第3話 それは、誰もが

 どうにか少し落ち着いた真琴まこと雅玖がく景五けいご鞠人まりとさんと一緒に「まこ庵」に降りると、あやかしたちは事態を察したのか、皆帰っていた。奥の4人掛けのテーブルに椅子をひとつ足し、子どもたちはそこに掛けておとなしく待っていてくれていた。


 子どもたちが駆け寄って景五を取り囲むと、景五を励ます様に抱き締め合う。事情の分からない六槻むつきだけが、きょとんとした顔で座ったままだった。


「ママ……?」


 それでも深刻な気配だけは感じるのか、不安げな表情になって真琴のもとに歩いて来る。もう4歳になる六槻は、気軽に抱き上げることができる軽さでは無い。真琴は屈んで目線を六槻に合わせた。


「六槻、景五お兄ちゃんな、このお家を出なあかんかも知れんねん」


「なんで?」


 ためらいも無く素直に聞き返して来る六槻にどう説明したら良いのだろう。真琴が迷っていると、雅玖が「六槻」と六槻の頭を優しく撫でた。


「景五お兄ちゃんには、ここ以外にもお家があって、そちらに帰らなければならないのかも知れないのです」


「なんで? けいごおにいちゃん、おらんくなるん? なんで?」


「景五お兄ちゃんのもうひとつのお家に帰るんですよ」


 雅玖が辛抱しんぼう強く言い聞かせる。すると六槻は目を見開き、次にはくしゃくしゃに顔を歪めて叫んだ。


「いやや!」


 そして景五にしがみ付く。身体を激しく揺すり、「いやや!」を繰り返した。


 景五はすっかりと困り果ててしまう。それでも六槻をなだめようとしたのかそっと頭を撫でた。


 六槻は上の子たちと違い、すっかりと子どもらしく育っていた。上の子たちは素直ながらもは聞き分けが良く、こういうところで困る様なことは無かった。真琴は本当にこれまで、楽な子育てをさせてもらっていたのだとしみじみ思う。


 それもこれも、子どもたちを種族の長にするがための、あやかしの教育の賜物たまものなのだろう。


 雅玖が六槻を幼稚園に通わそうとしたのも、上の子たちの分まで子どもらしく育って欲しいと思ったからなのかも知れない。


 だから六槻は自分の感情を思うがままに発露はつろするし、そのためこちらも困惑したりする。だがそれが子育てなのだ。イヤイヤ期だって経験した。ほとんどを雅玖が見てくれていたが、何度も途方に暮れそうになった。上の子どもたちだって巻き込まれて、その度に根気強く付き合ってくれていた。


 それでもどうにか乗り越えて、また家族でわいわいと楽しく暮らせると思っていたのに。


 六槻の「いやや!」は、そのまま真琴の言葉でもある。だが真琴はもう大人だ。事情を理解してしまえば、駄々っ子の様に振る舞うことはできないし、飲み込んで送り出すしか無いのだ。ああ、六槻が羨ましいなんて感じてしまう。


「六槻、景五お兄ちゃんにはな、せなあかんことがあるんよ。大事なことなんよ。そのためにもうひとつのお家に帰るねん。せやから笑って見送ってあげよ?」


 真琴が優しく言うが、やはり六槻は「いやや!」と金切り声を上げた。ここでこちらが強く言ってしまうのは逆効果だと分かっているので、時間を掛けてでも何とか説き伏せるしか無い。


「真琴さま、雅玖さま、景五」


 少し離れたところで控えてくれていた鞠人の声が届く。


「景五のお戻りは、今すぐというわけやありません。確かに今のおさは危険な状態ではありますが、猶予はあります。1ヶ月。その間に支度をしてもらえたらと思います」


「分かりました。景五も良いですか?」


 雅玖が言うと、景五はこくりと頷いた。


 そして鞠人は一礼して「まこ庵」を出て行った。店内にはまた六槻の「いやや〜」のぐずる声が響いた。




 いつもよりは早い時間だが、皆帰ってしまったこともあって、早々に引き上げることにした。皆で協力して片付けをする。その間も六槻は景五から離れなかった。


 そしてリビングで一息吐くころには、六槻は疲れてしまったのか景五にしがみ付いて寝息を立てていた。


 子どもたちが一緒だということもあるのだが、今日は真琴も好物のビールを飲む気になれず、子どもたちに合わせて雅玖ともどもオレンジジュースを入れた。だがそれも手を付けるつもりになれず。


「……ごめんなぁ、私、何も知らんかったから」


 真琴が項垂うなだれて言うと、三鶴みつるはいつもの様に冷静に小首を傾げた。


「お母さま、私らはほんまに大丈夫やねん。分かっとったことやもん。ただ景五の場合、それが早よ来てしもうたってだけや」


 景五も、そして他の子どもたちも、納得しているかの様な顔で頷く。どうしてこんなに落ち着いていられるのか。


「でも、皆なりたいもんがあって、そのためにあんなにたくさん頑張っとって。それやのに……」


 さっきは堪えられたものが、とうとう溢れ出してしまう。真琴は両手で顔を覆い、雅玖の手が労わる様に真琴の肩を支えた。


「ママさま、ママさま」


 小さな手が真琴の腕をさする。隣にいる弐那になだ。


「あの、あのね、ほんまに大丈夫やねん。あのね、ママさま、同人誌って知ってる? もしあたしね、漫画家になれんでも、でも人間さまの世界に行かれへんわけや無いから、あのね、同人誌即売会ってところでね、大手サークル目指すねん。せやから大丈夫やねんで」


「オレも、もしアイドルになれんでも、里の皆の前でリサイタルやるし。そん時には衣装も派手なん作ってもろてな。里のアイドルになんねん」


「私は、そうやね、これまで揃えてもろた専門書は持って行くし、外に出られたら図書館で息抜きにお勉強できるし。大阪にもおっきな図書館あるしね」


「僕はねぇ、里のおっきな食堂を切り盛りすんねん。ママちゃま直伝じきでんのレシピ、絶対里のあやかしら喜んでくれるわ。景五もそうやんな?」


「……うん」


「ママちゃま、僕と景五が「まこ庵」継ぎたかったんはほんまのほんま。景五は帰らなあかんけど、僕はいつになるんか分からんから。せやからそれまで、できたら「まこ庵」におらせて欲しいし、中学校卒業できたら、僕もお昼の「まこ庵」に入りたい。ママちゃまと一緒に厨房に立ちたいんよ」


「そんなん、いつでもっ……!」


 真琴が叶えられることなら、いつでも、何でもやってあげる。これまではあやかし相手の夜だけにお手伝いをお願いしていたが、四音が望むならお昼のお手伝いだって。もう中学生になるのだから、「お家のお店のお手伝い」をしてもらっても何ら問題無い。


 だが、そこに景五はいないのかも知れないのだ。それを考えるとまた真琴の胸は痛む。四音と景五と将来「まこ庵」を切り盛りすることを楽しみにしていた。それは真琴の夢になっていた。だがそれははかなく消えてしまった。


 でも真琴よりも、子どもたちの方がよほど辛いはずだ。その子どもたちが気丈にしているのに、真琴がこんなになってしまって。


 申し訳なさ、不甲斐ふがいなさ、情けなさ。そんなものがない交ぜになって、真琴の頭をぐるぐると回り続けた。

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