第4話『ニーナのおともだち』

 手入れの行き届いた校庭の芝生が朝露でしっとりと濡れ、輝いている。

 朝食を終えたリョウとニーナは、高等科の教室があるルギタニア魔術学院・第三校舎を目指して校庭を歩いていた。

 リョウの服装は、学院の実技担当の教師が身に着ける制服だ。

 袖をまくった紺色のジャケット、白いシャツ、赤いネクタイ、黒いスラックと履き慣らしたモンキーブーツ。この制服は、リョウにとって罪の象徴である。二度と着ることはないと置いていったものをバージス学院長が保管していた。


「リョウ、それを着ると教師っぽいわね。酔っぱらいじゃなくなったわ」

「そりゃどうも。褒めてるってことにしといてやる」


 二人並んで歩いて学院の敷地の中央に差し掛かった頃、校庭に高さ五メートルの黒い石柱が立っているのが目に入った。石柱を囲むように花束がいくつも置かれている。

 これは、先のワイズ帝国との戦争で命を落とした生徒たちの慰霊碑だ。石柱の表面にびっしりと故人の名前が刻まれている。リョウは、慰霊碑の前で足を止めた。


「ニーナ。ちょっと寄らせてくれ」

「早く行かないと遅刻するわ」

「頼むよ」


 リョウの懇願に、ニーナはため息をついた。


「……いいわ。つきあってあげる」

「ありがとな」


 ニーナの頭を一撫でして慰霊碑に目を向けた。ここに刻まれた全員の名前をリョウは知っている。リョウが戦地に送り、犠牲にしてしまった生徒たちだ。

 戦争終結から一年経つが、この場所を訪れたのは初めてである。

 ここに来る勇気を持てなかった。どうしても足が竦んだ。死なせた生徒にどんな言葉をかければいいのか分からなかったから。

 慰霊碑の前でリョウが立ち尽くしていると、背後から人が近づく気配がした。

 振り返ると、そこには花束を持った女性がいた。

 歳の頃は、中年でくたびれた白いシャツとジーンズ姿だ。金色の髪を男性のように短く切っており、女性らしさは皆無である。けれどそれでも隠しきれぬ美貌を持つ女性だ。


「キャシーさん……」


 キャシー・ランドー。リョウの生徒だったマリー・ランドーの母親である。

 元軍人でルギタニアには少ない生まれついての魔術師だ。優れた実力を持ち、特に契約魔術を用いた軍用魔獣の調教と使役を得意とする。その腕は軍で教官を務めたほどだ。

 ワイズ帝国との戦争でも多くの武功を立て、生き延びた傑物である。

 顔を合わせるのは、終戦から一ヶ月後に行われたマリーの葬儀以来だ。


「リョウ先生、お久しぶりです」


 穏やかな声でキャシーは言うと、慰霊碑の前に花束を置いた。


「先生がここへ来るのは初めてですよね。マリーも喜んでいます」

「そんなことはないでしょう。俺は、みんなに恨まれてる」


 キャシーは、微笑みながら首を横に振った。


「あなたは、娘の夢をかなえてくれました」

「違います。俺は、あなたの大切な娘を死地に送っただけだ……」

「あの子は軍人である私の娘。ああすることがあの子にとっての夢だった。その制服、あなたが復帰されることをきっとあの子も喜びます」

「……そんな資格はないんですが、いろいろと事情があって」


 そう答えると、キャシーがニーナを見やった。


「その子ですか? あなた、ニーナさんですよね」


 ニーナは、キャシーを見上げて首を傾げた。


「なんでしってるの?」

「毎日来てるから生徒さんの顔と名前を憶えてしまうんです。わたし今ドリームイリュージョンパークで働いているんですよ」


 ドリームイリュージョンは、世界的に有名なルギタニアのアニメ制作会社だ。

 同社が運営するドリームイリュージョンパークは、作品世界をモチーフにしたテーマパークで、国内外から年間数千万人が来場する。

 キャシーの口からドリームイリュージョンの単語が出た瞬間、ニーナが頬を紅潮させた。


「ブレイブ・ファミリーの!?」


 ニーナは、きらきらと輝く笑顔で飛び跳ねた。

 ブレイブ・ファミリーは、同社が七年前に制作したアニメ映画のタイトルである。

 主人公は、勇者の夫婦バートとアメリアに、魔王の子供ビーンだ。

 勇者夫妻は魔王を倒したが、魔王には子供がいた。親を殺したことに罪悪感を抱いた勇者二人は、魔王の子供を育てることにする。そんなあらすじだ。

 ドリームイリュージョン制作のアニメでもトップクラスの人気を誇る作品である。

 ニーナが王道のアニメが好きなのは意外だが、それよりもキャシーがドリームイリュージョンで働いていることのほうが予想外であった。


「あなたほどの魔術師が遊園地で?」

「ええ。園内のパレードで魔獣を使ってショーをするんですけど、魔獣使役の腕を買われて。ぜひニーナさんと遊びに来てくださいね」

「リョウ! 今日いこう!」

「今日は無理だな。休みの日にな」

「じゃあ招待券を送りますね。それでは」


 キャシーが会釈して歩き出した。リョウの隣をすれ違う時、形のよい唇が耳元に近づいてきて囁いてくる。


「先生、ニーナさんのお友達には気を付けて。ワイズ帝国人です」


 にこりと微笑んで、キャシーはその場を後にする。

 キャシーの背中を見送るリョウの鼓膜に、いつまでも彼女の声が張り付いていた。



 * * * * *



 リョウとニーナは、ルギタニア魔術学院・第三校舎・高等科一年一組の教室の扉の前に立っていた。ここはニーナが籍を置くクラスでリョウが一時限目の実技を担当する。

 昨日まではもう一度制服を着て、この場所に立つなんて夢にも思わなかった。けれど今更後には引き返せない。ニーナとの出会いも、死んでいった生徒たちの「もう逃げるな」というメッセージなのだろう。

 深く深呼吸した。覚悟を決めて、教室の扉を押し開く。

 まず目に入るのは、大きな黒板とマホガニーの教卓だ。それと向かい合わせに長机が並んでいる。窓から差し込む瑞々しい光が長机に着く二十名の生徒たちを照らしていた。

 希望に満ちた少年少女の活気が溢れる学びの園。生徒たちの顔ぶれが変わった以外、何も変わっていない。


 四十個の瞳が一斉にリョウの姿を映した。憧れと期待と歓喜の混じった好意的な眼差しをしていた。たった一人、敵意を剥き出しにした少女を除いては。

 最前列の窓際に座るその少女は、他の生徒より大人びた印象をしており、とても美しかった。整った目鼻立ちに、雪で染めたように白い肌。凛とした佇まいと相まった少女の美貌は、並大抵の銀幕女優では太刀打ち出来ないだろう。

 身体つきは、女性らしい起伏に富みながらも無駄な肉と脂肪は一切ついていないことが制服の上からでも分かる。生半可な鍛え方では作れない肉体だ。

 しかしリョウがもっとも注目したのは、彼女の美しさではなく、髪と瞳の色だ。

 鮮やかな赤い長髪とエメラルドのように透き通った緑の瞳。この身体的特徴を併せ持つ人種は、世界においてワイズ帝国人を置いて他にいない。


「……あいつがニーナのおともだちか」


 彼女も人材交流と称した事実上の人質としてルギタニアに来たのだろう。

 貧乏くじを引かされた哀れな少女の可能性もあるが、特殊工作員の可能性もある。

 ルギタニアも旧王族や政治家の親族を人材交流の名目でワイズ帝国に送っているが、何名かは身分を偽った軍人だ。

 当然ワイズ帝国も同じことをしている。だから人材交流でルギタニアを訪れたワイズ帝国人は例外なく監視対象だ。恐らく軍や学院の人材が帝国人の少女を常に監視している。

 リョウの前任者の胃に穴を空けた厄介な生徒というのも彼女のことであろう。

 帝国人の少女を見つめていると、ニーナは彼女の右隣の席に座った。


「おはようメリル」


 メリルは、リョウから視線をニーナに映すと、愛想のよい笑みを浮かべた。


「おはよう。昨日の夜は待ち合わせに行けなくてごめんね。監視を撒くのに手間取って」

「平気。変なのに襲われたけど、あいつが助けてくれたわ」


 ニーナの指がリョウを指した。大人を捕まえてあいつ呼ばわりは、注意すべきだ。リョウが指摘とした矢先、最前列の入口側に座る男子生徒が勢い良く立ち上がった。


「黙れっ、このクソガキ! 口の聞き方に気をつけろッ!! 先生がどういう人かも知らないのか!? ルギタニア式魔術の創始者にして世界を救った英雄なんだぞっ!」


 男子生徒の熱弁に煽られるように生徒たちが次々に声を上げ始める。


「そうよ! この人がいなければこの国は戦争に負けていたのよ!」

「ああ、でもそこの〝赤髪〟からすれば先生は、怨敵ってやつか?」

「先生のおかげでルギタニアにたくさんの魔術師が生まれて、講和条約しなくちゃいけなくなるぐらいの大逆転だもんね」

「戦場で、お前のお友達が先生に殺されでもしたのか?」

「あの戦争だってお前たちが仕掛けたんだろ!」

「そうよ! あの〝旧神の王の骨〟は、私たちの国が見つけたんだから!」


 一年一組のヒエラルキーについて理解出来た。ニーナとメリルはクラスメイトから侮蔑の対象にされている。はぐれ者同士の二人が仲良くなったのだろう。十分分かった以上、無駄な罵倒を許すわけにはいかない。リョウは、渾身の力で両手を叩いた。


「黙れッ!」


 リョウの一喝で教室が静まり返る。

 罵倒合戦の口火を切った男子生徒は、枯れた花のように萎れて席に着いた。

 高等科ともなれば、生徒たちは魔術師になるために必要なことの多くを学んできているはずである。しかしまだ肝心なことを学んでいないようだ。

 教師としてすべき仕事が早速やってきた。リョウは教卓の前に立ち、生徒を見回した。


「実技の授業を始める前に話したいことがある。お前たちは何のためにここにいる?」


 リョウの問いかけに、勝気そうな女子生徒が声を上げた。


「せ、先生みたいになりたいからです!」


 そう宣言した女子生徒の隣に座る男子生徒がメリルを一瞥した。


「また戦争になったら国と大切な家族や友人を守るために戦いますっ! その時ワイズ帝国人を一人でも多く殺す!! そのために俺はここにいます!」

「誰よりも強い魔術師になって次の戦争では帝国に勝利します!!」

「先生みたいに世界を救う! そういう存在に私はなりたいですッ!」


 口々に夢を語る彼らの瞳は、純真である。心の底から夢を語る姿は、まさに子供そのものだ。生徒たちの姿に、リョウは思わず笑みを零した。

 まるで昔の自分を見ているようで、呆れて笑うしかなかった。


「すげぇな。百点満点の回答だ……愚か者としちゃあな」


 リョウは、ほんの少しだけ語気に害意を込める。料理の隠し味程度の些細なそれは、メリルとニーナを除く生徒たちを凍り付かせた。


「俺がここにいるのは俺が愚者の代表だからだ。お前たちの反面教師になるためだ」


 きっかけは子供じみた正義感だった。戦争で劣勢の祖国を救いたい。祖国を守るために自分の力を使いたい。当時十七歳のリョウは、それが正義だと信じていた。


「俺は愚かだ。戦争を止められず、多くの子供や若者を戦場に送った。おめおめと自分だけが生き残っちまった。お前たちがやるべきことは、ここにいる俺とは違う大人になることだ。二度と戦争なんか起こさない、そういう大人になるためにお前たちはここにいる」


 ワイズ帝国人への憎悪がないと言えば嘘だ。心の中で、黒い情念が絶えず燻ぶっている。

 怨敵を銃殺したい欲求を拭えない。この先もこの思いが消えることはないだろう。

 自分が生徒たちを死地に送ったことは理解している。それでも大切な教え子を殺したワイズ帝国人を許せない。己への罪悪感と同時に、彼等への復讐心を抱えてきた。

 しかし、もう一度教壇に立つ以上、リョウには義務がある。愚かな行いで多くの若者を死なせながら復讐心に囚われる、そんな自分と同じような醜い大人を育てないことだ。


「いいか。俺みたいな大人に、魔術師にだけはなるんじゃねぇぞ。今俺が言った言葉を理解出来ないなら、お前たちに魔術師になる資格ははい」


 リョウの言葉に、ニーナとメリル除く生徒は俯いていた。

 ニーナは全く関心がないらしく。メリルはリョウへの敵意を剥き出しにしている。

 ワイズ帝国の人間からすれば、リョウは楽に勝てる戦争を泥沼に導いた張本人だ。リョウがいなければ帝国側の犠牲者は大幅に減っていたのは間違いない。

 お前が戦争の犠牲者について語るな、ということだろう。


「さて、説教はここまでだ。全員演習場に移動しろ」


 リョウは、ひらひらと手を振って教室を後にした。

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