第4話 真琴の味

 どうしよう。溢れる涙が止まらない。雅玖がくがティッシュを差し出してくれるのだが、なかなか追い付かない。かたわらに濡れたティッシュが積み上がるばかりだった。


「お母ちゃま、オレらのために泣いてくれるんやな。ほんまに嬉しい。ありがとう」


 壱斗いちとの声に我に返ってどろどろの顔を上げると、壱斗は快活な笑顔を浮かべている。どうしてそんな顔をすることができるのだ。その精神力に心の底から感嘆する。


 なのに真琴まことがこの体たらくではいけない。真琴は鼻をすすりながらどうにか涙を押しとどめる。きっとひどい顔になっているだろうが、気にしてはいられない。


「母さま、俺、帰るんそりゃあ残念やなって思うけど、けど、いつかはって思ってたことやから。ありがとう、母さま」


「……ううん」


 普段言葉少ない景五けいごのせりふに、また涙がこみ上げそうになる。真琴はそれを頑張って留めた。真琴は気持ちを切り替えたいと、頬をぱんぱんと手のひらで叩いた。


「あかんやんな、私がこんなんやったら。よし、まだ時間はある。景五、「まこ庵」以外にしたいこととかある? いろんなことしよ」


 真琴が言うと、景五は少し迷った様な素振りを見せ、やがて口を開いた。


「俺、母さまのおせちが作れる様になりたい。基本のもんだけでもええから」


 予想外のお願いをされ、真琴は驚いてれぼったい目を丸くする。おせちは毎年真琴がしつらえていて、子どもたちにも好評なものだ。


 おせちは確かに基本が決まってはいる。だがその家庭の特徴や癖が出るものでもある。いわゆる「家庭の味」だ。景五は真琴の、この浮田家の味を受け継ごうとしてくれているのだ。


「うん。ほな明日から毎日、1品ずつ作って行こな」


 真琴が微笑んで言うと、景五は照れ臭そうに俯いた。




 翌日の夜、あやかしたちが希望するお料理は四音しおんに任せ、真琴は景五におせち作りを伝授する。最初の今夜はたたきごぼうだ。


 おせちの一の重に入る祝いざかなのひとつ。関東では黒豆と数の子、田作りで構成されるが、関西では田作りでは無くたたきごぼうだ。とは言え真琴はいつも田作りも作って4品にしてしまうのだが。


 ごぼうは細いながら、地中深く育って行く根菜だ。なので「深く根を張り繁栄する」という縁起を持つ。また、叩くことで開運の縁起も担っているのだ。


 用意したごぼうは洗いごぼうである。土があらかた取れているので、香りを残す様に手を使って洗ってやる。


 それをまな板の上で、麺棒で軽く叩いて崩す。あまり力を入れすぎると真ん中からぱっくり割れてしまうので、ほどほどに。景五は恐々と力を加えて行った。


 それを5センチぐらいの長さに切る。景五はすっかりと慣れた手付きで、愛用のペティナイフを振るう。


 それを、お酢を加えたお湯で茹でる。根菜なのでここは少し時間が掛かるのだ。


 茹で上がったらざるに開け、お鍋をさっと洗って調味料を入れる。お出汁、お酢、みりん、そしてお塩。沸いたら茹でたごぼうを入れて炒り煮して行く。


 ごぼうが調味料をしっかり含み、水分が無くなって来たらすり白ごまをたっぷりと絡めて、少し深さのある青い器に盛り付けたら。


 たたきごぼうの完成である。見た目こそ地味だが、おせちには欠かせない1品だ。真琴はその由来もあらためて景五に説明する。


「うん」


 できあがったたたきごぼうは、まだ湯気を上げて良い香りを漂わせている。重箱に入れるなら粗熱を取らなければならないが、今日は熱々のまま振る舞おう。その前に。


「味見してみよか」


「うん」


 真琴と景五はおはしを取り、それぞれ1本ずつ持ち上げ、口に運んだ。繊維のお陰でさくっとしながらも根菜らしいほっくり感。ごぼうの土に似た香りと白ごまの香ばしさの中に、ほのかな酸味が活きている。


「うん! 美味しくできてる。さすがやで、景五」


 本当に良くできている。真琴が手放しで褒めると、景五は照れた様に頬を赤らめた。


「皆にも食べてもらお。皆さーん、景五が作ったたたきごぼうですよ〜」


 真琴がフロアに向かって声を掛けると、猫又のあやかしたちが先陣切って詰め掛けた。猫又たちは景五がたたきごぼうを作っている時にも、カウンタ越しにじっと見つめていたのだ。


「たたきごぼう、確か人間さまがおせちにも入れる一品ですよね?」


 年老いた見た目の男性のあやかしである。景五を見る目はまるで孫を見る様なそれだ。


「そうです」


 真琴がまた由来を披露すると、あやかしたちから「へぇ〜」と関心した様な声が上がった。


「わし、聞いたことあります。そんな縁起のええもんを、景五が作ってくれるなんてなぁ」


 老人男性のあやかしは嬉しそうに目を細め、お箸を使って大事そうに口に入れた。




 そして、真琴は1日に1品ずつ、おせちの作り方を教えていった。黒豆や数の子は下準備に時間が掛かるので、前日の晩から取り掛かったり、お昼間にも作業をしながら進めて行った。


 そして景五は今、お昼の「まこ庵」にもお手伝いに入ってもらっている。ランチタイムには細々とした作業をお願いし、ティタイムにはスイーツの盛り付けなどを教えながら手掛けてもらっている。


「あれ、店長さん、えらい可愛いお手伝いさんやねぇ」


 おやつタイムに良く来てくれるご常連の畑中はたなかさんだ。抹茶のスイーツがお好きで、抹茶シフォンケーキを注文することが多い。


 畑中さんは壮年の女性である。悠々自適の専業主婦だと言っていた。ふたりいるお子さんも独立してお家を出たらしい。


「息子なんです。可愛いんですけど、格好ええでしょ」


「ほんまやねぇ」


 景五は厨房の中で恐縮しっぱなしである。李里りさとさんは「せやろ」と言う風に得意げだ。


 真琴の年齢で、この歳の子どもは大きい。だが畑中さんは何も聞かず、景五を褒めてくれた。場を読んでくれたのだ。


 景五が「まこ庵」に入れるのもあと少し。その間だけでも、景五のしたいことをさせてあげたい、良い思い出を作って欲しい。そのために真琴ができることは何でもやろう、そう心の底から思っていた。

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