第9話 予想外の子どもたち

 喧騒から逃れ、真琴まことは自分の洋服に着替えてようやく一息吐く。和装の物理的な重さもそうだが、まさかこんなことになろうとは、という気持ちも大きかった。


 最終的に雅玖がくとの結婚を決めたのは自分だ。結婚式と言っても用意してもらった指輪を交換しただけなので、いまいち実感は沸きづらいのだが、それでもこの婚姻はあやかしの概念で成立してしまった。


 左手の薬指を見ると、真新しい金色の指輪がきらりと輝いた。


 だが真琴たち人間側の都合もあって、例えば入籍。人間は基本、結婚する時はお役所に婚姻届を出す。真琴自身は事実婚でも一向に構わないのだが、母に何を言われるか分かったものでは無い。


 面倒だが、そこは適当にかわすしか無いだろうか。まったく、人間というのはしがらみが面倒なものである。


「真琴さん、着替え終わりましたか?」


 ふすまの向こうから雅玖の声がする。真琴は「はい。どうぞ」と応えた。静かに襖が開き、濃紺の着物に着替えた雅玖が入って来る。畳の上に足を崩して座る真琴の正面に腰を下ろし、お行儀よく正座をした。


「真琴さん、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。これからどうぞよろしくお願いします」


 雅玖は言って深く頭を下げた。真琴も慌てて倣う。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ふたりきりであらためてこうして向かい合って、ああ、この人が自分の旦那さんになったんやな、とじわじわと沸き上がる。不思議なものだ。


「今日はご自宅に帰って、ゆっくり休んでください。新居やお店についてはまたお話しましょう。またこちらに来ていただくことはできますか? これからは観音さまを介さず、直接来ていただけます」


「1週間後でしたら。お仕事がお休みなので」


「分かりました。ではお待ちしております。ご自宅までお送りします。行きましょう」


「はい」


 と返事をしたものの、ふと思う。このあびこの下町を、和装の超絶美形と歩くと目立ってしまうのでは、と。


 しかしまた思い直す。特に知り合いとかがいるわけでも無いので、構わないか、と。


「途中でコンビニに寄ってもええですか?」


 もう今日は、帰って何か食べてとっとと寝てしまおう。さすがに心身ともに疲れた。休日のお料理はさっきので良しとしよう。お仕事の日は作る余裕が無いので、帰りに軽食を買う日々を送っていた。


「もちろんです」


 真琴は雅玖に続いて部屋を出る。そのままあやかしの皆さんに見送られて外に出た。空は暗くなってしまっていたが、見慣れたあびこの街並みである。少し西に行けばあびこ観音があるし、東に行けばあびこ駅で、そこを超えれば家までそう掛からない。


 真琴は何気無しに西の方向を向いてお辞儀をした。これがあびこ観音さまのお導きだと言うのなら、きっと真琴にとっても良いところに向かう気がする。


 ご縁を良いものにするのかどうか、結局は当人次第なのだ。あやかしとの婚姻がどういうものになるのか、まだ真琴には見当もつかないが、覚悟を決めたのだから、どうなっても受け入れるしか無い。


 あびこ観音さま、あやかしにええ様にしてくれはるんやったら、ついでに雅玖と結婚した私のことも少しだけお願いします。


「真琴さん、どうしました?」


「いえ、何でも」


「じゃあ行きましょう」


「はい」


 そうして並んで歩き出す。話すことが思い浮かばずふたりとも無言だったが、居心地は悪く無かった。これから先一緒に暮らすことを考えると、変に気を使う相手だと疲れるだろう。これは雅玖の穏やかな雰囲気がそうさせてくれているのだと思う。


 途中であびこ駅近くのコンビニに寄り、焼きそばを買う。雅玖は真琴のあとを付いて来ながら、興味深げにきょろきょろと陳列棚を眺めていた。滅多に外に出られないと言っていたから、コンビニでも珍しいのだろう。


 そして真琴が住まうマンションの前に到着する。


「ここです。ありがとうございました」


「いえ。今日はゆっくりとお休みくださいね」


「はい」


 真琴は右手を振る雅玖に見送られながらマンションに入り、部屋に向かう。入って時計を見ると20時になっていた。長かった様な、短かった様な、そんな濃密な時間だった。


 先にお風呂に入って、それから買い置きの缶ビールでも開けて焼きそばをいただこう。真琴はとりあえず焼きそばを冷蔵庫に放り込んだ。




 1週間を乗り越え、お家でお昼ごはんを食べた真琴は、またあやかしの結婚相談所にやって来た。開き戸を開けると、また相談所は盛況で、職員さんが熱心なお客の相手をしている。


 人間にしか見えないのだが、全員あやかしなのだな。そう思うと、あらためて不思議な気分になる。


 1週間は慌ただしく過ぎて行ったが、ふとここのことを思い出しては、本当に現実だったのかと思い耽ってしまう。だが左手に光る指輪を見るたびに、ああ、ほんまやったんやな、と思うのだ。


 日々そんなことを繰り返していた。お仕事中以外は律儀に着けていたのだった。


 職員さんのひとりが真琴を見つけ、「花嫁さま!」と声を上げた。すると室内中の視線が集まり、真琴は圧倒されてしまう。


「こ、こんにちは。雅玖、いてはりますか?」


「はい。お待ちくださいね〜」


 相談所のいちばん奥にいた若い男性の職員さんが立ち上がり、襖を開けて駆けて行った。少しすると雅玖を伴って戻って来る。その間に相談所内はまた騒がしくなっていた。ここにいるお客が全員結婚を望んでいるのか。あやかしの世界でも結婚はそう簡単に行かないのかも知れない。


「真琴さん、ようこそいらっしゃいました」


 雅玖が穏やかな笑みをたたえて真琴に歩み寄って来る。今日は濃緑色の着物だった。


「どうぞ、ご案内します」


「はい、お邪魔します」


 真琴はパンプスを脱いで上がると、雅玖に付いて行く。通されたのは先週結婚式が行われた部屋だった。


 入ると、壁際に5人の子どもたちがお行儀よく並んで正座している。わくわくした様なものだったり、緊張した様子だったり、リラックスした感じだったり、その表情は様々だった。


 男の子が3人、女の子がふたり。見た目は小学校低学年ぐらいだろうか。


 真琴が不思議に思うと、子どもたちが口々に「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれる。真琴も「こんにちは」と返した。


 部屋の中央に置かれている座布団のひとつを勧められ、腰を降ろす。雅玖ももう1枚の座布団に正座した。


「真琴さん、さっそくなのですが」


「はい」


 雅玖の視線が子どもたちに向く。雅玖は小さく頷き、また真琴を見て口を開いた。


「私たちの子どもとして、この子たちを一緒に育てていただきたいのです」


「……へ?」


 予想外のことに真琴は呆気に取られ、間抜けな声を上げてしまった。

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