第6話 美味しいと言ってもらえること

 真琴の真骨頂、という自信はいまいち持てないが、やはり得意分野は日本料理や和食である。


 専門学校の1年目は洋食や中華、製菓などの授業もあったが、2年目はひとつのジャンルを専門的に習うシステムで、真琴は日本料理を選んだ。


 割烹では賄い以外のお料理はろくにできていないが、休日には家で1品を丁寧に作ることにしているので、専門学校で培った技術はそう鈍ってはいないはずだ。


 真琴は冷蔵庫から豚ばらのスライス肉と青ねぎ、蓮根を出した。


 食料庫を見ると乾物も豊富だ。そこから昆布と削り節を出し、まずはお出汁を取ることにする。片手鍋にお水を張り、昆布を沈めた。


 ここにあるお鍋やフライパンは、利便性を求めてか多くはテフロン加工のものである。


 学校や職場ではお鍋は雪平鍋だし、フライパンは鉄製やステンレス製だ。いわゆるプロ仕様。だが今はこうした使いやすい加工のフライパンの性能もかなり高く、使用している飲食店も少なく無い。


 真琴も自宅で使っているのはテフロン加工のものだ。情報収拾をしつつ吟味をし、使いやすいものを揃えている。


 さて、昆布を浸している間に、食材の下ごしらえだ。蓮根は皮を剥いて5ミリ厚さほどの半月切りにしてお水に落とし、青ねぎはざく切りに、豚ばらのスライス肉は一口大ほどにカットする。


 ここで昆布のお鍋を火に掛ける。沸いて来たら火を止め、削り節をたっぷりと投入。あとは自然に沈んでいくのを待つ。


 次に登場するのは少し深さのあるフライパンである。テフロン加工なので油を引かず、豚ばらスライス肉を炒め始める。柔らかくしたいので弱火でじっくりと。


 やがててらてらと脂が出て来るので、適宜丁寧にクッキングペーパーで吸い取って行く。脂は美味しさの素でもあるので、ある程度は残しておく。


 そして蓮根を加える。全体に脂を回してさっと炒めたら、クッキングペーパーを敷いたざるで漉しながら、ひたひたにお出汁を入れた。


 沸いたらお砂糖と日本酒、お醤油を入れて、穴を開けたクッキングペーパーで落し蓋をしてことことと煮詰めて行く。


 豚ばら肉も蓮根も薄いので、そう時間は掛からない。冷蔵庫の食材を見て頭にはいろいろと巡ったが、短時間でできるもの、そして季節のものを選んだ。蓮根は今まさに旬だ。甘くなり、火を通せばねっとりとした食感がさらなる旨味を生み出す。


 雅玖と料理人ふたりは、真琴の邪魔をしない様にか、少し離れたところで見ていてくれている。雅玖は椅子に掛けていた。それが身分の表れなのだろう。


 洗い物などもしながら、フライパンの様子を見る。すると徐々に水分が少なくなって来ている。そろそろか、と青ねぎのざく切りを入れた。


 フライパンを手早く返しながら、青ねぎにさっと火を通す。仕上げにごま油を落として、またフライパンを煽ったら完成である。


「食器棚開けてええですか?」


「もちろんです!」


 料理人のおじさまが言ってくれたので、真琴は「ありがとうございます」と言いながら棚を開け、ぐるりと見渡してシンプルな藍色のお皿を出した。


 そこにできあがったお料理を盛り付けた。豚ばら肉と蓮根、青ねぎを炒め煮したシンプルなお料理である。


「お待たせしました」


 調理台に置く。雅玖は立ち上がって仕上がったばかりの炒め煮を見下ろし、少しかがんで視線を下げたかと思うと、炒め煮に顔を近付けて、立ち昇る香りをすぅと鼻に吸い込んだ。


「……ああ、とても良い香りですね」


 雅玖は言って、表情を綻ばせた。


「いただいても良いですか?」


「もちろんです。お口に合えばええんですけど」


 すると料理人のおばさまが素早く動き、食器棚から小皿とお箸を出し、雅玖の前に静かに置いた。


「ありがとうございます」


 雅玖はそれを持ち上げ、待ちきれないという様に炒め煮にお箸を伸ばす。小皿に取り分け、みっつの食材を重ねて綺麗な所作で口に運んだ。


 雅玖の口がゆっくりと動く。じっくりと味わう様に、目が細められる。そしてふわりと微笑んだ。


「……本当に美味しいですねぇ」


 まるで溜め息の様に溢れたそのせりふには、大きな満足感が込められている様に思えた。


「豚肉の甘みが蓮根に絡んで、青ねぎも火が通っているからか、甘みが引き出されてます。お出汁の味もふくよかで、これは良いですね」


 和食は引き算のお料理だと言われている。調味料は控えめ、お出汁を効かせて、食材の味そのものを最大限に引き上げる調理法。


 それは専門学校で学んだ時から真琴の髄に入り込み、今でも心がけていることだ。勤め先で賄いを作る時にもそれに倣い、良いとは言われないが悪いとも言われていない。


 それが良いことなのかどうかの判断が真琴にはできないが、いつも真琴を邪険にする様な態度を取る副料理長も同僚も、賄いについては何も言わなかった。


 賄いは本来なら「あれが」「これが」と話が弾む。良いところや改善点が出るのである。それが料理人の成長、お店の発展に繋がる。


 だがそれが無い。普段の態度から思えば悪し様に言われてもおかしくは無いのに、それそらも出ないことが不思議ではあった。賄いのたびに言われては心も折れていたと思うので、それに関しては救われたとも言えるのかも知れないが。


 なので、作ったものを「美味しい」と言ってもらえることは久しぶりのことだった。実家に帰って作っても、お仕事を反対している母は渋い顔しかしない。父は「旨いで!」と褒めてくれるが、どうしても親の欲目が含まれているものだと思う。


 雅玖の感想は本心なのかお世辞なのか。だが嬉しそうに頬を緩めながらお箸を動かし続ける雅玖の表情に、嘘は無いと思えた。どうやら巧くできた様だ。真琴は心底ほっとした。


 そしてそれはとても幸せなことなのだと、あらためて思い出したのだった。

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