいおいニーナにも教えるつもりだが、今は他の魔術の習得を優先するべきだとリョウは判断した。


「説明すると長いからまた今度教えてやる。今は契約魔術の修行だ」

「いや。多重構築したい。わたしにも銃貸して」


 ニーナがリョウの小銃に両手を伸ばしてくる。

 リョウは、ニーナの手をひらりと躱して頭上に小銃を掲げた。


「だめ。お前の魔力で魔術小銃を扱ったらぶっ壊れちまう」

「リョウのいじわるっ」


 すっかりいじけたニーナは、スカートの裾を両手で握り締めてそっぽを向いた。

 リョウは、ニーナと視線を合わせてからしゃがみ、ニーナの頭に手を乗せた。


「とにかくニーナの課題は、魔術の起動を安定させることだ。ほら、契約魔術の構築の練習だ。競技大会の本番は明日だからな。俺たちにいいとこ見せてくれるんだろ?」

「……分かった」


 渋々頷いてニーナは、右手に赤い魔術陣を展開した。魔術構築の速度。掌に展開された魔術陣の精密さ。どちらも以前より成長している。放課後の練習の成果が出ていることを嬉しく思っていると、メリルに指で肩を突かれた。


「リョウ先生。あたしは何すればいいわけ?」


 微塵も敬意の籠っていない声でメリルは言った。ワイズ式魔術師であるメリルに多重構築の授業を受けるメリットはない。授業は、彼女にとって退屈な時間だろう。


「そうだな。今日の献立でも考えてくれ。お前の当番だ。少しは野菜も使えよ」

「じゃあレバーでも使うわ。ミートボールがいいわね」

「肉食獣じゃねぇんだよっ! 普通に野菜食えばいいだろ!? ビタミン接種のために!」

「そういえば前に学食の日替わりランチで出たレバーソテー残してたわよね?」


 メリルがしたり顔で微笑むと、ニーナがにたりといやらしい笑みを浮かべた、


「リョウ、好き嫌いはよくない」

「こいつら結託しやがって……」


 いっそ料理当番を変わろう。リョウに名案が浮かんだ瞬間、青い閃光と共にニーナが後方へ吹き飛んだ。小さい身体がもんどりを打ち、床に転がる。何が起こったか、一瞬理解が出来なかった。だが、うずくまったまま動かないニーナの姿を見て我に返る。

 リョウが駆け寄ろうとした直前、メリルが凄まじい俊足でニーナの傍へ行った。


「ニーナ! 大丈夫!?」


 焦燥を露わにしたメリルがニーナを抱き起した。ニーナは瞼を閉じており、ピクリとも動かない。メリルが軽く頬を叩いたが反応はなかった。

 リョウも二人の元に駆け寄って、ニーナの顔を覗き込む。反応はないが、呼吸はしている。どうやら気絶しているだけらしい。リョウは、ひとまず胸を撫で下ろした。


「せ、先生……違うんです……」


 動揺した少女の声が背後からした。リョウが顔を向けると、一人の女生徒が青ざめた顔でニーナを見つめていた。誘導魔術の構築が甘くて弾頭が意図に反して迷走したのだろう。それがニーナに直撃してしまった。誘導魔術を使えば起こり得る事故である。


「お前のせいじゃねぇ……俺の責任だ」


 想定出来る事故だったのに、ニーナとメリルとの会話に集中して虚を突かれた。

 生徒たちから目を離したリョウに責任がある。こんな事故を起こすなんて指導者失格だ。

 リョウは、歯噛みしながらも冷静な思考を保とうと努めた。


「授業は中止だ。お前たちは教室で待て。俺とメリルは、ニーナを医務室に連れて行く」

「ねぇ……リョウ……」


 振り返るとメリルは、ニーナの胸に手を当てて真っ白な顔をしていた。翠玉のような瞳が涙で潤んでいる。まるで我が子を失った母親のような姿を見て、何が起きたか察した。


「ニーナ、心臓が……動いてないわ……」

「ば、馬鹿言うなッ! 呼吸してんだろ!?」


 駆け寄ってニーナの首筋に指で触れると、脈が全く触れない。なのに呼吸はしている。

 一体どう状態なのか? 困惑していると、突然ニーナが目を開けた。


「幼気な少女が誤射される世界。こんな世界滅べばいいのに」

「ニーナ!」


 メリルは声を上げてニーナを強く抱きしめた。


「よかったわっ! 無事で……」


 安堵の笑みをほころばせたメリルの表情が次第に硬直していく。

 暗殺対象であるニーナがこのまま死んでくれたらメリルは任務達成であった。

 けれど今のメリルは、我が子の無事を喜ぶ母親そのものだ。ニーナに対して深い愛情を抱いているのだろう。正に母性愛と呼べるほど強い感情を。

 リョウもニーナに対して愛情を抱いている。彼女が無事で本当に良かった。だが心の中でそれとは別の感情の火種が燻ぶっている。

 リョウは、ニーナの右手首を掴んで脈をとる。先程同様、脈が触れない。つまりニーナの心臓は鼓動していないままだ。それなのに呼吸をして生きている。

 人間ではありえないことだ。しかし旧神であれば起こり得ることかもしれない。旧神の王の末裔同士の婚姻で血を濃くすることで生まれるアポカリプス・ドーター。

 旧神の王の血が濃いニーナが、人間から逸脱した存在になっているのだとしたら――。

 リョウの中で、ニーナに対する言い知れぬ恐怖が生まれていた。



 * * * * *



 小窓から差し込む夕日がルギタニア魔術学院の資料室を橙色に染めている。

 リョウは、ニーナのことをメリルに任せて資料室を訪れた。

 床一面にニーナに関する資料を広げて、かれこれ一時間は読み漁っている。

 ニーナの両親が誰なのかは不明で、七年前生後間もない状態で孤児院の前に置かれていたという。三歳までその孤児院で暮らしていたが、別の孤児院に転院している。


 原因は、ニーナが孤児院の他の子供たちを殺しかけたことだ。その理由は、他の子におやつのクッキーを取られたから。膨大な魔力を暴走させて二十人の孤児が重傷を負った。

 その後もニーナは孤児院を転々としたが、どこへ行っても問題行動を起こした。

 好きなおもちゃを取られた。お気に入りの絵本を他の子が読んでいた。子供染みた稚拙な動機でニーナは魔力を暴走させている。


 ニーナの被害に遭った孤児の数は合計で百四十人にも及び、ニーナの暴走を止めようとした職員五十九名が重傷を負っている。

 ニーナが五歳になった頃、ルギタニア政府が彼女の存在を知り、ルギタニア魔術学院に入学させた。強大な魔力の有用性と暴走の危険性を鑑みた隔離処置である。

 ニーナの入学から二年。年齢的にも本来は初等科に在籍するのが望ましいが、凄まじい魔力を初等科はもちろん中等科ですら持て余した。

 結果的に高等科への飛び級という形を取って現在に至っている。


 これまでリョウは、ニーナの資料には目を通してこなかった。強大な魔力を持っていても子供だからと油断していたのだ。こうして改めて見ると彼女の異常性を自覚させられる。

 人間の範疇ではありえない強大すぎる魔力。髪や目の色素の薄さ。これらを考慮するとニーナは、アポカリプス・ドーターで間違いない。しかも相当旧神の王の血が濃いはずだ。


「となると必然的に、あいつの親はアポカリプス信者か」


 ニーナの旧神の王の血の濃さを考えると彼女の両親は、旧神を信奉するカルト集団アポカリプスの信者だと考えるのが自然だ。


「だが、どれだけ血を濃くすればあれだけの魔力を得られるんだ?」


 平均的な旧神の魔力量は人間の百倍以上とされるが、ニーナはそのさらに数百倍以上の魔力を持っている。旧神の魔力の影響で人間や動植物が突然変異して魔術師や魔獣が生まれたように、旧神の王の血を濃くする過程でさらに突然変異体が生じたのか。

 そんなニーナが魔術師として完成したら、どれほどの力を得るのだろう。旧神の戦闘能力は、現代の高位の魔術師であれば単独で渡り合える程度だ。

 しかし旧神の王の戦闘能力は、並の旧神を遥かに凌駕する。初代ワイズ皇帝が率いた世界中の魔術師の七割が命を落としてようやく討伐出来た規格外の怪物だ。

 ニーナの資質が旧神の王に匹敵するのなら、世界を滅ぼすことも不可能ではない。


「いいのか……このまま育てて」


 罪悪感を覚えない凶暴な性質の人間はいる。ニーナが所謂サイコパスでない保証はない。

 リョウは、今までニーナの子供らしい部分にばかり見ていて、粗暴な部分や暴力を好む性格面を見ないようにしてきた節がある。普通の子供の範疇のことであろうと。

 自分がきちんと育てればまっとうな大人に育ってくれる。そんな期待を抱いていた。

 だが今日ニーナの心臓が動いていないことを知って、その気持ちが揺らいでいる。

 心臓が動かないまま生きている生物は尋常ではない。加えて人間ではありえない強大すぎる魔力。人間の皮を被った旧神の王。そんな考えばかりが頭にこびりついて離れない。

 ニーナを暗殺しようとするメリルの気持ちが少しだけ理解出来た。今のニーナは、メリルなら苦もなく殺せる。リョウであっても本気で戦えば仕留められる程度の強さ――。


「くそっ!……何考えたんだ俺は!!」


 ニーナを殺すことなんて考えたくもない。正しく力を使える魔術師に育てるのがリョウに課せられた義務だ。けれど決意が揺らいでいた。もしかしたらという不安を拭えない。

 このまま育ったらどんな人間になるか想像もつかない。

 あるいは人間でいられるのかどうかも定かではない。

 生徒たちを戦場に送ったリョウは一度道を誤っている。二度も誤るわけにはいかない。


「俺は……どうすればいいっ!?」


 先の見えないニーナの未来予想図が、リョウにはこの世の何よりも恐ろしく思えた。

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